きょうの蹄音競馬にまつわるちょっといい話

2018.4.27

中山を彩った名馬たち【17】エイシンフラッシュ
2010年1月17日 第50回京成杯

4歳(現3歳)による重賞競走として京成杯がスタートしたのは1961年のこと。創設当初は、中山外回り芝1600mとして行われていた。
その後、幾度かの変遷を経て、中山内回り芝2000mとして、クラシックを占う重要なレースとなったのは1999年。この年、京成杯を制したオースミブライトは、皐月賞2着、日本ダービー4着と活躍。京成杯組の重要性を満天下に示してくれた。
そして――――――。
この京成杯をステップに、日本ダービーを制したのが、エイシンの冠名で有名な平井豊光オーナーのエイシンフラッシュだ。

2009年7月12日、阪神で行われた2歳新馬でデビュー(5人気6着)。続く2戦目、京都の2歳未勝利で初勝利を掴むと、3戦目も同じく京都の萩ステークスに出走(3着)。阪神に舞台を移した“出世レース”エリカ賞で2勝目を挙げると、年が明けた10年1月、クラシックを目指して東上。中山のファンの前にその姿を現した。
当日の人気は単勝2.2倍の圧倒的な1番人気。しかし、まったく不安材料がなかったわけではない。
はじめての輸送に加え、主戦の内田博幸が9頭の落馬事故による影響で騎乗できず、横山典弘に乗り替わりとなっていたのだ。
しかし……。
「ほんとうに大丈夫なのか? そこまで信頼して大丈夫なのか!?」
そんな声をよそに、1000m63秒2というスローペースの3番手から競馬を進めたエイシンフラッシュは、直線、逃げ馬の外に並びかけると、長い競り合いを制し、ハナ差でゴール板に飛び込んだ。
「逃げ馬が差し返してくる中、最後までよくしのいでくれた」
安堵の表情を浮かべる横山典弘の頭上に、拍手と歓声がシャワーのように降り注ぐ――。
それは中山がエイシンフラッシュを認めた瞬間だった。そしてあのとき、エイシンフラッシュには、中山から東京へと続く、栄光のロードがはっきりと見えていたのかもしれない。