ゲスト
石川豊 さん 中山競馬場場長

01. オグリキャップの時代から変わっていない中山競馬場ならではの魅力

オグリキャップの時代から変わっていない中山競馬場ならではの魅力
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。今回のゲストは、中山競馬場場長・石川豊さんです。中山競馬場の施設管理や運営全般を統括する責任者で、2025年に就任。前編では、中山競馬場の魅力とその歴史についてお話を伺いました。

中山競馬場誕生にまつわる歴史と独特の形状をしている理由

梅田今回はJRA中山競馬場の石川豊場長にお話を伺わせていただきたいと思います。いつもお世話になっております。実は私、以前は中山競馬場のある市川市に住んでいたんです。だから子供の頃から一番来ていた競馬場が、中山競馬場です。なじみがあると言うか、父と「馬しかいない動物園」、「動物園=馬しかいない」と思っていたのがここだったので、ものすごく思い入れが強いところです(笑)。いろいろ伺わせていただきたいと思いますが、その歴史はとてもありますよね。

石川私の妻は船橋市出身です。同期入会で中山競馬場に勤務していました。やはり子供の頃からお父様に連れられてよく中山競馬場に来ていたそうです。誘い文句の「馬しかいない動物園」というのは妻も同じことを言っていました(笑)。中山競馬場の歴史についてお話ししますと、もともとは千葉県松戸市の競馬場がルーツになります。今は松戸中央公園となっている場所にあったそうです。「総武競馬会」として、明治40年(1907年)に第1回の松戸競馬が開催されたのですが、その後すぐに全国的な馬券発売禁止令が発令されるなどいろいろ苦難の歴史が続くなかで移転するんです。どうして松戸から中山へ移転したかと言うと、陸軍工兵学校を創設するため大正7年(1918年)頃に当局から用地の接収が打診されたのがきっかけで、もう一つの理由は松戸競馬場のあった場所が崖に囲まれていたためコースがひょうたん型で落馬事故も多く、競馬場に適した場所とは言えなかったので、ちゃんとした形のコースの競馬場でやろうよという機運が高まっていったからです。いろいろな候補地があったなか、最終的には東京からのアクセスが良く、それなりの広さの土地を確保できたこの辺りの場所が選ばれました。移転してきたのは大正9年(1920年)です。この移転の際に大きなご活躍をされた方々の銅像が今もパドックの周りに建っています。

梅田どういった方々なのでしょうか?

石川中村勝五郎(当時の中山町町長)氏や肥田金一郎氏です。中村氏は初代の中山馬主協会会長にあたる方で、土地のとりまとめに尽力されました。肥田氏は「中山競馬倶楽部」の理事長も務められた方で、中山地区に移転してきた当初様々な混乱があったのですが、そうした混乱をまとめ上げてくださいました。「東京競馬倶楽部」が東京競馬場で日本ダービーを創設したのが昭和7年(1932年)でして、それに負けていられないということで、我々は障害レースでやろうよと、その2年後の昭和9年(1934年)に中山大障害を創設したのですが、この創案も肥田氏によるものです。障害レースとした背景には地形的な事情もありまして、中山競馬場ってコース形状は他の競馬場と全然形が違うじゃないですか。パッとコース図を見て、すぐに中山であることが分かりますよね?

梅田確かに特殊ですよね。おにぎり型で独特だと思います。

石川外回りコースが完成したのは戦後の話ですが、取得できた土地で安全かつ興趣あるコースを作っていこうという考えからおにぎり型になったという歴史があります。また、もともと取得した土地が起伏に富んでいたという特徴がありました。ですから、平らなところで平地のコースを作り、くぼんでいたところを活かして今のバンケットなどの障害のコースを作った、という理解でいいと思います。中山競馬場名物である、ゴール前の急坂も自然の地形を活かしたものです。

梅田中山の場合は“中山巧者”と言われるようにコースも特殊なので、馬も得意、不得意が出てくるくらいですが、もともとの土地を生かしたコース作りだったのですね。

石川結果的に2年違いで、東京はダービー、中山は大障害、という形で東西首都圏の目玉競走が生まれました。そんな昭和初期の良い時代の後、太平洋戦争があり、競馬場が陸軍に接収されたり、競馬そのものが停止されたり、戦後も進駐軍の接収を受けたりと暗い時代を経て、昭和22年(1947年)に中山競馬場での競馬が再開されました。この時はまだ日本中央競馬会が生まれていません。そして昭和29年(1954年)9月16日に日本中央競馬会が設立されて、安田伊左衛門氏が初代理事長になりました。

