ゲスト
サトノレーヴ号担当 齊藤 隆介さん 美浦・堀宣行厩舎

02. 怪我なく競走成績を上げさせるのが僕らの仕事。馬の小さな変化を見逃さないようにと考えています。

怪我なく競走成績を上げさせるのが僕らの仕事。馬の小さな変化を見逃さないようにと考えています。
堀宣行厩舎でサトノレーヴ号を担当する齊藤隆介さんをゲストに迎えお届けする『イケメンホースたち〜担当者が思う愛馬の素顔〜』。後編では、齊藤さんが競馬の仕事に関わるきっかけやホースマンとして大切にしていることなどをお聞きしました。

厳しい競馬を経験してからの馬の変化

細江順調に調整を積んで向かえたクイーンエリザベス2世ジュビリーSの当日ですが、当日の様子はいかがでした?

齊藤事前に先生とアスコット競馬場に行って、当日のためのリクエストをしていました。待機馬房からパドックへ向かう動線なども確認して。滞在馬房の近くは電車こそ通りますが、とても静かでいい馬房を割り当ててもらえました。

細江馬場が硬くなるということで、日本馬であるサトノレーヴの評価が高くなり1番人気に。

齊藤まったく雨が降らなかったので、ニューマーケットの調教コースの馬場も硬かったですね。芝のコースには入れられないほどでした。

細江その馬場状態は、レーヴにとってアドバンテージになると?

齊藤そう思っていました。勝つことしか考えていませんでしたからね。前日までの馬場状態を見て、ゲートが開く瞬間からハミのかかり方など、自分でイメージしていたものと比べるようにレースを見ていました。

細江当日は堀先生とラチ沿いでレースをご覧になったんですよね。スタートして、馬群が左右のグループに分かれたのは大きかったですよね。

齊藤勝ったラザットのジェームス・ドイルジョッキはうまく乗ったと思います。あえてスタートから出して行って、スッと右側の馬群に寄せていきましたよね。たぶん、サトノレーヴの目標になりたくないって気持ちがあったのではと。

細江最後は2頭が馬体を併せる大接戦でした。

齊藤モレイラさんはレース後、少しの運が足りなかったと言っていました。上がってきての息づかいが荒くて。これまでにないタフな条件でしたし、しっかり走ってきたんだなと。その後の息の入りはスムーズでした。頑張ってくれましたよね。

細江厳しい競馬を経験して、馬に変化は感じますか?

齊藤物事に動じなくなりました。帰りはニューマーケットから陸路でドイツまでの輸送でした。ドーバー海峡を越える時、乗っている電車の大きな音がしますよね。それも平気でした。もともと、輸送は大人しいタイプなんですが、それでも「たいしたもんだな」と感心しました。

細江頼もしいなって?

齊藤はい。積み込みの時はメンコをつけたんですが、痒がって傷をつけることがあると聞いて、途中で外したんです。それでも、フランクフルトから成田への空路も落ち着いていました。

細江齊藤さんとサトノレーヴは一緒に2か月ほど、海外を渡り歩きました。日本に帰ってきてどうですか?

齊藤検疫で競馬学校に入った2、3日は静かにしていたんですけどね。どんどん元気が戻って、ニューマーケットでは見せなかったような切れのある動きをしたり(笑)。

細江やっぱり環境なんですね。検疫中は馬房も運動も1頭でですよね。寂しがったりは?

齊藤ニューマーケットではジェームズ・ホートン厩舎と一緒に調教をしていましたが、サトノレーヴは運動時間をさらにプラスしたいので、森の中を歩いたりと別行動をすることも多かったんです。この時も寂しがったりしませんでしたし、大丈夫ですよ。

競馬の世界を目指すきっかけ

細江そういえば、齊藤さんはアイルランドにいたことがあるって。競馬の世界を目指すきっかけは、なんだったんですか?

齊藤実家が千葉県市川市なんです。だから、小学校の遠足は毎年、中山競馬場でした(笑)。それで、馬を見る機会は多かったんです。で、中学校3年生の時、進路を考えて馬の仕事がしたいなって。僕、今年で46歳になるんですけど、その頃って競馬ブームだったんですよ。

細江あれ?その頃って競馬ゲームも人気だったんじゃ?

齊藤そうですね。でも、ゲームはやらなかったですね~。馬がキレイだなって思って興味を持ったんです。それで、高校に入ってから、中山競馬場の乗馬苑に通い始めました。

細江高校生からの乗馬って、かなり遅いほうですよね。

齊藤はい。だから難しいし、それが楽しいし。力でコントロールできないし、これは何なんだろうって。そう考えてやっているうちに、ハマりましたね。

細江それで、高校を卒業してからは?

