きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

いざ、ケンタッキーダービーへ!

4月5日は、渡邊薫彦 調教師の誕生日です。誕生日おめでとうございます!
ようこそいらっしゃいませ。

「ジャパン・ロードトゥザケンタッキーダービー」シリーズのポイント上位馬1頭に贈られる優先出走権は、対象レースの伏竜S2着、ヒヤシンスS4着で合計19ポイントを獲得したマスターフェンサーに決まったようです。順位で言えば、もっともポイントの高い伏竜Sを勝ったデアフルーグ、ヒヤシンスSの覇者オーヴァルエース、全日本2歳優駿のノーヴァレンダが上位ですが、彼らはユニコーンSからジャパンダートダービーの国内専念路線を選択して、上位4位まで繰り上がりが認められられているためマスターフェンサーにお鉢が回ってきたものです。5位で追いかけていたデルマルーヴルがUAEダービーに向かい、先行有利のメイダンで最後方から強烈な末脚で4着に追い込んでいます。仮に伏竜Sに出ていれば好勝負になったはずで、マスターフェンサーには運も味方したようです。これも競馬なのでしょう。

日本調教馬のケンタッキーダービーは、95年に森秀行厩舎のスキーキャプテンが武豊騎手で、16年には松永幹夫厩舎のラニがこれも武豊騎手で出走しています。ともに大敗していますが、ラニはプリークネスS5着、ベルモントS3着と環境に慣れるに連れて尻上がりに成績を上げています。成績も立派ですが、三冠レース皆勤は誇れる勲章です。アメリカのオーナーすべてがここを目指すと言われる地元馬でも、近年は皆勤がほんの一握りになっています。馬が肉体的にも精神的にもタフで健康であり、それなりの実績を残していることが条件になるからです。アメリカンファラオまで37年間も三冠馬が出現しなかったわけです。松永調教師やスタッフの皆さんは胸を張れる大仕事を成し遂げました。このラニの頑張りがチャーチルダウンズの関係者にも認められて「ジャパン・ロードトゥザケンタッキーダービー」が創設されいます。

しかし先達の両馬はアメリカ産馬で、日本産の日本調教馬はマスターフェンサーが史上初です。日本人馬主ということなら、2000年のケンタッキーダービー馬フサイチペガサスは関口房朗さんの愛馬でした。先日のドバイターフを快勝したアーモンドアイのお母さんフサイチパンドラも同じです。毀誉褒貶さまざまな方でしたが、多くの話題を通じて、競馬を広め身近なものにしてくれた功績は忘れられません。マスターフェンサーもそういった「競馬大使」の役割を果たしてくれると嬉しいのですが。

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