きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【40】メジロティターン
1981年9月27日 第35回セントライト記念

10月5日は、金成 貴史 調教師の誕生日です。誕生日おめでとうございます!
「メジロティターンの仔で天皇賞を勝って、メジロアサマから続く父子3代の天皇賞制覇を成し遂げて欲しい」という遺言を残して亡くなったメジロの大オーナー、北野豊吉氏。その意志を受け継いだ北野ミヤさんが、メジロマックイーンの騎乗を武豊騎手に依頼。見事、その夢を果たしたという話は、今も伝説として語り継がれているが、父アサマから受け取ったバトンをマックイーンに手渡したそのティターンがはじめて手にした重賞勝ち、それがこのセントライト記念だった。

天皇賞を制した父アサマが初年度に種付けしたのは28頭。しかし、ことごとく不受胎という結果に終わり、シンジケートは解散。北野豊吉氏の個人所有で種牡馬を続けていたアサマと、フランスからの輸入牝馬、シェリルの仔として誕生したティターンがデビューしたのは1981年のことだった。入厩先はアサマと同じ尾形藤吉厩舎で、東京のダートを3回走って、結果は3着、2着、2着と善戦するも勝ち切れずの競馬が続き、ようやく初勝利を挙げたのは、中山初見参となった81年3月7日の未勝利戦。その後、4着、4着、1着、5着とやや安定感に欠ける成績にも映るが、夏の北海道で着実に力をつけたティターンは、続く函館で行われた800万下、HTB賞を連勝。満を持して、セントライト記念(当時の正式名称はラジオ関東賞セントライト記念)に駒を進めた。

レース当日、メジロティターンの人気は5番人気。それに反発するように中団待機から、直線で鮮やかに抜け出したティターンが栄光のゴールを目指して駆ける、駆ける、駆ける。最後は、2着馬サンエイソロンに1馬身半差をつける文句のない完勝で重賞初勝利を飾った。
ティターンの強さに、沸き返るスタンド。
騎乗していた主戦ジョッキーの伊藤正徳騎手も、胸を張って勝利騎手インタビューに答える。ところが………………。
インタビューの途中、騎手の伊藤に伝えられたのは、“大尾形”と称された、尾形藤吉調教師の死の知らせだった。
調教師顕彰者である尾形藤吉氏が送り出した最後の重賞勝利馬……。父子3代にわたる天皇賞制覇の偉業を見ることなくこの世を去った尾形氏だが、北野豊吉氏とともに、遠い空の彼方で、喜びをわかちあったに違いない。

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