ゲスト
小林寛道 さん 東京大学 名誉教授

01. 日本陸上界の発展を支えた異色の研究者と競馬のコラボ

日本陸上界の発展を支えた異色の研究者と競馬のコラボ
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。今回のゲストは、東京大学名誉教授・小林寛道さんです。小林さんは、高地トレーニング、低酸素トレーニング、食事栄養のサポート、トレーニングマシンの開発などに取り組み、陸上競技選手の国際競技力向上に貢献されたほか、日本競馬会と競走馬の研究もされてきました。Youtubeチャンネル「【東大式】小林寛道監修 - 運動能力の高め方」で最新スポーツ科学の情報を発信。「衝撃!! 速い馬はここが違う!JRAと競走馬の研究をしていた東大名誉教授が研究結果を徹底解説」は165万回以上再生されています。前編では、小林さんこれまでされてきた研究・取り組みについてお話を伺いました。

東大の陸上部の監督もやりまして、今は教え子に政治家が結構います

梅田今回は東京大学名誉教授でいらっしゃいます小林寛道先生にお話を伺います。私がYouTubeを何気なく見ていたら、ちょうど小林先生のYouTubeがパッと出てきまして、実はそれで先生のことを知りました。拝見させていただいて、とても内容が興味深かったので先生にお会いしたいと思いました。先生については、運動生理学、走ることや体を使うことに関する研究の第一人者と言うか、どのようにご説明したらいいでしょうか。

小林「スポーツ科学」というのが一番広い言い方ですね。

梅田なるほど。先生がこの世界に入ることになったきっかけは、どのようなことからだったのでしょうか?

小林1964年に行われた東京オリンピックですね。 大学1年生のとき、東大駒場キャンパスの第1、第2グラウンドがオリンピックの陸上の練習場になったんですよ

梅田そうだったのですか!

小林そうなのです。練習場があって、それで選手のお世話をしていたのです。私も陸上部だったのですよ。

梅田陸上部でいらっしゃったのですね。それがきっかけで体の使い方とか、いろんな研究をしていくことになったのでしょうか。

小林そういうことに興味があったということはあります。あと、当時としては運動というのは“普通の勉強”よりも扱いが低かったのですよ。スポーツというのは(苦笑)。そういう物理とか化学とかのサイエンスに比べたら、運動はちょっと低い感じでした。

梅田運動こそサイエンスですよね?

小林今はそういう時代になりまして、立派なことを言えば「そういう未来を予見していた」という感じでしょうか(笑)。ただ、私が入った時は、こういう世界があるということも、よく分かっていませんでしたけどね。

梅田そうすると、もうずっと子供の頃から走ることだったり、運動することが得意だったのでしょうか?

小林いや、それほど得意ではなかったですね。小学校の時は水泳が得意だったんです。世田谷区ではそこそこだったのですが、中学校に行ったらプールがなかったんです。それで水泳部で部活動をするということはできなくて、まだ当時はスイミングスクールというものもそれほどなかったのですよ。今からすれば70年前ぐらいの話です。

梅田私は1978年、昭和53年生まれですが、もっともっと前の頃のことですね。

小林それでクラブ活動自体もそこそこやりましたけど、これからは勉強で身を立てるしかないかなと思いました。そんなにスポーツが強くない学校でしたしね。やっぱりトップを狙うにしても、自分の能力からすると無理だなと(苦笑)。今はスポーツだと将来のオリンピック選手になるとか、すぐに飛躍するじゃないですか。でも現実を見ると、とてもそんなレベルではなかったので。高校も陸上だったのですけどね。

梅田先生のプロフィールを拝見して、新宿御苑の近くの新宿高校に通っていらっしゃったそうですね。

小林そこでも陸上部で、結構真面目にやりましたね。

梅田そうなのですね。本当に文武両道の学生時代を過ごされたと。

小林う~ん、勉強はあまりできませんでしたね(苦笑)。

梅田いやいや先生、勉強ができない人は東大に入れないですよ。今は母校の教壇にも立たれているわけですものね。

小林まあ、そうではありますが、世の中には優秀な人っているんですよ。本当に優秀な人って。

梅田先生から見てもそうなのですか?

