01. テイエムオペラオーなど数々の名馬と培った騎手としての哲学
ジョッキーとして現役最後の日に退院したんですよ
梅田今回はこの春にジョッキーから調教師に転身されました和田竜二調教師にお話を伺います。まずは騎手生活30年間、本当にお疲れさまでした!
和田いつの間にか終わっていました(苦笑)ジョッキーとして現役最後の日に退院したんですよ。2月28日です。(藤岡)佑介が引退式をやっている時、その日の昼間に退院できたというところでした。
梅田では、ご自宅で藤岡佑介さんのセレモニーをご覧になっていたのですね。
和田そうですね。自宅に帰るか、帰らないかくらいのタイミングで見ていました。
梅田ニュースなどでは落馬負傷の治療に半年くらいかかると聞いていましたが、今も痛みなどはいかがなのでしょうか?
和田歩くことはましになってきたかなという感じなのですが、馬に乗ったり、激しい運動をするのには半年はかかると思います。(左膝の)前十字靱帯を再建しているので、落ち着くまでには半年かかるという感じですね。全治なのかどうなのかは分かりませんが、半年後くらいから乗り出してもいいんちゃうか、くらいの感じです。
梅田やっぱり、それくらいかかるのですね。
和田骨折とかだけだったら、よかったんですけどね。
梅田気合で何とかなるとかいう問題ではなくて、間違いなく痛いですもんね…。
和田朝とかは(患部が)硬いですけど、動かしていけば、だいぶましにはなりました。
梅田今はリハビリ的なこともされながら、次に向けての準備をいろいろとされているところでしょうか。
和田リハビリは通院で週3くらい行っているんですけど、準備というと牧場に行ったり、トレセンにも顔を出したりはしているんですけど、まだ仕事らしい仕事はできるものではないので、うろちょろして人の話を聞いているだけという感じです。
梅田リハビリをして、トレセンに行って、牧場回りもして、着々と開業に向けて準備されている感じですね。
和田時間がありそうでないと思いますので。
梅田やっぱりホッとしている時間って、全くないんですね(苦笑)。
和田今のうちに遊んでおいた方がいいよ、なんてみんなに言われるんですけどね(笑)ほんまに「開業したら時間なくて、忙しい」とみんな言っていますからね。
梅田本当に大変だと思いますし、体に気をつけていただけたらと思います。和田さんがテイエムオペラオーに乗っていらっしゃった頃、私はちょうど大学生でした。世代的にはカラオケとかで同じ歌を歌っているんだろうな、と勝手に思っています(笑)和田さんは77年生まれですよね? 私は78年生まれのうま年なので、和田さんが1つお兄さんでいらっしゃいます。ちょうど私がアナウンサーになりたいと思っていた大学時代が、ちょうど和田さんがテイエムオペラオーに乗っていらっしゃった時代なので、アナウンススクールでのフリートークなどでオペラオーの話とかをしていました。今週あった出来事で1分間のフリートークをしてください、という場面で競馬の話ができる!って喜んでやっていました(笑)。
和田学生時代から、そんなに競馬が好きだったんですか?
梅田うちは父が競馬好きだったのと、当時付き合っていた彼氏が、まぁ競馬好きの彼氏だったんですよ(笑)。
2人アハハハハハハ!
和田そうだったんですね、環境的に(笑)。
梅田環境的と言ったら、和田さんもそういう家庭環境だったんですよね?
