きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

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天皇賞といえば、格式とか伝統という言葉を思い浮かべます。100年以上も前の1905年の帝室御賞典に起源を発し、37年から天皇賞として春と秋に行われてきました。

“天覧”という言葉があります。天皇陛下がお出かけになってご覧になることですが、スポーツの世界では天覧相撲、野球の天覧試合が有名です。国民大衆に愛され浸透している“国技”のような存在です。競馬も明治天皇の時代には天覧競馬があったみたいですが、復活したのは帝室御賞典100年を記念した5年前、勝ったヘヴンリーロマンスと松永幹夫騎手が両陛下の前で深々と一礼、競馬ファンのみならず多くの人を感動させてくれました。

そもそもロイヤルアスコットのゴールドカップを模範にしたレース。ロイヤルアスコットへはエリザベス女王が毎年、ウインザー城から馬車にお乗りになってお出ましになります。天皇・皇后両陛下もちょくちょくお出かけいただきたいものです。

さて、格式と伝統という意味では、天皇賞が“種牡馬選定競走”として機能してきた側面があります。“天皇賞馬から天皇賞馬を”というコンセプトがあったと思います。戦前にはシーマーが2頭の天皇賞馬を出し父仔制覇しています。戦後ではシンザンがミホシンザンを輩出しました。

有名なのは“メジロ一族”ですね。70年にメジロアサマが天皇賞馬となると少ない産駒のなかから80年のメジロティターンが天皇賞に勝ち、その息子のメジロマックイーンが91年と92年に2度制覇しました。現在、4代目の可能性があるのはホクトスルタンですが、残念ながら彼は今回の天皇賞に出走できません。

“メジロ一族”の栄光は3200m時代のもので、秋天が2000mになって以降は父仔制覇は実現していません。ことしは99年のスペシャルウィークの仔ブエナビスタ、02年と03年を連覇したシンボリクリスエス産駒のアリゼオ、04年のゼンノロブロイの血を受け継ぐペルーサの3頭が天皇賞父仔制覇の可能性に挑みます。そのあたりをもう少し詳しく明日お届けしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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