梅田安田記念の名前の由来である安田伊左衛門さんですね。

石川実はその翌年の昭和30年(1955年)に安田理事長は退任されて、有馬頼寧理事長に引継がれます。有馬理事長は「大障害に加え、ダービーに匹敵するような平地レースを中山競馬場でもやろうじゃないか」ということで中山グランプリを昭和31年(1956年)に創設しました。一年の締めくくりのレースとして、その年に活躍した馬たちを一堂に会して競わせるというレースがこの時に生まれたのです。

梅田有馬記念が出来たのは戦後のことだったのですね。この頃の有馬記念って、どんな雰囲気だったのでしょうか?スタンドだって、今のような感じではなかったでしょうから。

石川第1回中山グランプリが行われた昭和31年(1956年)というのは、スタンド改築が開始された年でもあります。それまでのスタンドは戦争の爪痕が各所に残っていて、安全面で危険視されていたのですが、有馬氏の尽力で昭和31年(1956年)から昭和43年(1968年)まで数期に分かれてスタンド改築が断続的に行われていきます。ということで、近代的なスタンドに移り変わってゆく最初の年に第1回中山グランプリは行われたのですが、入場人員は2万7,801名という記録が残っています。ちなみに、現在のスタンドは平成2年(1990年)に竣工していますが、私が競馬会に入会したのが平成元年(1989年)なので、大学生の時に何回か足を運んだ中山競馬場のスタンドには、第1回中山グランプリが行われた当時のスタンドも一部残っていたはずです。そして残念なことに有馬氏は、第1回中山グランプリが行われてすぐ、昭和32年(1957年)1月9日に急逝されます。中山グランプリを提唱し、実現してからわずか1カ月も経たずに亡くなられてしまったのです。

梅田せっかく中山グランプリができたのに、悲しいお話と言いますか…。

石川在任期間わずか1年9カ月でしたが、もちろん中山グランプリは大成功でしたし、それ以外にも数々の功績を残されましたので有馬氏の名前を残すため「中山グランプリ」を「有馬記念」と改称し、今も続いているということです。

梅田そういうことだったのですね。お名前は存じ上げていましたけど、詳しくはそういう経緯だったのですか。この土地で競馬をやるようになってから、もう何年になるのでしょうか?

石川移転してきたのは大正9年(1920年)ですが、先ほどもお話ししたとおり当時はいろいろと混乱がありまして、銅像にもなっている肥田氏や中村氏らが尽力されて正式に競馬開催が始まったのが昭和3年(1928年)となります。3年後の2028年に100周年を迎えるので、もう今から100周年に向けていろいろと準備を始めているところです。まだ青写真を描いている段階ではありますが。

梅田あと3年で100年ということは、今は97年目ということでしょうか。改めてすごいですね!すごく歴史があります。97歳の方がいらっしゃったら、中山が始まった時から競馬を見ていた、という人がいらっしゃるかもしれないですね(笑)

石川その頃は全国で同じように平行して各地で競馬倶楽部ができていました。個別にやっていたはずが、面白いものでどこも同じような道を歩んでいたようです。そして昭和29年(1954年)に日本中央競馬会が設立され、各競馬場が日本中央競馬会の一事業所として動き始めて、中央競馬会職員としての初代場長が誕生した形です。ですから、どこも初代場長は昭和29年(1954年)就任となっています。

“オグリ・コール”の17万人を収容したスタンドが今も残っている

梅田ずっしりと歴史の重みを感じますね。ところで中山競馬場で他の競馬場と違う特色って、改めてございますか?施設面などもそうですが。

石川施設面に関して言えば、先程お話したように中山競馬場のスタンドは平成2年(1990年)竣工です。平成元年入会の私にとっては当時最も新しく、キラキラしたスタンドでした。その後、全国の競馬場スタンドが順番に建替えられ、結果的に今は中山が一番古いスタンドになっています。この古さを逆に魅力に感じていただきたいと思っています。もっと具体的に言うと、「オグリキャップが有終の美を飾った1990年有馬記念で、“オグリ・コール”の17万7,779人を収容したスタンドが今も残っている。」ということです。

梅田もう地鳴りのような“オグリ・コール”と語り継がれている…。

石川その時はまだもちろん梅田さんは競馬をやっていないですよね(笑)?