和田そうですね。物心がついた時にはトレセンに住んでいましたので。生まれたのは九州なんですよ。父親が小倉出身なんですけど、住んでいたのが競馬場の近くと言ったら近くでした。栗東トレセンができた頃に父親が厩務員として働きに行ってからなので、ずっと僕はトレセンの社宅に住んでいました。乗馬苑も小学5年生から通い始めて、体が小さかったので父親に「騎手になれ!」と言われて、何となく通い始めた感じでした。
梅田環境からしたら必然というか…。
和田そうですよね。その頃から何となく、そうなるもんなんだろうな、と思っていたんですかね。競馬はちょこちょこ印象にあって、記憶ではシンボリルドルフくらいから見ていたんじゃないかなという世代です。
梅田子供の頃から自然とそういう環境のなかで育って、今に至ったわけですね。
和田特別に他の興味があったわけではないんですけど、家に馬がいたので、何となく知っていた感じですね。
実は僕、中山に縁があるんですよ
梅田和田さんは、いつもいろんな方からテイエムオペラオーのお話を聞かれることが多いと思いますが、私もぜひ伺いたいと思います。今でもあの馬の乗り心地などは忘れられないものでしょうか?
和田まず、僕が騎手としてデビューして岩元市三先生のところに所属したところから始まりましたが、実は僕、中山に縁があるんですよ。デビューして初重賞制覇となったステイヤーズS(サージュウェルズ)も中山で勝たせてもらったものですし、オペラオーでGⅠを勝たせてもらったのも皐月賞が最初だったので。だから中山競馬場自体が、結構思い出深いところです。東京では、なかなか勝てなかったんですけど、競馬学校生時代から自転車で中山まで行って、岩元厩舎に所属してからもお手伝いとかに行っていたので、「いつか…」と思っていたら、1年目から重賞を勝たせてもらえたので中山は思い出深い競馬場です。
梅田オペラオーのあの時代、個性的な馬がたくさんいましたよね。
和田いいライバルもたくさんいて、「三強」と言われたこともありますからね。ナリタトップロードがいて、アドマイヤベガもいて、競馬に興味がある人には面白い時代だったんだろうなと思います。
梅田あの時代も楽しかったですね。みんな個性が違っていました。
和田オペラオーに関しては、最初から調教でいい動きをしていたんですけど、そこまでいい馬に出会ったこともなかったですし、まだ自分もデビューして3年目でしたから。
梅田最初からジョッキー目線で「これは大物になるかも」と分かるものなのでしょうか?
和田僕はまだ経験が少なかったので、「調教は動くな」「新馬戦が楽しみだな」と感じたぐらいでした。新馬戦を1回使って骨折してしまって、そこから時間がかかりましたけど、3戦目にダートで未勝利戦を勝って、その後に500万のゆきやなぎ賞を勝った後ぐらいですかね。急に馬が良くなってきた感触はありました。未勝利を勝ったのが遅かったので、毎日杯にぎりぎり間に合った形でした。時間がかかったので、皐月賞は5大特別競走登録をしていなかったんです。それで毎日杯で強い勝ち方をしたので、先生が使いたいと言って、登録料を払って使うことになりました。それで、そこからまた良くなったんですよね。毎日杯で強い勝ち方をして、「楽しみだな」と思っていたら、そこからまた上がってきたんですよ。だから何て言うのかな、成長の曲線がグンと伸びる時という感じにうまく乗ってきたところだったでしょう。ああいう感覚が初めてだったというのもあるんですけど、その後もああいう感覚はなかなかなかったですね。
梅田やはり先生や担当の方も同じことをおっしゃっていたんですか?
和田あんまり飼い葉食いが良くない馬だったので、先生とかは悩んだりしていたみたいですが、乗った感じは使っていくごとにどんどん良くなっていきました。一流馬のなかでは線の細い方だと思うんですけど、乗り味とかも全然良くなってきて、「こういう馬がもしかしたらGⅠを勝つんかな?」って感触が出てきたところでしたね、皐月賞の前くらいは。
梅田その当時、デビュー3年目の和田騎手の気持ちは、どのようなものだったのでしょうか? どんどん強くなっていく馬に乗っているわけですから、周りからの注目もどんどん集まっていった思います。
和田まあでも、デビューしてからうちの先生がいろんな経験を積ませてくれたお陰で、中山とか東京でもどんどん乗せてくれていましたからね。ほぼ厩舎の馬は乗せてもらっていたので。こういう馬が出てきた時のために準備しとけ、という感じでどんどん乗せてくれていたと思うので、そういう意味では変に気負う感じはなかったです。まあ、若いというのもあったし、それ以上に同期の祐一(福永元騎手、現調教師)とかもいい競馬をしていて、古川(吉洋騎手)なんか2年目からGⅠを勝ったりしていたんで、なんか周りからの底上げというか、そういうのはありましたね。「自分もついていかな」ってところはありました。
梅田やはり同期の活躍は励みにはなったのでしょうか?それともあくまでライバルなのでしょうか?
