ゲスト
岩﨑崇文 さん / 岩﨑茉莉亜 さん Yogiboヴェルサイユリゾートファーム Versailles Stable株式会社 代表取締役・一般社団法人ヴェルサイユリゾートファーム 代表理事 / 馬術選手

01. 引退馬が幸せに暮らせる牧場を思い描いた“出発点”

引退馬が幸せに暮らせる牧場を思い描いた“出発点”
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。今回のゲストは、Versailles Stable株式会社 代表取締役・一般社団法人ヴェルサイユリゾートファーム代表理事の岩﨑崇文さんと奥様で馬術選手の岩﨑茉莉亜さんです。Versailles Stable株式会社では、引退馬が余生を過ごす引退馬牧場Yogiboヴェルサイユリゾートファームを運営しています。前編では、引退馬の牧場を手掛けるにいたった経緯をお聞きしました。

最初はうちの馬だけでも最後まで余生を過ごせるような場所ができたら

梅田今回は「Yogiboヴェルサイユリゾートファーム」、一般社団法人ヴェルサイユリゾートファームの代表理事を務めていらっしゃいます岩﨑崇文(いわさき・たかふみ)さんと、奥様でいらっしゃいます茉莉亜(まりあ)さんにお越しいただきました。中山馬主協会の役員でいらっしゃいます吉田俊介さんからご紹介いただきました。よろしくお願いいたします。

吉田乗馬や引退競走馬のことなどについて、すごく力を入れていらっしゃって、SNSなどでの発信もうまくやっていらっしゃると思います。たくさんいろんな活動していらっしゃいますし、そのようなことをお話いただけたら面白いのではないかと思って、お声がけさせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。

梅田私もご夫妻でお話をうかがえて、うれしいです(笑)。しかもご結婚されたばっかりで、いいですよね。

茉莉亜恥ずかしいです(笑)。

梅田Yogiboさんとネーミングライツ契約を結ばれて「Yogiboヴェルサイユリゾートファーム」さんとして運営されているわけですが、競馬ファンの方も乗馬ファンの方も多く注目していらっしゃると思います。まずは、お2人に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。最初の馬との出会いはどんな感じだったのでしょうか?

崇文もともと小学校2年生の頃に兵庫県にいたんですが、明石乗馬協会さんのスポーツ少年団に入りました。そこから乗馬に入っていった感じでした。そこから乗馬クラブにも入会して、そのまま中学校3年生くらいまでは明石で馬に乗っていました。高校から東京の関東国際高等学校に行き、そこでまた東関東ホースパークを紹介されて、ずっと大学までそこで乗って、今に至るみたいな感じです。

梅田幼い時から馬とは一生関わっていこう、という思いはありましたか?

崇文もともとは母が乗馬をやりたかったんですが、股関節が悪くて乗馬ができなかったので、代わりに自分がというのが本当の始まりです。最初は馬に興味があるとかはなくて。

梅田そうだったのですか。ずっと馬と付き合っていこうと決めた時は、いつ頃だったのか覚えていらっしゃいますか?

崇文引退馬の牧場をやりたいと思ったのは、北海道に来てからですね。もともと母が継いだ三城(さんじょう)牧場という生産牧場で働いた時に、生産馬、繁殖牝馬が最後にどうなるんだろうというのが気になって、従業員の方に聞いたら「経済動物だから、仕事が終わったらお肉とか、そういう感じになるよ」と教えてもらったのが衝撃的でした。そういう世界を全然知らなかったので…。乗馬クラブだと最後まで面倒を見るイメージがあったので、こちらでも最後まで見るものだと思っていたところでそういう話を知ったので、「何かできないかな」というのが始まりでした。最初はうちの馬だけでも最後まで余生を過ごせるような場所ができたらいいな、というところからでした。

梅田始めから、そういう先々までご存じだったわけではなかったんですね。

崇文そうなんですよね。

梅田大学を卒業してからそういった牧場に入られて、北海道でずっとやってこられて今に至るという感じですか。岩﨑さんはおいくつでしょうか。

崇文今年が34歳になる年ですね。

梅田それだと学校を卒業されてからの十数年間は激動でしたか?

崇文激動でしたね(苦笑)。

北海道の牧場で身を持って実感した激動の数年間

梅田なるほど。学校を卒業されてからのことを、うかがってもよろしいですか?

崇文もともと自分は車が好きだったので、最初は東京の方でBMWに就職は決まっていたんです。

梅田やっぱり速いものがお好きだったんですか。馬あるあるで。そんな気はしますけどね(笑)。

一同アハハハハ。

崇文そこに就職は決まっていたんですけど、自分が高校生くらいの頃に母が再婚して、たまたまその方が北海道の三城牧場を経営されていたんです。でも再婚して3年目くらいで膵臓(すいぞう)がんになってしまって、そのまますぐに亡くなってしまったんです。その遺言に「三城牧場を残してほしい」とあったのですが、自分も母も牧場の仕事をやったことがないし、借金もかなりありました。それが本当の始まりでした。それで母だけが行くというのもちょっと…と思って、自分が手伝えることがあれば、という感じで卒業と同時に行きました。

梅田なかなか若い青年にとって、そういうお話はヘビーだったと思います。実際にその時はどのように思いましたか?

