ゲスト
オニャンコポン号担当 武田 健作さん 美浦・小島茂之厩舎

02. オーナーが競馬場に応援にきてくれるのは、うれしいです。勝って、また口取り写真が撮れるといいなと思います。

オーナーが競馬場に応援にきてくれるのは、うれしいです。勝って、また口取り写真が撮れるといいなと思います。
小島茂之厩舎でオニャンコポン号を担当する武田健作さんをゲストに迎えお届けする『イケメンホースたち〜担当者が思う愛馬の素顔〜』。後編では、武田さんが競馬の仕事に携わるきっかけや、6歳になりセン馬となったオニャンコポン号についてお話を伺いました。

競馬の仕事に携わるきっかけ

細江武田さんは、ご出身はどちらなんですか?

武田北海道の釧路です。

細江北海道ですか。じゃあ、子供の頃から馬に親しんで?

武田いえいえ。普通に高校に行って、電気関係の会社に入りました。みんな仲のいい職場で、その人たちが競馬の話をよくしていましたね。当時はナリタブライアンのこととか。

細江それで、競馬に興味を。

武田全然(笑)。そこで2年働いたんですよね。で、成人式を向かえたので、電気関係とは違う仕事をしよう!と思ったんです。当時のJRAのCMが高倉健さんと、裕木奈江さんでした。その2人が牧場の馬房の掃き掃除をしたり、牧柵の回りで何かしたり。

細江それなら、できそうって?

武田まあ…(笑)。ちょうど、牧場の求人もあったし。電話したら、「じゃあ、おいでよ」って言ってくれたので。

細江でも、20歳で初めて馬の仕事に就くのは大変だったんじゃ?

武田すご~く大変でした。一緒に働くのはニュージーランドやオーストラリアから来た女性たち。言葉は通じないし、馬のことは何も分からない。友達がいないので、仕事以外の時間は部屋でズ~っとラジオを聞いていました。前の会社の同僚が1、2回遊びにきてくれたんですが、心配していましたね(笑)。

細江馬に乗るのはどうでした?

武田同僚の外国人の女性たちが、教えてくれました。手入れもですが、鞍のつけ方も分からない。そうしたら、牧場にいた乗馬馬で「教えてやるから」って。最初はロンギ場でグルグル回る。鐙に脚をかけないで手でバランスを取ることからでした。

細江大丈夫でした?

武田タッタッタッタッタッって、速歩で走らせますよね。そのうち、力尽きて落馬をする。その繰り返しです。でも、教えてくれている人たちは「グッド!」って言うんです。そこから、また乗って落ちての繰り返し。もう、「嫌われてるのかな」って疑ったぐらい(笑)。

細江北海道にきたことを、後悔しちゃいそうです。

武田後悔しても逃げられないですから。金も車もない(笑)。でも、今ならあれが親切だったのは分かるんです。大変でしたけど、みんないい人だったし。おかげで、だんだん乗れるようになって、ほかの牧場に移りました。そこに、益田競馬場の調教師さんがきていて、「競馬場で働けば?」って。

細江それで、競馬場の仕事を目指すことに?

武田先生の話を聞いて、楽しそうだなと思いましたね。それで、門別の厩舎に紹介してくれるという話もあったんです。

細江じゃあ、地方競馬のスタッフから始めたんですか?

武田いえ。その頃、静内で飲んでいたら、隣の席になった人が「JRAの競馬学校の厩務員課程の試験を受けるんだけど、年齢的に今年がラストチャンスなんだ」って話してくれたんです。で、「武田くんも、一緒に受けようよ」と誘われました。その人が、後にジョーカプチーノを担当した坪田調教助手です。

細江すごい出会いですね。それで2人とも合格したんですね。学校を卒業して、最初はどこの厩舎に?

武田諏訪富三厩舎です。そこが解散となって、新規で開業した小島茂之厩舎にくることになったんです。

大切にしていること

細江武田さんが、これまで厩務員さんを続けてきて、大切にしていることは何ですか?

武田極力、馬と一線引くように心がけではいます…けど可愛いいし。

細江ジョッキーや調教師さんが普段は厳しい分、厩務員さんが優しくしてくれるって悪くないと思いますよ。オニャンコポンと接するうえで、心がけていることはありますか?

武田何もないんです。若い頃は鞍をつけるときにイタズラをすることもありましたが、それもしなくなりました。普段は我が儘も言いませんし。年齢を重ねても変わらないのは、体の柔らかさですね。

細江ネコみたいに?

武田そうですね。朝は自分でグ~っと脚を伸ばしてストレッチしてくれますよ。私はそれを補助するだけです。体幹も、変わらずいいです。

細江性格はどうでしょう?少し個性的なんでしたっけ?

武田基本的に大人しいんですけどね。新馬戦の時は馬運車で大暴れしました。でも、競馬場に到着すれば淡々としている。装鞍所もパドックもです。

細江馬運車に関して何か対策は?

武田馬運車って4頭乗せますよね。前に2頭、後ろに2頭の横並びで。で、たいていは前が牡馬になります。でも、一度、後ろに積んだら大人しかったんです。それからは、チョッとわがままを言わせてもらって、牡馬4頭で、後ろに積ませてもらっています。

細江こだわりが強いんですかね?

武田どうでしょう?そういえば、装蹄も午前中なら大丈夫ですが、午後は嫌がります。あとはゲートですね。ホープフルSの時に暴れ出したタイミングが、何だったのか、未だによく分からない。他の馬が暴れている時は知らんぷりしていたのに、「じゃあ、そろそろ俺も暴れてみるか」って感じでした。もう、すべてが自分のリズム次第なんでしょうね(笑)。

セン馬になって変わったことは?

細江東風Sからセン馬となりましたが、それで変わったりは?

武田ないですね。基本的には牝馬が好きなんですけど、っていうか大好きなんですけど(笑い)、セン馬になる前は牡馬が好きなのかな~と思うことはありました。一部の特定の牡馬に対してだけですが。でも、それがセン馬になってからは、なくなりましたね。

細江女の子、大好きなんですか(笑)。

武田馬っ気が強い時期があって、その頃は“ネコ親父”って呼んでいました。

細江なんか、カワイイですね。他には、どう呼んでいるんですか?

武田以前、記者さんに取材された時に、“ポンちゃん”と呼んでいますといったので、オフィシャルでは“ポンちゃん”です。でも、大抵は“オニャ”とか“ニャン吉”とか。年を取ってからは“ネコ殿”ですかね。

細江ネコ殿、いいですね。ところで普段、オーナーさんを意識することはありますか?

武田出走するとき、オーナーが競馬場に応援にきてくれるのは、うれしいですよね。勝って、また口取り写真が撮れるといいなと思います。

(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

細江 純子
1975年愛知県蒲郡出身。1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2,000年日本人女性騎手として初の海外勝利(シンガポール)。2001年引退。引退後はホースコラボレーターとしてフジテレビ『みんなのKEIBA』関西テレビ『競馬BEAT』に出演。夕刊フジ・アサヒ芸能などにコラムを連載中。書籍は『ホソジュンのステッキなお話』文芸ポストでの短編小説『ストレイチャイルド』。

※この記事は 2025年10月14日 に公開されました。

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