和田最初の頃は普段から一緒にいる機会も多いので、やっぱり「あいつが活躍したら、自分も」というところはありましたし、そういうので触発される部分は大きかったです。
最初に勝った天皇賞・春が一番うれしかったと言えばうれしかった
梅田オペラオーは普段はどんな子でしたか?
和田普段はね、馬房では後ろの方でじっとしているんですよ。無駄なことはしないですね。イレ込んだりもしないんですけど、たまに持ち乗りさんとかが振り落とされて、放馬とかもしたことがありました。僕も調教に乗り終わってから厩務員さんがつかまえる時にコンクリートの上で立ち上がって、そのまま落ちたことがありますね(苦笑)。
梅田のんびりしたところもあれば、そういうきついところもあったんですね。
和田父のオペラハウスが結構うるさいというところがあって、普段はおとなしいはおとなしいんですよ。乗りやすいですしね。操作するのが楽と言ったらなんですけど、自由自在でした。時計も合わせやすかったですし、スタートは出るし、折り合いはつくし、乗り役からしたら理想的な馬でした。
梅田そうだったんですか。その後は連勝続きでしたけど、特に印象に残っているレースはございますか?
和田僕としては最初に勝った天皇賞・春は、岩元先生が「勝ちたいレース」と最も言っていたので、一番うれしかったと言えばうれしかったです。あとは負けたレースばかりが浮かびます…(苦笑)トップロードに負けた時は、今でも夜中に夢で出てきたりもします。菊花賞は悪夢として覚えています。
梅田悪夢というか夢に出てくるくらいというのは余程のことですよね。
和田そうですね。負けてはいけないぐらいの出来でしたから。今から考えても、あの馬が生涯で一番いい出来だったのかもしれないと思っていますけど、それで取りこぼすような感じで負けたので…。
梅田検量室に帰りたくないくらいの重い気持ちでしたか…?
和田合わせる顔がない、という感じでしたね。これでもう乗ることはないかな、くらいの感じではいました。それでもその後も乗せていただけたのは感謝しかないです。
梅田私は個人的には有馬記念の印象がすごく残っています。
和田菊花賞の後にステイヤーズS(2着)も走ったんですけど、その後のグラスワンダーが勝った有馬記念は、めちゃくちゃメンバーが強かったので胸を借りるつもりでしたけど、際どいところまで走れた(グラスワンダー、スペシャルウィークに続く鼻、首差の3着)手応えがありました。あそこから「これなら来年は違うな」という気持ちになれました。スペシャルウィークがそれで引退して、まだグラスワンダーが現役でいても、来年は主役を張れるかなという感じはしました。その次の年は全勝(2000年は8戦8勝、うちGⅠ5勝)するんですけど、京都記念の強い勝ち方もそうでしたし、馬が充実していて、「こう乗ったら、この馬は負けないな」というレースで勝てたのも覚えています。思った通りの成長曲線で、これなら大丈夫、というのはありましたね。
梅田今年の阪神大賞典のレースを見ていて、「オペラオーも走っていたなあ」って私も思い出しました。
和田長いところを上手に走れるようになってきた時に、その馬のパフォーマンスの全てを出せるというか、周りに左右されないような競馬っぷりになったら、馬って強いと思うんですよね。あとはこっちが間違いのないように誘導すれば、勝利から逆算して考えられるので、それが本物だなという感じはしましたね。
梅田3年目の和田騎手が、30年目の和田騎手になったように、私も昔の自分にこうだったらこうしていたな、と思ったりすることがいっぱいあるんですけど、もし今の和田さんが当時の自分に声をかけるとしたら、何て言ってあげたいですか。
和田いい経験をしたなと思うので、「それを忘れんなよ」とは思うんですけど、やっぱりあれくらいの馬がまたすぐに出てくるわけではないですし、基本の中心があの馬になっていたと思います。「オペラオーだったらこの感じで勝てたけど、それを他にあてはめてもなかなか勝てるわけではない。そこを勘違いすんなよ」とは言ってあげたいと思いますけどね。それで、なかなかそういう馬が出てこないと、またこっちも歯車が狂い出すなど、そういうところはありましたよね。割と真面目に全部こうだと考えちゃうから、今度は馬のリズムが悪くなってしまったりしたこともあると思います。正直、そんなに勝ち星が多かった人間ではなく、オペラオーに乗っているときも年間でそんなに勝っていたわけではないですから、あの馬のお陰というところもあるんですけど、そのへんの馬の能力に対する自分のさじ加減というか、馬ごとの切り替え方がもっとうまくできたのでは、と思うことはあります。ただ、騎手デビューして、引退するまでにそういう馬に出会える確率というのは低いと思いますから、いい経験をさせていただきました。