小林東大の先生になりましたけど、東大の先生というのは大体みんな出来がいいじゃないですか。でも、この人は本当に頭がいいなあ、という人がいるのですよね。

梅田やっぱりそうなのですか。その中でも、またさらに、ということですね。

小林はい。でも、最終的には頭がいいだけじゃダメだということがよく分かりました。

梅田それはどういうことですか?生まれ持ったものなのか、競馬で言うと血統なのか、努力なのか…?

小林やっぱり勉強だけではなくて、人柄がいいとかですね。人とうまくやっていけるとか、うまくコミュニケーションが取れるとか、人のことを思いやることができるとか、そういうファクターがいろいろあるじゃないですか。この大学には頭が良くて、勉強ができて、格好のいい人が実際にいます。そういう人には、かなわないじゃないですか。そういう人にも会ってきているので、僕は一応、視点は幅広いですよ(笑)。

梅田そんな優秀な先生がオリンピックに関わられたりしてこられたのですね。

小林あと、東大の陸上部の監督もやっていまして、当時の教え子に政治家が結構います。今一番有名なのが玉木雄一郎(衆議院議員、国民民主党代表)かな。僕が監督の時の生徒ですよ。だから僕に言わせれば、「玉木君」ですよ

梅田やはり「玉木君」は優秀でしたか?

小林目がクリッとしてかわいらしい感じがしたよね(笑)。

僕が陸上競技連盟の科学委員長をやっていた時は、オリンピックや世界選手権で日本選手がメダルを取りました

梅田そうなのですね(笑)。

小林私は東大だけではなくて、名古屋大学の先生もやっていたのですよ。70年から86年まで名古屋大学にいました。そこでも結構、活躍したのですけど、東大が霞んでしまったのですよ。名古屋の方が何だか立派になってしまって。それで「どうしても帰って来い」と言われてということをYouTubeの第1回目で話しています。

梅田名古屋にもいらっしゃって、アメリカにも行かれていた時期があるのですよね。東大に帰って来られたのは80年代、ちょうどバブルぐらいの時期でしょうか。

小林アメリカから帰ってきて陸上部の監督もやりましたし、日本陸上競技連盟から話があって、次の世界陸上を1991年に日本でやるということもあって、どうしてもマラソンでメダルを取りたいという話が来たのですよ。

梅田強化をしたいということですよね。

小林そうです。マラソンの瀬古利彦選手、中山竹通選手、宗兄弟(茂、猛)選手の頃ですが、どうしてもメダルが取れないのですよ。

梅田あと一歩というところで。

小林そうなのです。4番とか9番とかでしてね。それで何とかしてメダルを取るには、やっぱり科学の力を利用すべきではないかというマスコミからの声が大きくなったことで、陸連も当時は科学なんて信じていなかったですけど、“重い腰”を上げた経緯がありました。なかには、「合宿費をもっとだせ」、「科学なんかやったって弱くなるだけだ」、「理屈っぽくなるだけだ」なんて、声高に言う人もいましたね(苦笑)。それで僕も名古屋大から東大に来たばかりでしたが、「やりましょう」ということでスタートしました。それで暑さ対策や高地トレーニング、スポーツ栄養学の研究などを同時に始めました。やはりスポーツというのは、一つのことだけものすごく優れていても、あまりうまくはいかないのですよ。

梅田そうなのですか?

小林一つだけものすごく優れていても、体の調子によって疲労骨折をしたり、コンディションが悪くなってしまったりするので、全てがうまくいかないといけません。いわゆる“マイナスの要因”になるものをできるだけ省くようにする。科学的にコンディションをうまく作るということですね。みんな練習をやりすぎて、体を壊してしまったりすることがありますからね。それで暑さ対策で暑いところでマラソンを走っても大丈夫なように工夫をしたりして、それで全てがうまくいったんですよ。

梅田その時の世界陸上での結果はどうだったのでしょうか。

小林1991年世界陸上では金メダル(男子マラソン・谷口浩美選手)、銀メダル(女子マラソン・山下佐知子選手)でした。

梅田金と銀で、すぐに結果が出たのですね!