齊藤北海道の牧場に行きました。その頃、エルコンドルパサーがフランス遠征していたんです。衝撃を受けましたね。すごい!って。

細江エルコンドルパサーの歩みは素晴らしかったですね。

齊藤それを見て、とにかく海外競馬が見たい!と思いました。その時、タイミング良くイギリスのジョン・オックス厩舎に行けることになりました。

細江2009年の英2000ギニー、英ダービー、凱旋門賞などを制したシーザスターズを育てた名調教師ですね。

齊藤はい。そこで3年働いてから日本に帰って競馬学校に入りました。

細江それで、美浦のトレセンに入り、いくつかの厩舎を経て、いまは堀宣行厩舎で助手さんを勤めているんですね。

齊藤その堀厩舎で、エルコンドルパサーに乗っていた佐々木幸二助手と一緒に仕事をしているって、不思議な縁ですよね。

細江佐々木大輔騎手のお父さんですね。すごい方です。また、堀先生って、どんな方ですか?日本の調教師さんの中では、仕事の進め方やコメンとの仕方が、ヨーロッパの調教師さんに似ているように感じます。

齊藤たしかに、そうですね。やったことと、結果のフィードバックをすり合わせ、次に進んで行きます。それに、本当に小さな馬の仕草の変化も見逃しません。それは、驚くぐらいです。

ホースマンとして大切にしていること

細江齊藤さんご自身が、ホースマンとして大切にしていることって何ですか?

齊藤競走馬は現役中はレースで走る運命を背負っています。その間は怪我なく、競走成績を上げさせてあげるのが、僕らの仕事です。ですから、馬の小さな変化を見逃さないようにと考えています。それと、調教が進むごとに、馬は気を張っていきますよね。それを、うまくリカバリーしてあげたいなと。そのためにも、人目線ではなく、馬目線で接していかないとと思っています。

細江心のケアも大切になさっているんですね。心身のバランスって、競走馬に一番求められるものだと、私も思います。

齊藤自分が携わっている間、幸せだと思ってくれるようにしたいなと。リラックスする時間を作るって、本当に重要なんです。イギリスにはその辺り、長年蓄積したノウハウがたくさんありました。歴史の深さを感じましたし勉強になりましたね。近年は海外遠征が増えていますし、日本のホースマンの意識も向上されていると感じます。

細江得るものの多い遠征だったんですね。サトノレーヴの帰国初戦は、スプリンターズSが有力でしょうか?

齊藤まだ決まっていませんが、このタイミングでの帰国ですからね。その可能性は高そうです。

細江昨年7着の雪辱を果たしたいところですね。あの時は、少し動きが硬かったように感じましたが?

齊藤あれは硬いというか、心身のバランスが崩れちゃったのかなと。サトノレーヴは3歳の秋に右トモの歩様が悪くなって、4歳はほぼ棒に振ってしまいました。ようやく、5歳になった昨年、順調にレースを重ねられるようになったところだったんです。だから、夏場に体重が増えたのは成長期にあるのだろうと思って、あまり気にしていませんでした。

細江たしかに、8月のキーンランドCでは16Kg増の548Kg、次のスプリンターズSではさらに4Kg増えて552Kgでした。

齊藤そうですよね。キーンランドCの時点で、次はスプリンターズSで中山までの長距離輸送があるし、期間は1か月ほどでした。だから、むしろ体重を減らさないようにしようと思っていたんです。そのため、さらに体重が増えていたんですよね。それで元気が有り余っちゃって。

細江それが、レースに影響した?

齊藤そうですね。さらに、ゲートで後ろ扉を蹴っている馬がいたんです。それで、余計に気持ちが高ぶったんでしょうね。

細江それで、スタートの出が遅くなったんですね。行きっぷりも、らしくないというか…。

齊藤体重も増えていましたからね。

細江今年は本来の能力を発揮してほしいですね。オーナーも楽しみにしているでしょうし。

齊藤勝ってウイナーズサークルで会う馬主さんは、みなさんうれしそうです。その笑顔をみると、馬の頑張りが認められて、さまざまなことが報われたと感じます。一番、やり甲斐と感じる瞬間ですからね。

細江そうですよね。サトノレーヴの活躍を、私も楽しみにしています。

(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

細江 純子
1975年愛知県蒲郡出身。1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2,000年日本人女性騎手として初の海外勝利(シンガポール)。2001年引退。引退後はホースコラボレーターとしてフジテレビ『みんなのKEIBA』関西テレビ『競馬BEAT』に出演。夕刊フジ・アサヒ芸能などにコラムを連載中。書籍は『ホソジュンのステッキなお話』文芸ポストでの短編小説『ストレイチャイルド』。

※この記事は 2025年8月3日 に公開されました。

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