一番誇れるのは勝ち方とかではなくて、騎乗数
梅田和田さんと言ったら、他にもディープボンドやワンダーアキュートなどいろいろな馬で活躍されていたと思います。ご自身のなかで一つひとつ全部が全部ストーリーがあると思うんですけど、ご自身のなかで他に思い出に残っている馬についてはいかがですか?
和田そういう馬はたくさんいますけど、自厩舎だったらクーリンガーとか、ずぶい馬が結構多かったです。最初に重賞を勝ったサージュウェルズも本当の長距離砲で、長距離だったら乗りやすい、でも中距離だったら全然通用しない馬でした。クランモンタナも、何とか小倉記念で勝たせてもらって、そのお陰で今でも社台レースホースさんに乗せてもらったりすることになった馬でした。ただ、そういう馬で勝てば勝つほど、似たような馬が回ってくるようになるというのはあります。
梅田和田さんの“カラー”って、そういうイメージですよね。一生懸命に追ってくださって、最後の最後まで頑張るというみたいな。
和田割といい競馬をしていたけど、年齢を重ねてちょっとまたずぶくなってきたから何とかしてくれ、というような馬はよく依頼が来ました。
梅田自分のなかでも、「そういう馬を何とかして…」というポリシーはあったのでしょうか?コツというか合う秘訣というか…。
和田基本的に牝馬ではそんなにいい競馬をしていないので、どうしても繊細には乗れないタイプなんだと思います。いい意味では馬を動かせる。でも、やっぱり荒いので繊細な馬には向かない、と競馬サークルではイメージを持たれていたのかなと思います。でも、やっぱりどんな馬でも断らずに乗ってきたので、騎乗数は多いです。幸(英明騎手)先輩とか僕はそういうタイプで、そういう仕事を一生懸命やらせてもらってきたので、一番誇れるのは勝ち方とかではなくて、騎乗数とかになってくるのかなと思うんですよね。だからケガをしても、最後まで乗せてくれる先生も多かったですし、頼りにしてくれる先生も多かったというのは、それまでに自分が培ってきたものもありますし、それが自分の歩んできた道なんだろうな、という思いは何となくありますね。でも、これは切り替えが難しいんです。やっぱり、誰でも切れる馬とか瞬発力のある馬に乗りたいんです。でも、やっぱり手は抜けないし、ずぶい馬も、しっかりと乗ってこなくちゃいけないとやってきたら、そういうタイプの馬が多くなってくるものです。そういう馬に限って、早めに頼まれたりすることが多いですしね。それを断ってまで違う馬をということでもないですし、騎手としてのスタンスがそんな感じでしたね。それで30年続けられたというのも、またいいところでもありますし、苦労した部分でもあると思います。
オペラオーとアキュート。その乗り味はよく似ていましたね
梅田それが和田さんの“売り”というか、みんなが応援したくなるところというか、そういう感じで私も拝見していました。
和田(ディープ)ボンドなんかにしても、ずぶいという訳ではないんですけど、瞬発力のある馬にはちょっと負けてしまうので、そういう競馬になってしまうのと、自らの身を削っていかないといけないところもありました。それでも長距離をうまく走れるから、天皇賞・春はいつもチャンスがあったんですけど、最後の最後はどうしても相手もいることですし、もうちょっとのところで勝たせてあげられず、種牡馬にしてあげられなかったのは、残念なところはありますけどね。あと、(ワンダー)アキュートとかはね、瞬発力あったんですよ。
梅田確かにそうですね。
和田あれは珍しくダート馬で瞬発力系の馬だったんですよ。速い時計でも走れるし、僕のなかでは結構ワクワクしながら乗っていました。
梅田そうなんですか!どんな道悪でもしっかりと走れて、長く活躍したすごい馬だなと思って見ていました。
和田JBCクラシック(2012年)で弾けて勝った時は、しびれましたけどね。
梅田「ヨッシャー!」って、やっぱり出ました?