小林次の1992年がバルセロナ夏季五輪で、谷口さんは靴が脱げてしまうアクシデントがありましたけど、女子マラソンの有森裕子さんと男子マラソンの森下広一さんが2番になって銀メダルだったのですよ。それで男子マラソンの中山竹通さんが4番で、女子マラソンの山下佐知子さんも4番でした。それで次の1996年のアトランタ夏季五輪は浅利純子選手が金メダルを取る予定だったんですけど、足にマメができたりとか朝に大雨が降ってしまいまして…。それでも有森裕子さんが頑張ってくれて銅メダルを取りました。その次が2000年のシドニー夏季五輪でしたが、女子チームの監督さんの方が僕の言うことをよく聞いてくれるんですよね。なんだか男子の方が反発していてね(苦笑)。それで女子チームを強くしようとなって、シドニーで高橋尚子さんが金メダルを取ってくれました。

梅田あー、“Qちゃん”ですね!

小林そしてその次は野口みずきさんがアテネ夏季五輪で金メダルを取ってくれたという話なんですよ。小出義雄さんや藤田信之さんとか女子チームの監督と仲良くなって、それであらゆることをサポートしたのです。僕が科学委員長をやっていた時は、全部メダルが取れました。

日本の陸上を世界で勝たせるためにやっているんだよ

梅田すごい!やはり本当に“縁の下の力持ち”の役目を小林先生のチームが担っていた感じなのですね。

小林そのほかに1991年の世界陸上では、せっかく世界中から一流の選手が来ますし、選手の技術というものをきちんと研究したいと思っていたので、技術的な面にスポットを当てた記録映像を撮ることにしました。それまでは1964年東京オリンピックの時は「市川崑」という映画監督がいまして、あの人はどちらかと言うと技術とかいうことではなくて、表情とか、アベベの汗がしたたり落ちるとか、選手の部分的なものを映像的に表現するのが得意な監督だったのですよ。それで映画の機材で本格的に撮るのではお金が高いので、当時はビデオカメラが普及し始めていましたから、撮影する人間を80人用意して全ての競技を映像で追いました。だけど、そんなこと普通はあり得ないと周りからは言われましたね(苦笑)。

梅田それはやはり分析をするために映像にしようとしたということですよね。

小林ビデオを撮って分析をして、その中からカール・ルイス選手(男子100メートル)などの世界記録が出たのですよ。マイク・パウエル選手の男子走り幅跳びも世界記録でしたね。そこから結局、どうやって100メートルを走ったらいいのかという話において日本人のやっていることは違うよ、というのが分かってきました。その技術の分析をやったところ、日本人は一生懸命キックしてとか色々やっていましたが、そのやり方は違うよ、世界ではやっていないよ、と言ったのだけど、なかなかね(苦笑)。みんなスポーツをやる人は、自分が成功してはいますからね。

梅田いざフォームを変えるとか、なかなか大変なことですよね。でも、そういう映像を撮って分析をしたり、他と比べて見るということは、過去にはやっていなかったのですね。

小林やっていないですね。それで大学院生とか若い研究者に手伝わせたのですよ。東大の学生や筑波大の学生とか全国から集めました。それで今度はアジア大会とかインターハイとかチームを組んでやったんですよ。その報告書を見て、若い学生たちがスポーツの研究というものにはこういうものがあるのかと知って、それがバイオメカニクスという学問分野なのです。

梅田バイオメカニクスって日本語で言ったら何と言ったらいいのでしょうか?

小林動作分析、動作力学とか運動力学とかですね。それでスポーツ科学は面白いという話になってきたのです。

梅田今ではすごく当たり前にスッと入ってきますけど、当時は「えっ?」という世界だったのでしょうか。

小林動作分析で言えば、例えば100メートルレースで、走行中に横からずっと映像を撮ろうと思った時、今は撮影用のカメラを走らせるのです。

梅田競馬のレースでも一緒ですね。

小林そうです。それで、この撮影する装置をどうやって開発するかという話にもなりました。走路に並行して設置したレールの上を走らせたり、空中からワイヤーを吊るして、スーッと移動させたり、車で並走したりするなど、現代では技術的に改良されていますが、1991年当時は、ビデオカメラを15台、スタンドからコースに向けて横に並べて、選手の走行技術を連続的に撮影していく方法をとりました。カール・ルイス選手は何であんなに速く走れるのかということを分析して、技術の特徴を日本選手と比較しました。日本の陸上を世界で勝たせるために研究を進めましたが、日本選手の場合、1人ではかなわないので、リレーで勝負しようとなりました。それで今はリレーもメダルを取っています。

梅田リレーも強くなり、活躍が著しいですよね。

小林そうやっていろんなことをやってきました。みんなそういう体の使い方ができないので、手足の筋肉だけではなく、基本的には体幹の深部、深いところの筋肉をうまく使って動かさなければ、ああいうふうに走れないのですよね。

梅田陸上も、やっぱり体の深いところの筋肉が大事なのですか?