梅田私は小学生で、父が競馬好きだったので一緒にテレビで見ていたと思います。

石川私は当日ウインズ後楽園に執務していて現地には居なかったのですが、本当に凄かったみたいです。昼過ぎには船橋法典駅のホームにまで人が溢れて電車から降りることも出来ないくらいだったそうです。

梅田駅まで行けないくらいだったということですか。

石川西船橋駅で「船橋法典駅では下車できません」とアナウンスを繰り返していました。たぶん午後の2時とか3時に着いた人はぎりぎり電車を降りることが出来てもホームや競馬場への地下通路で前に進めないまま発走時刻になってしてしまったのではないかと思います。ネットもPATも動画配信も無い不便だけどいろいろ熱かった懐かしい時代、当時の競馬場を知っている人が、当時と同じ施設のなかで競馬を楽しめるのは、中山競馬場だけになっています。もちろんこの35年の間に内装は何回もリフレッシュしていますし、観覧席なども余裕のある座席に改装していますけど、柱とか壁はそのままなので、当時を懐かしむ人にしてみれば各所で面影を見つけることができるはずです。

梅田きれいに使って、昔の良さを残しつつ、今の新しさも取り入れつつ、ですね。来場者の方に楽しんでもらえるような取り組みなどで普段、職員さんたちで努力されていることなどはございますか?

石川昔は少しでも多くのお客様に競馬を見てもらって買い漏れなく馬券を購入していただく、雑な言い方をすると「多数のお客様をどう捌くか」を目指した施設だったのですけど、今は競馬を見て馬券を買うだけだったら、競馬場に来なくても十分に楽しめます。とは言えやはりライヴで競馬を観て独特の臨場感を味わってもらいたいという気持ちは強いです。お客様に特別感を持って快適に過ごしていただける施設に変えていこうという取組みは、全場で共通して目指していることだと思います。まずは座っていただける環境を整えて、ネットもちゃんと繋がるように、と。

梅田確かに電波は昔よりもつながるようにはなりましたよね?どうしても人数が集中してしまいますものね…。

石川いろいろと頑張っているのですが・・・。でも、需要の波が大きすぎるので。年間40日余りしかない開催日のために、もっと言うと非常に大勢のお客様が集まる有馬記念、金杯、皐月賞など数日間だけのために大きな設備投資をすることはどこの通信会社もなかなか難しいようです。場内で独自のWi-Fiをストレスなく利用していただけるように様々な取組みを進めている最中です。

梅田いろいろ格闘しながら、うまく快適に皆様に過ごしていただけるように、ですね。

石川今はもう「ネットが繋がらないと楽しめない」というのが普通になってきていますからね。ネット投票など我々のインフラも、それに頼った形で整えていますから。最重要課題の一つだと考えています。

競馬場の周辺に住んでいることを誇れるくらいの気持ちになってもらえたら

梅田やっぱり競馬場の周りは住宅地が多いので、そのあたりで気を遣われたり、地域と連携することも大変なお仕事ですよね。

石川地元の方々とは、互いに親しくさせていただいています。お祭りとか、ちょっとした集まりがある時に、我々は平日利用していない土地や施設がたくさんあるので場所を提供したりしています。競馬場の駐車場で行われた盆踊りを訪ねてみたのですが、すごく盛大な盆踊りをやっていて、割と遠くからわざわざ楽しみに来ている方もいらっしゃいました。我々もファンサービス用に配っている競馬グッズを袋詰めにして、抽選会の賞品などに加えてもらっています。抽選会で競馬グッズが当たる場面では抽選時にG1のファンファーレが流れていました。地元と競馬場の一体感みたいなものを感じてほっこりしました。

梅田それはうれしいですね!

