きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

衝撃的レコードタイムよ永遠に

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1990年。米国産のマル外リンドシェーバーがターフを走ったのは暮れの3歳(現2歳)G1が牡馬と牝馬ではなくまだ関東と関西とで分かれていた時代でした。
新馬戦は8馬身ちぎってデビュー勝ち。2戦目は不良馬場に脚をとられながらもクビ差で勝利を収め、この連勝によってリンドシェーバーは最強マル外の声をより強固にします。しかし3走目で9月の函館3歳ステークスへと出走するも直前のソエにより2着に敗れ、2ヵ月半の休養挟んで直行で暮れの朝日杯3歳ステークスへと向かいます。マル外は出走できるレースが限定され、それだけに仕上げもまた難しい時代でもありました。

レース前のオッズは本命馬不在。復帰戦となるリンドシェーバーに、3連勝で勝ち上がってきたビッグファイト、新種牡馬サクラユタカオー産駒のダイナマイトダディ、ブリザード、レガシーオブゼルダ、サクラハイスピードあたりが有力視され混戦模様でした。それだけにレースの結末はよけいに驚きと衝撃が高まりました。ゲートが開き、リンドシェーバーは素晴らしいスタートから早いペースを3番手追走。大人びたレースで他馬を伺いながら直線で先頭に立ち、最後は2着ビッグファイトに1馬身1/4差をつけて、リンドシェーバーは朝日杯3歳ステークスを完勝します。そして何よりもファンを含め驚かせたのが、その勝ちタイムでした。マルゼンスキーのレコードタイムをコンマ4秒一気に更新。破られることはないだろう、そう思われていたマルゼンスキーの記録を衝撃的な快速時計で塗り替えたのでした。
レース後、マルゼンスキーの再来、本当の本物、マルゼンスキーと比較に値する器。そんな声が飛び交い、まだマル外が少なく、90年代を彩る外国産馬の時代の幕開けを告げる存在にもなったリンドシェーバーは、こうしてファンの記憶へと刻まれたのでした。

そのリンドシェーバーが昨日老衰のため死亡したと報じられました。種牡馬としてギャラントアローやサイコーキララなどの重賞馬を輩出し、種牡馬引退後は北海道中川郡幕別町猿別の十勝軽種馬農業協同組合種馬所にて繋養され余生を送っていました。28歳でした。衝撃的レコードタイムよ永遠に。安らかに眠ってください。

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