和田というか、今までやってきたものが出せたなみたいなものがあるんですよ。人馬一体みたいな感覚を、ワンダーアキュートは感じさせてくれるような馬だったので。うるさかったですけど、僕は好きでしたね。
梅田そうでしたか!ワンダーアキュートは今度、野馬追を走るという話もありますよね。
和田なんかそうみたいですね。疝痛(せんつう)が大変だったみたいですけど、命を取りとめて、また頑張れるみたいな感じの話を聞けてよかったです。実は瞬発力系の馬には、乗っていないと言えば乗っていないんですよね。サンデーサイレンス産駒は、あまり乗ったイメージがないんですよ(笑)。
梅田切れる馬というよりは、後ろから和田さんが気合でワーッと追ってくるイメージがあります。
和田サンデーサイレンス産駒、ディープインパクト産駒は、ほとんど乗っていないと思います。だから切れる馬で印象に残っているのは、オペラオーとアキュート。その乗り味はよく似ていましたね。
梅田そうなんですか。切れる馬は切れる馬同士で似ているのですか。
和田背中の乗り味は似ていましたね。オペラオーに一番似ているのはアキュートやなあ、って。他の切れる馬も、そうなのかなというのはあるんですけど。
梅田切れる馬には、その独特の筋肉の付き方とかがあるのでしょうか。
和田やっぱりね、骨格の柔らかさだと思いますね。僕は筋肉という感じではないと思います。可動域とか、そっちの面じゃないかと思いますね。もちろんそこから筋肉が付いてくるんですけど、背中の柔らかさとかはその馬が持っているものなので、最初の印象が強いですね。
乗り役としてはそれが忘れられないから続ける
梅田そういうものなのですね。面白いです!他にも思い出に残っている面白い馬はいらっしゃいましたか。
和田人馬一体みたいな感じの印象は、割と下級条件の馬でもあるんです。僕が印象に残っているのはトウシンイーグルという馬で、小倉の1600万のレース(KBC杯)ですね。山内研二先生のところの馬で、ダート1700メートルで勝っているんですけど、そのレースは晩年になっても映像を見ていましたね。あまりにも印象的過ぎて(笑)。
梅田それは和田さんのなかで、どういう意味合いで印象で残っているのでしょうか?
和田いや~、それが信じられないくらいの瞬発力を出したんですよ。後にも先にも、この馬に関してはこの1回切りでしたね。他では乗り味的にすごいと思ったのは、サイドワインダーとか。マニアックな馬ばっかりですね(笑)ワンダーアキュートの時もそういう感じだったんですよね。馬がむちゃくちゃ動いて、何もすることがないみたいなことが年に1回か2回くらいあったりするんです。
梅田たまにそういったコメントをジョッキーの方がされているのを目にしますけど、どういう感覚なんでしょうか?