石川周辺に住む方々が、自分たちが競馬場の周辺に住んでいることを誇れるような気持ちになってもらえたら嬉しいです。中山競馬場では皐月賞が終わって秋の4回中山が始まるまでの間に芝を張り替える作業をしています。一旦芝を剥がして、バスマットみたいな感じで用意された新しい芝を何千枚もきれいに並べていって、踏んで固めて水をかけて、という作業を延々と繰り返すのですが、「芝張り体験」という体験学習として地域の小学生を招待して手伝ってもらっています。大はしゃぎで楽しそうにやってくれています。

梅田へぇー。それを楽しみにしている子供も結構多いということですよね。もちろん先生方も。

石川それで作業の後に、整っている芝の上で「ここで馬が走るんだよ」と実際に走ってもらったりもしています。一年でいちばん暑い時期なので見ている大人は汗みどろでぐったりなのですが、とにかく子供たちは嬉しそう(笑)。

梅田そういうことから競馬場と馬に親しみを持つきっかけになるかもしれませんよね。

石川それは会を挙げて本当に大事なことだと思っています。職員ばかりじゃなくて、厩舎や生産牧場など、広く競馬産業に将来的に携わりたいと思ってもらえる人材を育てなくてはいけないなかで、幼い頃から競馬や競馬場への親しみを持ってもらえるような体験は絶対に有効だと考えています。他には小学校にポニーを連れて行くことも頻繁に実施しています。

梅田そうなんですね。それは喜びますよね!馬に触れたり、乗ったり、表情を見られたりするのは普通に関東に住んでいたら、なかなかできないことですからね。

石川ポニーの活用は中山独自のことではなく、おそらくどこの競馬場でもやっていると思います。近くに競馬場があってよかったと思ってもらえる一助になればと思いますし、それに加えて今言ったような競馬や馬そのものへの親近感が醸成されるきっかけになってほしいと思います。

私は昭和のおじいちゃんなので(笑)。だから今年は本当に楽しみです

梅田将来、もしかしたら競馬関係の仕事に何か就きたいなと思ってもらえたらいいですよね。素敵な話です。その時の経験がフックになって子供たちの心に留まっていたらいいですよね。あと、中山競馬場のイベントはたくさんあると思いますが、中山ならではのイベントなどはございますか?

石川イベントという言い方はおかしいですけど、何よりも有馬記念ですね。今年は暦の関係で年末最終日に有馬記念が施行されます。

梅田私もこれが好きです(笑)。最後がいい!

石川私も競馬会の職員ですから、あまり開催日割りに文句を言ってはいけませんが(苦笑)。でも、例えば有馬記念の何日か後にホープフルSで締めくくるというよりは、「最後は有馬記念」の方がしっくりきます。私は昭和のおじいちゃんなので(笑)。だから今年は本当に楽しみです。

梅田ですよね。今はドラマの「ザ・ロイヤルファミリー」が有馬記念のテーマで、これからどんどん話も佳境になりますしね。

石川ドラマが12月半ばに最終回を迎えて、興奮冷めやらぬ状態で本物の有馬記念がある。しかも本当に年末最後、という形になります。このようなタイミングで中山競馬場に勤務できていることを嬉しく思います。

梅田実際に「競馬は近づき難かったけど、ドラマを見て興味を持った」という人が増えたりしたらいいなと思いますよね。

石川競馬を始めるきっかけは色々だと思うのですが、「馬券が当たった外れた」だけだと続かないと思うんですよ。やはりレースの背景というか、「それぞれの馬は考え抜かれた血統の元に生まれてきていて、生産者がいて、育成があって、馬主がいて、調教をして、ケガをすることもあれば、勝ったり負けたりもあって、そして血統を繋いでいく」という繰り返しじゃないですか。「ザ・ロイヤルファミリー」はそういう楽しみ方を示唆してくれているという点で本当にありがたいドラマだと思っています。私は一時期、ファンの動向を分析研究する部署にいました。世代別の「購入継続年数」を調べると、本当に長く続けてくださっているファンの方々が集中しているのは(テレビゲームの)ダビスタがきっかけで競馬を始めた世代の人たちなんです。ダビスタ世代のファンの方々はゲームの中ではありますが、血統を考え生産して、調教して、使うレースを決めて、って「ザ・ロイヤルファミリー」の登場人物を一人で何役もやりながら競馬を始めた方たちなんですね。競馬が今後も持続していくためには、走っている馬を単なる「馬番号」じゃなくて、「背景を背負った生き物」としてファンに楽しんでもらうことが不可欠だと思います。

梅田一助になりますよね。あのドラマからバックグラウンドも、いろいろと見えますものね。結構リアルな場面も多いじゃないですか。「あるよね~!あるある!」と思いながら見ています。場長も見ていらっしゃいますか?

石川はい。もちろんです。中山競馬場でも頻繁に撮影を行なっていますよ。(笑)。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋、Photograher:山口比佐夫)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年12月22日 に公開されました。

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