ゲスト
西川賢 会長 一般社団法人中山馬主協会

02. 父の思い出、そして時代を越えて思う中山馬主協会の素晴らしさ

父の思い出、そして時代を越えて思う中山馬主協会の素晴らしさ
当協会・西川賢会長をお迎えしてお届けする梅田陽子の「ホースと共に!」。西川会長は、芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長であり演歌歌手(芸名・山田太郎)としてもご活躍されています。後編では、芸能界の秘蔵エピソードほか、中山馬主協会会長の立場から当協会の魅力を語っていただきました。

興行師として成功した父・幸男さんの秘蔵エピソード

梅田会長が役員になられたのは、何歳の時ですか?

西川会長僕が馬主になったのは20歳の時だから、役員になったのは40代かな。会長になって18年だね。梅ちゃんはあんまり昔の話をしても分からないかな?

梅田私は“ディープインパクト世代”なんですけど、もともと市川市の鬼越に住んでいました。競馬が大好きな父がタケシバオーのファンだったので、その世代の活躍馬も気になります。

西川会長そうなの!?タケシバオーは海外遠征したこともある強い馬だったんだよ。タケシバオー、アサカオー、マーチスの3強の時代だね。

梅田父が好きでしたね。中山競馬場の地下通路に写真がありますけど、その頃は写真が白黒なんですよね。会長はお父様も馬主さんだったんですよね。

西川会長そうそう。親父(西川幸男氏)が馬主になって、それでなんで馬主になったのかと言うと、「馬はナンボ稼いでも口を利かねえ」、「タレントは稼ぐと生意気な口を利く」と。うちの親父は、戦中、戦後、もちろん戦前の時代も生きてきて、昔は日本の一番の娯楽は浪曲だったんですよ。テレビのない時代でラジオから流れてくるのは、歌で言えば東海林太郎さんとか古い人が歌謡曲を歌ったりしていたんだけど、浪曲というのは日本の本当の娯楽の一つで、仕事を終わると7時半か8時頃に浪曲の番組があるわけよ。玉川勝太郎だとか、広沢虎造とか、木村友衛とか“大看板”がずっと浪曲をやっていたのよ。

梅田すごく伝統的な歴史のあるものなのですね。

西川会長うちの親父が興行を始めたのは、二十歳の時に木村友衛に弟子入りしたんけど、うまくないということで「興行師になれ」ということでなったんですよ。「お前を応援してやるから」って言ってもらえて。それからいろんな地方にも足を運んで、「広沢虎造、弟子・虎若」とか、「玉川勝太郎、弟子・福太郎」とか、5人くらい並べて浪曲をやるわけですよ。だから弟子たちは、自分の家に全部住み込みで面倒を見ていました。関西の方も行ったり、全国でやっていた。そうやって親父がビラ貼りをしていて、栃木の真岡に行った時のこと。そこにまだ作曲家になる前の船村徹先生がいて、そしてコンビを組んでいた高野公男という作詞家もアルバイトでビラ貼りをやっていたんですよ。

偶然の再会が生んだ村田英雄のミリオンセラー「王将」誕生秘話

梅田そういう時代があったんですね。

西川会長そう。話をすると長いけど、それが「王将」につながっていくわけですよ。後に日本コロムビアの廊下で船村先生とばったり会って、「西川社長ですね」と声をかけられて、親父は誰だか分からなかった。「そうだけど」と答えたら、「僕、船村です。ビラ貼りをしていた船村徹です」と。それで「いやいや、懐かしいな!」となって、「今は何をやっているの」と聞いたら、「僕は『別れの一本杉』という曲でヒットしたんです」と言うわけですよ。「なんだよ、春日八郎の『別れの一本杉』は君が作ったのか!じゃあ村田英雄の歌を何か作れ。俺は村田英雄が売れないと困るんだ」と言って、「書かせてください」と書いてきたのが「王将」なんだよ。

梅田すごい!人の縁を感じるエピソードです。

西川会長それが戦後初のミリオンセラーになって、うちの親父は西川興行社から新栄プロダクションに変えて、あの村田英雄を売り出したんですよ。その前に、浪曲の時代に古賀政男先生というビックな先生がいらっしゃって、この古賀政男先生も村田英雄の浪曲を聴いていて、「村田英雄に歌わせたい」と親父に電話がかかってきたんです。もちろん古賀政男先生のことは親父も知っていますから一緒に会いにいったんです。そうしたら「無法松の一生」という曲ができていた。これを歌ってみてくれということになって、売れると思ったのよ。そうしたら、売れないんだよ…。それで先生に「どうやったら売れるんですかね」って聞いたら、「西川さん、もうとにかく知っている人にね、この『無法松の一生』のビラを全国に貼ってもらったらいいよ」と言われて、いろいろな所にポスターを配ってお願いしますと貼ってもらったんだけども、売れなかったんだよ。それでもポスターを貼ってもらったから、「村田君、あそこにいって浪曲をやってこなくちゃいけないな」と言って、村田英雄も「しようがないですね」ってギターを連れて「無法松の一生」を歌って、浪曲は違うものをやったのよ。その時に廊下でバッタリ会ったのが、船村徹さん。それでできたのが「王将」なんだよ。

