きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話
橋田満と宮本武蔵
ようこそいらっしゃいませ。
「世界一美しい競馬場」と憧憬されるグッドウッド競馬場のG1ナッソーSで、息を呑むような絶景の中をレコードで疾走、大輪の花を咲かせた橋田満厩舎のディアドラですが、その去就が現地メディアも含めて凱旋門賞への出否を中心に取り沙汰されてきましたが、どうやら9月14日のレパーズタウンG1アイリッシュチャンピオンSで本決まりのようです。凱旋門賞はまだ選択肢として残しているようですが、中2週のローテーションを考えると、1ヶ月後と少し余裕のあるブリティッシュチャンピオンSあるいは同日のブリティッシュチャンピオンズフィリー&メアSという選択肢もありそうです。いずれにしろ橋田先生がディアドラの心身両面の状態と相談しながら、お決めになるのでしょうが。
この間の橋田先生のおっしゃりようを見ていて、唐突にも宮本武蔵を思い出しました。彼は生涯60度以上も戦って、一度も負けなかった剣聖と伝えられます。「五輪書」という著述の中で、剣は長い方が有利だとか逆に短い方が機動性が生まれるとか、技の多様性とか基本の型が勝負の帰趨を握るとか様々な流派の主張を論じて、それぞれに優位に立つ特徴もあれば、それゆえのリスクもあり一概には論じられない。そもそも奥義とされる必殺技も、実戦でそれを駆使できる場面が訪れるとは限らず、すべてが絶対とは言い切れない。剣の勝負も競馬も「こだわりのなさ」こそが勝機を生むのだと剣聖は語りかけています。日本人ホースマンの多くは、凱旋門賞を至高の存在と崇め、そこを目指すのですが、橋田先生の飄々とした語り口には、それに対する「こだわり」が感じられません。
橋田先生と言えばサイレンススズカが有名です。酷な言い方かもしれませんが、先生の心のどこかには彼の卓越したスピードに「こだわり過ぎた」という思いが潜んでいるのかもしれません。凱旋門賞は目標ではなく、あくまで選択肢の一つ、そうした「こだわりのない」成熟した大人の考え方が、日本競馬に新しい可能性やこれまで存在しなかった道を開くのだろうとも思います。
「世界一美しい競馬場」と憧憬されるグッドウッド競馬場のG1ナッソーSで、息を呑むような絶景の中をレコードで疾走、大輪の花を咲かせた橋田満厩舎のディアドラですが、その去就が現地メディアも含めて凱旋門賞への出否を中心に取り沙汰されてきましたが、どうやら9月14日のレパーズタウンG1アイリッシュチャンピオンSで本決まりのようです。凱旋門賞はまだ選択肢として残しているようですが、中2週のローテーションを考えると、1ヶ月後と少し余裕のあるブリティッシュチャンピオンSあるいは同日のブリティッシュチャンピオンズフィリー&メアSという選択肢もありそうです。いずれにしろ橋田先生がディアドラの心身両面の状態と相談しながら、お決めになるのでしょうが。
この間の橋田先生のおっしゃりようを見ていて、唐突にも宮本武蔵を思い出しました。彼は生涯60度以上も戦って、一度も負けなかった剣聖と伝えられます。「五輪書」という著述の中で、剣は長い方が有利だとか逆に短い方が機動性が生まれるとか、技の多様性とか基本の型が勝負の帰趨を握るとか様々な流派の主張を論じて、それぞれに優位に立つ特徴もあれば、それゆえのリスクもあり一概には論じられない。そもそも奥義とされる必殺技も、実戦でそれを駆使できる場面が訪れるとは限らず、すべてが絶対とは言い切れない。剣の勝負も競馬も「こだわりのなさ」こそが勝機を生むのだと剣聖は語りかけています。日本人ホースマンの多くは、凱旋門賞を至高の存在と崇め、そこを目指すのですが、橋田先生の飄々とした語り口には、それに対する「こだわり」が感じられません。
橋田先生と言えばサイレンススズカが有名です。酷な言い方かもしれませんが、先生の心のどこかには彼の卓越したスピードに「こだわり過ぎた」という思いが潜んでいるのかもしれません。凱旋門賞は目標ではなく、あくまで選択肢の一つ、そうした「こだわりのない」成熟した大人の考え方が、日本競馬に新しい可能性やこれまで存在しなかった道を開くのだろうとも思います。