小林陸上“も”ではなくて、陸上“から”でしょう。

梅田失礼しました(苦笑)。

早い人は1回で変わって結果が出ます

小林あと競馬の話をする前にもう一つだけ。こういうマシンは体幹をうまく使うことができない人に対して、そういう動きを学習するマシンなのですよ。だから筋トレのマシンじゃなくて、動きを身に付けるマシンなのです。だから神経系のマシンなんですね。

梅田普通のスポーツクラブにあるマシンとは違うわけですね。

小林はい。これは1台200万円とか350万円とかいう、そういうクラスのものですから。 普通のところではとても手が出ないですね。

梅田これで体幹を鍛えて、実際にアスリートの方で結果が出たりとか、順位が上がったりとかしているのでしょうか?

小林いくらでも結果は出ています。例えば一番有名なところでは箱根駅伝に東大の選手が関東学生連合チームで出ているのですよ。この間(2026年)は2人(4区・本多健亮、7区・秋吉拓真)出ていますが、ここでマシントレーニングもしています。2人のうち1人(本田君)は、このジムでアルバイトもやっています(笑)。

梅田では、いつもこのマシンを使ってトレーニングされていたのですね。

小林今、東大の陸上部は強いですよ。今年は箱根駅伝で2人出ましたが、昨年(2025年)は、8区秋吉拓真、9区古川大晃、の2人、その前も近藤秀一君(2019年1区)が出ています。

梅田これで体幹を鍛えてみて、どのぐらいで結果というか、変わってくるものなのでしょうか?一概には言えないと思いますが。

小林早い人は1回で変わって結果が出ますね。

梅田1回ですか!?

小林「その体の使い方は間違っているから、こうやりなさい」と教えるでしょう。それで正しいやり方ができれば変わります。

梅田これで先生ご自身も鍛えていらっしゃるのですか?

小林僕の場合は鍛えても、上限が分かっていますから。健康のためにはやってはいますけど。

梅田腰痛などとは無縁のように思えます。

小林全くないですね。

梅田やっぱりそうですよね(笑)。

小林腰痛なんかは…、とまで言うと“ビッグマウス”と思われてしまいますが、少なくとも軽減はしますよ。あんまり言い過ぎると、お医者さんなどに「いい加減なことを言うな」と言われてしまいますから。

梅田いえいえ、先生は開発者でいらっしゃいますからね。

小林こちらは競歩用に開発したマシンです。僕は競歩の技術の研究もやっていて、「そんなことをやって競歩で世界に勝てるわけがないだろう」なんて言われていました。でも、20年後には鈴木雄介君が当時の世界記録(2019年世界陸上ドーハ大会男子50キロ競歩で金メダル)を樹立して、山西利和君がハーフマラソン競歩の世界記録を持っています。基本的には、ここの技術ですよ。東大からは、明石顕君が、2007年大阪の世界陸上選手権大会に日本代表で出場しています。

梅田何だか競歩の歩き方とこの手前の機械の動きは、ちょっと似ているのかなと思いました。

小林似ているでしょう?“目利き”ですね。その通りです。

梅田私もスポーツを見るのが大好きなので、動きが同じだなと思いました。あれってやろうと思ってもできないですよね。でも、これは競歩の歩き方だなと気付きました。

小林もともと競歩を強くするにはどうしたらいいかと考えたら、今でいう「歩行訓練技術」なんです。

梅田へぇー、そうなるとお年寄りのリハビリなどにも使えるというわけですか。すごいですね。アスリートからリハビリまでフォローされている感じで。

小林結局、人間が持っている能力というか、骨格からくるところの特徴があるわけじゃないですか。それを上手に生かす方法や技術があるわけで、これは人間でも馬でも動物でも、みんな同じです。だから私の競馬に関するYouTubeも骨格の話から入っているわけですよ。骨格で言えば、馬は中指1本で走っているわけですから。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋、Photograher:山口比佐夫)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2026年8月5日 に公開されました。

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