きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

ミスターシービー

ようこそいらっしゃいませ。

87年前の今日……1930年12月15日は、園田競馬場が開場した日。そして、17年前の今日、2000年12月15日は、2代目ミスターシービーが蹄葉炎のため亡くなった日です。
――えっ!? 2代目?
と、目を大きく見開く方は、競馬中級者。
――そう……なんだよね。
と、うなずく方は、競馬上級者。歴史にも精通した、かなりの競馬ツーです。
そう、ミスターシービーは、確かに、日本の競馬史に2頭存在しています。初代ミスターシービーは、園田牧場の開場から遅れること4年後の1934年に誕生。父プライオリーパーク。母フアーストストップ。1939年に開催された秋の中山大障碍で3着になるなど、障害で4つの白星を挙げました。

2代目ミスターシービーのデビュー戦は、1982年11月6日。翌93年に、皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、シンザン以来、実に19年ぶりとなる三冠を達成しました。トウショウボーイを父に、シービークインを母に持つ2代目は、とにかく型破りの馬で、日本ダービーでは、1コーナーで10番手以内というダービーポジションを覆し、後方から勝負。菊花賞では、“ゆっくりと下るのがセオリー”とされた淀の坂を加速しながら先頭に踊り出るなど、ファンを驚かせ、そして、熱くさせる名馬中の名馬でした。
誰が名づけたか、その名も……奇跡の豪脚。
ミスターシービーの走りに魅せられて、競馬にのめり込むようになったという人も数多く、“シービー世代”とも呼ばれています。
もしかすると……いや、もしかしなくとも、現在、当協会を支えて役員の方々の中には、現役時代のシービーの走りを覚えている……という方がたくさんおられるはずです。
「ミスターシービーの走りを覚えていますか?」
でもいいし、
「ミスターシービーって、そんなにすごかったんですか?」
でも構いません。
たまには、先輩たちの話に耳を傾け、競馬談義に花を咲かせてみてください。

×