きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【25】テイエムオペラオー
2000年12月24日 第45回有馬記念

6月22日は、奥平雅士 調教師の誕生日です。誕生日おめでとうございます!
クリスマイブ決戦となったミレニアム(西暦2000年)のグランプリレース有馬記念。中山のスタンドを埋め尽くしたファンの目は4枠7番、圧倒的な1番人気に推された“世紀末の覇者”テイエムオペラオーに注がれていた。
それもそのはず。和田竜二に導かれたオペラオーは、この年、京都記念を皮切りに、春は、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念を3連勝。秋も、京都大賞典、天皇賞(秋)、ジャパンカップを制覇し、このレースに、年間グランドスラムがかかっていたのだ。
極端な言い方になるが、ファンの心理は、勝ち、負けではなく、
――どんな勝ち方をするのか。
その一点に集約されていたと言っても過言ではない。

しかし――――――。
レース後、竹園オーナーが、
「有馬記念は馬も騎手も可哀想でした。本当に……涙がでるほど、可哀想でしかたありませんでした」
とつぶやいたように、絶対王者テイエムオペラオーにとって中山の2500mは、かつて経験したことがないほど過酷な競馬となってしまった。

最初のつまずきは、逃げるはずのホットシークレットが出遅れたことからはじまった。これで極端にペースがスローとなり、ごちゃつく馬群に行き場を失ったオペラオーは、後方に下がらざる得なくなる。
前を塞がれ、外にも持ち出せず、和田竜二とオペラオーにとっては、無常にも、ただ耐えるだけの時間が時を刻んでいく。
ようやく馬群がばらけたのは最後の直線、坂下あたり。すっぽりと内に包まれ、それまでどこを走っているのか肉眼ではわからなかった青のキャップが信じられない脚で馬群を割って伸びて来る。
それは、わずか1頭分の隙間。しかし、オペラオーにとってはそれで十分すぎるほどだった。
「勝てる!」
馬を信じた和田竜二。そしてジョッキーに手綱を預けたテイエムオペラー。それは、文字通り、人馬一体で掴んだ栄光のグランプリだった。

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