崇文北海道には旅行とかで結構行ったことがあって、「いいな」とは思っていたので、「まあ、いいか」と最初は軽い気持ちで行ったんですけど、やっぱり住んでみると不便なところは感じましたね。

梅田東京に住んでいらっしゃったから、いきなり“馬”という共通なことはあるにせよ、なかなかそのあたりは大変でしたね。義理のお父様のことなど考えてもいなかったことが、いきなり降ってきたわけじゃないですか。

崇文なかなか激動でしたね。

茉莉亜始めはお母さんは「1人でやるから、あなたは安定した道を」って就職を勧めたみたいなんです。「とりあえず1人でやってみるから、あなたは普通に東京で手に職をつけて頑張りなさい」とおっしゃったみたいなんですが、それを無視してついてきたみたいです。

梅田そこでついて行こうと思ったきっかけは、どういうところだったのでしょうか?

崇文そうですね…、何でだろう…。

茉莉亜心配だったんでしょ?そうは言わないけど(笑)。

梅田いや~、優しい!そうだったんですか。

茉莉亜絶対にそうとは言わないですけど(笑)。お母さん1人では、というふうに思ったと思います。

梅田お母様、うれしかったでしょうね。

茉莉亜たぶん、お母さんも心配で「どうなるか分からないから、あなたは来ちゃダメ」みたいな感じで、本気でお互いが「来ちゃダメ」「いや、行く」というやり取りを何度もして、(崇文さんが)あまりお母さんの言うことを聞かないので、無視して行ったという感じです。

梅田逆に言うことを聞かなかったのが、よかったのかもしれませんね(笑)。

茉莉亜結果としてお母さんも、あまり言うことを聞かないのを分かっているので。しぶしぶ北海道に来ることを了承して、今でも一緒にやっているので、よかったと思います。

梅田お母さんと2人で三城牧場に乗り込んで行かれてからも、いろんなことがあったと思います。

崇文やっぱり寒いですし、お産が大変というのが分かりました。無事に産まれてくること自体が奇跡というか、100%無事に産まれてこないということも身を持って理解しました。産まれてからセリに出て、セリで売れてからも競走馬になれるのがわずかで難しいということも、身を持って実感した激動の数年間でしたね。

梅田実際に乗馬とかに関わっていらっしゃる皆さんでも、牧場に入って急にお産となるとビックリすることが多いのでしょうか。それとも、幼い頃から馬に関わっていらっしゃる方々って、すぐにお産のシーンに飛び込めるものだったのでしょうか。

茉莉亜今までは一切、体験したことがなかったよね?

梅田そうですよね。いきなり牧場に行ったとはいえ、そういうことに立ち会うことが大事なわけですし、それはビックリしますよね。

茉莉亜当時の三城牧場のスタッフの方々が残ってくださっていたので、教えてもらいながらという感じだったんだよね?

梅田当時、スタッフの方は何人くらいいらっしゃったんですか?

崇文3人くらいだったと思いますね。

梅田となると、お母様とお2人ですから5人くらいで。そうでしたか。経営者的な広い目で見なくてはいけない立場でもあったわけですよね。

崇文ほぼ休みが取れないというのもありましたし、従業員には休ませないといけませんから、そういうところの難しさは感じましたね。

ローズキングダムが来て始まった第一歩

梅田そこから5人で今のような形になるまで、どのような感じで牧場を広げていかれたのでしょうか。

崇文2年くらいは生産だけでやっていたんですが、他のこともやりたいなと思っていたタイミングで、ローズキングダムがケガをして、サラブレッド・ブリーダーズ・クラブの秋山達也さんから電話がかかってきました。秋山さんから連絡があったのも、自分が「引退馬の方もやりたいな」という考えをチラッと話したのがきっかけで、それを覚えていてくれたみたい。たまたまローズキングダムがケガをして、ちょうどその頃に牧場の名前も「ヴェルサイユ」に変わって、「ローズキングダムという名前もヴェルサイユっぽいよね」みたいになって、ブリーダーズさんとも近いので、もし何かあっても行けるところなので引き取ってほしいと声をかけていただいたのが最初ですね。

梅田そうだったんですか。ローズキングダムは今、19歳くらいですか?

