ゲスト
トゥードジボン号担当 井本 貴典さん 栗東・四位洋文厩舎

02. 大事なのは1頭1頭と向き合って、コツコツと積み上げていくこと

大事なのは1頭1頭と向き合って、コツコツと積み上げていくこと
細江純子さんをインタビュアーに迎えてお届けする『イケメンホースたち〜担当者が思う愛馬の素顔〜』。今回はトゥードジボン担当の井本貴典さんに、競馬の世界に入ったきっかけなどを伺います。

競馬の世界に目指したきっかけは?

細江井本さんが競馬の世界を目指したきっかけは、なんだったんですか? ご出身は広島ですよね。競馬場はない県ですが。

井本小学6年生の時、友だち何人かが競馬を見ていたんです。その影響ですね。僕自身、体が小さかったし、普通はジョッキーに憧れるんでしょうけど、馬を育てている厩務員さんって格好いいなって思いました。

細江格好いいし、担当厩務員さんと競走馬の関係って、家族のような関係で魅了されますよね。でも、その時点では馬に触ったこともないのでは?

井本はい。小学校、中学校と野球をやっていましたから。でも、その間も競馬は見ていましたよ。中学の1、2年生の頃には、親に頼んで体験乗馬をしてみたり。馬の背中ってスゴイ、楽しいなと思いました。

細江目線が高くなって、怖いとは感じなかったんですね。

井本はっきり覚えていないですが、たぶんポニーだったと思います(笑)。それで、乗馬への気持ちが高ぶって、高校は馬術部のあるところに進みました。当時、広島に1校だけあったんです。実家からは離れていたので、寮生活をすることになりました。

細江そこからは、馬術中心の生活に?

井本はい。最初は親元を離れる不安もあったんですけどね。朝練して、午後は飼い葉をつけて。インターハイを目指して練習して、合宿して。充実していたし、楽しかったです。

細江乗馬って、知れば知るほど奥が深く難しい反面、面白みもあるんでしょうね。

井本そうですね。指導してくれた先生は、馬術を通して人間的にも成長するようにと教えてくれました。常々、「馬は人間を映す鏡だ」とおっしゃっていました。いまだからこそ、その意味がよく分かります。

細江担当の厩務員さんや助手さんと馬って、性格やしぐさが似てきますもんね。

井本良くも悪くも似てきますよね。だから、先生の教えには感謝しています。

細江大学でも馬術を続けたんですよね。

井本はい。宮崎の大学だったので、宮崎育成場で寝わら上げのアルバイトをして、馬の飼い葉代を稼いでいました。

細江競馬関係のアルバイトって、部費を稼ぐ馬術部の人たちが多いですもんね。そこで、将来の仕事のことも考えたんですか?

井本JRA職員の方たちに、競馬に携わるさまざまな仕事を教えてもらう中で、厩務員になりたいという思いが大きくなりました。馬術部在籍中にお世話になった方が、宇治田原優駿ステーブルを紹介してくれたんです。これは偶然なんですが、その方は四位先生の乗馬の師匠でもあるんですよ。

細江不思議なご縁ですね。

乗馬との違いに戸惑い、無我夢中の日々

細江その就職先で初めて競走馬を担当しましたが、乗馬との違いに戸惑いませんでした?

井本あっ、その洗礼って誰もが受けますよね。宇治田原で馬に乗せてもらって2日目ぐらいだったか、坂路で馬に暴走されました。

細江乗馬のやり方で乗ると、そうなっちゃうんですよね。

井本今、考えればそうなんです。でも、当時は「自分はやっていけるのか?」って。そう考えたら、思うように馬に乗れなくなりました。自分の力不足が原因なんですが、その後1、2か月は乗れる馬にだけ担当していました。

細江その悩みは、どう乗り越えたんですか?

井本なりたい職業に就けたんですから、諦めきれないですよね。もう必死です。先輩たちに聞きながら、自分でもどうしたいいか考えました。

細江その後は競馬学校に入学して、卒業後は西浦勝一厩舎の所属となりました。当時の西浦厩舎にはホッコータルマエ、カワカミプリンセスなど個性的な実力馬がたくさん所属していましたよね。トレセンに入ってすぐは、仕事に戸惑ったりは?