和田何て言うのかな、新幹線みたいなので自分が運ばれているだけみたいな。バーって馬が行って、あとはついて行くだけみたいな。
梅田なるほど。ワンダーアキュートのJBCクラシックの時も、そういう感じだったんですね。
和田全部のレースが全部じゃないんですよね。だから“しまい最速”を出すためには、道中もすべてうまくいって、リズムもタイミングもすべてあって、むちゃくちゃお釣りがあったからビュンと動けるのかもしれないですけど、そういうのはなかなか経験できないところでもあります。それが「人馬一体」と言える感覚なのかは分からないですけど、そういう感覚はあるんです。「エッ?エッ!?」って、こっちが乗っていて思うんです。ただ、それが次も出せるかと言ったら出せないんです。馬の体調とかもいろいろあるとは思うんですけど、それが出せた時は本当に気持ちがいいですね。その感覚は忘れられないです。未勝利ではなかなかないですけど、乗り役としてはそれが忘れられないから続ける、みたいなところはありますね。
梅田そうなのですね!
和田勝ってうれしいとか、そんなんじゃないです。これをこの馬が出せたからうれしい!って。
梅田今の和田さんのお顔の表情から、それがすごく伝わってきます。今のお話しされている表情から(笑)。
和田それを味わいたいから、また研究してやっていくというところですかね。ずぶい馬専門だから、なかなかそういう馬は回ってこないんですけど、またそれとも違うんですよね。全てがかみ合うというのは。
その経験と技術は調教師としても財産になると思っています梅田ずぶい馬はずぶい馬で、応えてくれた時の快感というのはあるんですよね。
和田ずぶい馬の場合は、僕は乗って背中の感じをみて、「まだいけるかどうか」というのを探りますね。「ああ、この成績よりはもう少し出せるんじゃないかな」とかを自分で感じ取って、レース以外でもいろいろやりますよ。返し馬の前と後とかでも、ちょっとした体の感じの変化とかをチェックしてみたり。そういう馬って、やっぱり硬いんですよね。そういう馬は背中もそうですし、いろいろと探ってみて、“動けるところを探す”というのはありますね。だからどちらかと言うと、外から見ていたら僕はバタバタと乗っている人間に見えると思います。それはなぜかと言ったら、スマートに乗ったところで動かない馬ばかり回ってきているので、自分のなかでは“馬の重心をどう動かすか”で、競馬をしてきたところはあります。それで、やっぱり傍目(はため)からはバタバタして乗っているようには見えたと思います。
梅田馬の重心を動かすって、和田さんの体重移動をするとか、そういうことなんですか?
和田そうですね。こっちの重心もありますし、「馬の重心がちょっとここにあったら走れんな」みたいなものを探って、何とか馬を転がしてでも少しでも前に動かすみたいなイメージです。「あー、何か知らないけど動かされている~」みたいなくらいじゃないと、ずぶい馬は動けないんです。はっきり言って、気持ちを乗せたから走れるとかじゃないんです。そういう馬は、余計に反抗するだけなので。運動力学的に“動かざるを得ない”ことを、ずっと考えていました。
梅田改めて、ものすごく研究されてきたのだと思いました。なかなか言葉では分かりづらいことですけど、そういうことを考えてきて、そういう背景があったんだ、ということを教えていただけるのは感動です。それを聞いたうえで、改めてもう1回レースを見てみたくなりました。
和田ゲートを出ない馬とかも、ちょっと何かこっちの技術を使えれば、出る馬もたくさんいます。それは諦めたらアカンな、と思います。その経験と技術は調教師としても財産になると思っていますし、まだ経験していない乗り役にも説明はある程度できると思います。乗っている数は多いので、結構引き出しは多いと思います。
梅田息子の陽希騎手にも、そういうお話はされているのですか?
和田そうですね。その時、その時にしていますよ。いっぺんに伝えても難しいので。100頭いれば、100通りありますからね。こういう馬には、こうしたらいい、というのは、何となくやってきたつもりなので、引き出しは財産だと思いますね。
(構成:スポーツ報知 坂本達洋)。

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。