きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

ようこそいらっしゃいませ。

愛馬がオークスを制した日に競馬場にいなかった馬主さんの話です。72回目を迎えるオークスでもっとも鮮烈な記憶を残すレースに1985年のノアノハコブネの一戦を挙げる人は少なくありません。28頭立ての21番人気、鞍上も実績に乏しい音無秀孝騎手でした。オーナーは“珍馬名”で知られる小田切有一さんです。ノアノハコブネは直線最後方から怒濤の追い込みを見せて、前を走る27頭を全部差し切ってしまいます。ところが晴れの口取りに小田切さんの姿がありません。

《G1制覇は馬主を続けていればまた見られるかもしれないが、子どもの日々は二度と帰ってこないから》

その日、小田切さんはボランティアで監督を引き受けていた少年ソフトボールチームの試合に出かけていたそうなのです。

最初から諦めていたのかといえば、そうではありません。愛馬を晴れ舞台に載せる方法はないかと音無騎手に相談し、《ダートの平場なら勝てる》という返事を得て、実際に勝ち上がり賞金加算に成功していました。将来の名トレーナーの片鱗をうかがわせるエピソードですね。

必死の思いで手にしたクラシック出走権ですから、馬主として血が騒がないわけがありません。しかし小田切さんは愛馬の一世一代の晴れ舞台より、初夏の日差しの中で少年たちと声を涸らす一日を選びました。こういう決断ができる小田切さんを素晴らしいと思います。

しかし《いつか》はなかなかやってきませんでした。やっと20年後にオレハマッテルゼが高松宮記念を勝ち、小田切さんと音無調教師は仲良く口取りに参加できました。でも“オークスの忘れもの”は取り返したいですね。

今回はディープインパクト産駒のメデタシで参戦します。桜花賞4着でギリギリ出走権を得たのはハコブネと一緒です。母オジャッタモンセは鹿児島地方の方言で当欄の冒頭句と同じ《ようこそいらっしゃいませ》という敬語らしいです。小田切さん、音無さん、メデタシを歓迎しているのでしょうか。

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