井本もう、無我夢中ですよ。真面目に仕事に取り組むんですが、いま思えば「担当馬を走らせたい」って結果を見すぎていました。入って2年目ぐらいだったでしょうか。2勝クラスの馬を担当することになりました。どっしりしているようで、神経質な面がある馬だったんです。それなのに、経験が浅いから結果がでないと焦って色々と試しちゃったり。

細江よかれと思っての、方向転換みたいな?

井本はい。自信がないから、今やっていることを我慢して続けることができないんです。コロコロとやることを変えすぎて、馬を戸惑わせて負担をかけていたように思います。

細江よくベテランの厩務員さんが、おっしゃるんですが、担当する馬に、どのぐらいのポテンシャルがあるか、距離適性や成長の時期などを予測してみるって。その青写真から、いまはどの段階かと考えながら育てていくって。だから、点じゃなくて、馬の成長に合わせての線でみているんですよね。

井本そうそう。西浦厩舎の先輩たちの仕事を見ていると、馬の一生を想像して、馬作りをしているなって気がつきました。それを見習おうって。

大事なのは1頭1頭と向き合って、コツコツと積み上げていくこと

細江トライアルで「この馬体で大丈夫なの?」ってビックリすることありますよね。でも、ギリギリに作ったら、その先のビッグレースでお釣りのない状態になっちゃう。かなり、広い視野で考えてのことなんですよね。

井本そういう視点が大事だと思いました。また、ちょっと引いて見るというか、馬に対して先入観を持たないようにしています。いちおうの、レースに向けての予測は立てますが、馬の状態は毎日違うので、その日の状態に合わせて対応するようにしています。

細江西浦厩舎には、知識の引き出しのたくさんあるスタッフがたくさんいましたよね。

井本本当に恵まれました。自分の判断が正しいとは限らないですよね。自分の目だけに頼らず、困ったら相談できる経験豊富な先輩たちが、たくさんました。

細江その西浦厩舎は、2021年に先生の定年で解散になりました。西浦先生のところには、何年いらしたんですか?

井本2008年からなので、約12年ほどですね。

細江同年に開業した四位厩舎の所属となり、トゥードジボンと出会うんですよね。残念ですが、トゥードジボンは屈腱炎でしばらくお休みとなりました。オーナーは現役続行と考えているそうですね。

井本なんとか無事に復帰して、もうひと花咲かせてオーナーに喜んでもらいたいです。

細江関屋記念のときは、オーナーは競馬場にいらしたんですよね?

井本はい。「ありがとう」と声をかけてくださいました。うれしかったですね。いつも、きょうの調教はどうしようとか、考えながら仕事をしています。それも、オーナーが馬を預けてくださっているからできることなんです。日頃から「この人に自分の馬を担当してほしい」と思われるような仕事ができればと考えています。だから、ウイナーズサークルで、オーナーが喜んでいる顔を見られたのは最高でした。

細江担当者として、一番うれしい瞬間ですよね。井本さんが担当した重賞ウイナーは、交流重賞を制したティアップワイルド、ハギノアレグリアスに続く3頭目となりました。井本さんの、これからの目標ってなんですか?

井本大事なのは1頭1頭と向き合って、コツコツと積み上げていくことだと思っています。それが大前提で、その結果として、血統表に名前が載るような馬を育てられるといいですね。

細江育てた馬の血がつながっていく。競馬の醍醐味ですね。これからの、トゥードジボンの走りも楽しみです。ありがとうございました。

(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

細江 純子
1975年愛知県蒲郡出身。1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2000年日本人女性騎手として初の海外勝利(シンガポール)。2001年引退。引退後はホースコラボレーターとしてフジテレビ『みんなのKEIBA』関西テレビ『競馬BEAT』に出演。夕刊フジ・アサヒ芸能などにコラムを連載中。書籍は『ホソジュンのステッキなお話』文芸ポストでの短編小説『ストレイチャイルド』。

※この記事は 2024年12月1日 に公開されました。

×