きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

会員愛馬の軌跡 (1)
幾多の困難を乗り越えた不屈の戦士 ホウヨウボーイ

ようこそいらっしゃいませ。

今日は幾多の怪我に見舞われながら不屈の闘志で頂点までのぼりつめた一頭の名馬のお話です。
1975年4月15日、北海道門別に一頭の美しい栗毛馬が誕生します。
母ホウヨウクインは、祖父が名種牡馬ネアルコのレアリーリーガル。
父ファーストファミリーは、『ビッグレッド』の異名を持つアメリカ三冠馬セクレタリアトの半兄にあたる良血の一族です。
父母の持つ優秀な遺伝子を受け継ぎ、「ロイヤルチャージ4×3」というインブリード(奇跡の血量18.75%)を持つ良血馬としてホウヨウボーイが誕生したのです。
デビュー戦は6馬身差の圧勝劇でしたが、レース後に右前脚の管骨骨折が判明し、全治6ヶ月休養となると、ここからホウヨウボーイにとってまさに不運ともいえる怪我との戦いが始まります。
右前脚の骨折が完治し、クラシック最後の菊花賞へ向けて調教を始めた矢先に今度は左前脚の管骨を骨折。
二度目の骨折により、良血馬ホウヨウボーイのクラシックシーズンは一度も出走することなく幕を閉じました。
脚を骨折することが競走馬にとってどれだけ致命的なアクシデントであるかは明白でした。
しかし、ホウヨウボーイの素質を高く評価していた二本柳俊夫調教師は1年以上休養しながらも有馬記念を制した名馬タニノチカラを例にあげ、オーナーを必死に説得したそうです。
ホウヨウボーイが復帰したのはデビュー戦から1年9ヶ月後の条件戦でした。

復帰戦を難なく勝利した彼は、今まで溜めに溜めた力を解放するかのように着実に勝ち上がっていきます。
デビュー戦で見せた潜在能力の高さは失われておらず、初重賞挑戦となった日経賞まで8戦6勝〔6・2・0・0〕とオール連対の素晴らしい成績でした。
6歳馬となったホウヨウボーイは、強敵揃いの有馬記念でダービー馬カツラノハイセイコと激しい叩き合いの末、ハナ差勝利をもぎ取る大金星をあげたのでした。
翌年の天皇賞(秋)でもモンテプリンスと死闘を繰り広げ、ゴールまでの200m、約12秒間にわたる2頭の競り合いは天皇賞史上まれにみる名勝負として今でも語られています。
2度の骨折にみまわれ、オーナーも引退を考えた程の故障から、まさに不屈の闘志で立ち直り、頂点まで上り詰めたホウヨウボーイは2年連続で年度代表馬に選出されています。
引退後、種牡馬となりますが、翌年にストレス性の胃破裂で急死してしまい、僅か1世代しかその優秀な血を残すことができませんでした。それに30数頭の産駒の中で牝馬はわずか7頭と少なく、現在ではホウヨウボーイの血は完全に絶えてしまっています。
不屈の闘志を受け継いだ子たちがターフで見られないのは非常に残念ですが、ホウヨウボーイが私たちに残した功績は、筋書きのないドラマとして競馬シーンを大いに盛り上げてくれました。


◇ホウヨウボーイ◇
1975年4月15日生
父 ファーストファミリー
母 ホウヨウクイン
生産 豊洋牧場
馬主 古川嘉治
調教師 二本柳俊夫
主な成績 
19戦11勝〔11.5.0.3〕
有馬記念〔G1〕 1980年
天皇賞(秋)〔G1〕 1981年
年度代表馬 1980・81年

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