崇文はい、うちに来て7年くらいになりますかね。

梅田それこそ俊介さんのところのノーザンファームの生産馬ですよね。

吉田そうですね。種馬をやっている時に腰痿(ようい)でしたっけ?それで種牡馬としてやっていけなくなって、それで最初にお世話をしてくれるようになったんですね。最初の経緯は知らなかったので、そこが始まりだったんですか。

崇文そこが本当の始まりでしたね。

茉莉亜当時一緒に働いてくださっていた人たちに繁殖牝馬の最後の話を聞いて、彼は乗馬出身だったのでカルチャーショックを受けて、私もここに来るまでは実際に何も知らなかったというのはありました。乗馬出身だと、競馬はテレビの中で見ているだけで、引退した子たちが乗馬クラブに来ることはあっても、来られる子たちがほとんどじゃないということを知りませんでした。それで引退馬のこともやりたいなというのを秋山さんにお伝えしていて、ローズが来てから始まった形ですね。

崇文そこからですね。それでお店などもないな、ということも考えました。マクドナルドだったら、苫小牧とか静内まで行かないとないので、それだったら自分でハンバーガー屋さんをやりたいなとなって、いろいろやり始めることにしました。

知り合って仲良くなったのは10代の時

梅田すごい!その時は茉莉亜さんとは出会っていらっしゃったのですか?

茉莉亜実は幼なじみというか、高校生の時に彼が「東関東ホースパーク」で障害馬術をやっていて、私は当時、御殿場にある「アイリッシュアラン乗馬学校」で馬場馬術という別の馬術競技をやっていて、私が高校1年生で彼が高校3年生の時に東京都代表で国体に一緒に出たんです。その時に同じチームで戦って、その時から仲は良かったんです。でも、その後は疎遠になって、北海道に行ったということをチラッと聞いたくらいで、当時はFacebookとかですけど、それで「なんか頑張っているなあ」って見ていたくらいです。

梅田そうだったのですね。その流れで茉莉亜さんの華麗なご経歴もうかがわせてください(笑)。

茉莉亜私も彼とあまり変わらないんですよ。小学生の時に乗馬を始めて、私は馬場馬術競技を中学生から本格的に始めて、当時いた乗馬クラブが全日本チャンピオンをいっぱい輩出している乗馬クラブだったので、自然と私も高みを目指すようになりました。そういう環境にいて、私も将来的に馬術選手になりたいなと志すようになって、大学を卒業した後に馬術の本場であるドイツへ4年ほど留学して帰ってきて、乗馬クラブでインストラクターなどをしながら馬術選手を続けて、3年前にアジア大会に日本代表で出たりもして、結婚して北海道に来ちゃったという感じです。

梅田今、さらっとおっしゃってますけど、“日の丸”を着けて出ていらっしゃる方ですよね!?いや~、すごいです。初めて馬に出会ったきっかけは、どうだったのでしょうか?

茉莉亜母が乗馬をやっていたんです。大学を卒業して仕事をしたり、結婚や育児で、ずっとブランクはあったんですけど、私も大きくなって落ち着いた時に、もう1回乗馬をとなって、その時に私も一緒に乗馬クラブに連れて行ってもらったのがきっかけでした。

梅田そうなんですね。それじゃあ茉莉亜さんは、幼い頃から学校が終わったら馬に乗って…。

茉莉亜私も通っていた乗馬クラブが千葉にあったので、学校が終わってから乗りに行くのは難しくて、土日とか長期休みとか休みの日を使ってトレーニングをしていました。

梅田そういう乗馬クラブにずっと通ってやっていらっしゃったわけですね。

茉莉亜中、高の時は馬術部にも入っていて、馬術部は学校の近くというか電車でちょっと行ったところにあったので、平日は馬術部の方に行って、週末は乗馬クラブに行くという生活をしていました。

梅田“馬尽くし”の毎日ですね。

茉莉亜“馬漬け”ですね。今もですけど(笑)。

梅田そうですよね。日の丸を着けて大会に出た時の気持ちはいかがでしたか?

茉莉亜周りにそういう選手がたくさんいたので、私も自然と日本代表になって「アジア大会でメダルを取りたい」というのが夢になって、ゆくゆくは「オリンピックに出たい」という思いもありました。念願がかなって2年前にアジア大会に出場出来ましたが、団体4位でメダルを取れなかったので、悔しい思いが残っています。なので、今年名古屋で行われる第20回アジア競技大会を目指しています。

梅田ヴェルサイユさんのお仕事、引退馬のことなどをやりながらも、自分も選手として頑張っていらっしゃる感じですか?

茉莉亜そうですね。

梅田すごいな~。毎日、休む暇はありますか?

茉莉亜あんまりないかもしれませんね(苦笑)

梅田馬のお仕事をされていると、そうですよね。俊介さんもそうだと思いますが。

吉田どこからが休みで、どこからが趣味なのか、分からないみたいな感じになりますよね。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2026年2月9日 に公開されました。

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