梅田すごく有名な方ですから、最初からヒットしていたと思っていましたけど、そんなご苦労もされていたのですか。

西川会長これも面白いんだよ。最初は村田英雄が「はぁ、社長、将棋の歌ですか…」って言ったんだよ。それで親父は「君ね、詩を読んで見ろよ。『拭けば飛ぶような将棋の駒に、かけた命を笑わば笑え』。これは俺と君のことを言っているんだよ。興行師なんて、人に頭を下げて、君もお客さんに頭を下げて歌を歌わないと金儲けができない。将棋を指す奴は将棋をやってナンボなんだ。勝たねばいけないんだよ」ってね。それで社長が言うなら歌いますよ、と歌ったのが王将なんだよ。

梅田すごいエピソードです。私も先生がよくご自身の歌を歌っていらっしゃるのを拝見したことがあります。うちは母もおばあちゃんも演歌が大好きですから(笑)。もちろん会長が出演される時は欠かさず拝見していますよ。

西川会長から見た中山馬主協会の魅力と素晴らしさ

西川会長そう言えば、この間はアイルランドの大使館に行ったんですよ、アイルランドトロフィーのレースのレセプションで。その時に話題になったのは、アイルランドの馬がジャパンCに行って、初めて優勝したことなど(1983年の第3回はアイルランド産のスタネーラが優勝)。そもそもアイルランドは、すごい強い馬が昔からいっぱいいるのよ。有名な血統をたどってもそうですし、そういう時代背景のなかで「サラブレッドは俺たちが作ってきたんだ」とアイルランド、イギリスの人たちは自負していますからね。そんないろんな話をした時に、「アイルランドに来ませんか?そんなに長く競馬に携わってきているのならば、アイルランドの歴史も映像とかでたくさん残っていますから、そういうものを見に来てくださいよ」と、アイルランド大使から誘われたんだよね。

梅田私もアイルランドに番組のロケで行かせていただきました。カラ競馬場やエイダン・オブライエン調教師の息子さんのジョセフ氏の厩舎に行かせてもらったり、クールモア、アガカーン氏のスタッドに行ったりしました。実際に行って見て、とにかく規模が違う。すごかったです。アイルランドでは、馬は単なるスポーツやレジャーの対象ではなく、人々の暮らしや価値観の中に深く根を下ろした存在なんだなと感じました。文化として根付いていますね。さて、そんな長く携わっていらっしゃる会長の中山での思い出などがありましたら教えていただけますか?

西川会長やっぱり俺は中山競馬場に厩舎がある頃から競馬をやっていたからね。競馬で馬が勝つと、賞金という窓口があるんだよ。そこで賞金をもらったんだよ。当時、200万円くらいまでは封筒でもらえて、300万円くらいだと桐の箱になった。その桐の箱は紫の風呂敷で包んである。それで、それを持ったまま馬主席にはいけないから、ほとんど運転手か厩舎に預けるかするわけですよ。だってその当時は競馬場に厩舎があったからね。もう「社長さん、おめでとうございます!」なんて調教師の奥さんが飛んできて、みんな祝儀をもらいたくて、それこそ全厩務員もみんなで勝ったことを喜んで飯を食うから、こちらが「奥さん、頼むね」と言っておくと、お赤飯を炊いて待っているわけよ。それで競馬場から自分たちの仲間を連れて厩舎に行って、飲んだり食ったりして、道が空いた頃に帰る。俺たちは通称“おけら街道”って言っているけど(笑)、そこを通って帰ったようなわけなんだよ。

梅田昔の厩舎って、そういう感じだったんですね。会長みたいな熱量があって、人間味がある馬主さんなら、そういう時代の雰囲気をよくご存じでしょうが、今の時代だったら、そういうふうに皆さんが果たしてできるのかなと、ふと思ったりします。

西川会長今の人たちって、ご祝儀をやることすらできないのよ。現金をポケットから出して、人にあげるのは失礼だと思っちゃうのよ。そうじゃないのよ。「これは俺の気持ちだから、取っておけよ」と渡すわけよ。そういうことを今の現代の人たちは慣れていないのよ。

梅田みんな昔のやり方などは知らないですものね。

西川会長それって気持ちの表し方なんですよ。働いて頑張るからこそ、お金が入ってくるわけだから。だから、“お金を切れるオーナー”がいなくなったのよ。勝てばありがとうって、俺なんて今でもそうだけど、現金書留で厩舎に送るからね。そういう馬主って、今いないと思うんだよね。厩舎が競馬場にあった時代からいるから、そういうことが習慣になっているところはあるよね。この厩舎には厩務員が何人いて、みんなで一杯やってくれや、とか。また例えば中山でも東京でも直接厩舎に行けるから、自分の愛馬の担当厩務員に「これでたばこを買って」と2、3万あげたりするわけよ。そういうことでコミュニケーションが取れて、正直に話してくれるわけよ。

梅田やっぱり人と人のお付き合いって大事ですものね。改めて中山馬主協会の良さって、どんなところでしょうか?

西川会長役員さんの馬が勝ったら、私は必ず口取り式へ手綱を取りに行きますし、それが「和」なんだろうね。なかなかできないよ、人の馬が勝って手綱を取りに行くなんて。これは勝負の世界だから、誰でも負けたら悔しいんだから。1、2着の写真判定で自分の馬が負けた時だって、僕は写真を撮りに行ったんだから(苦笑)。それってさ、微妙な喜びなんだよ。そりゃ悔しいけれども、行かなくちゃいけない会長という立場。それをみんな分かってくれているから、みんな仲良く、俺はそれでいいなと思う。中山には「西川さんを裏切ったらやばいぜ」って義理堅い人がたくさんいるしね(笑)。それがうちの良さなのよ。

梅田世の中の変化とともに変わっていかなくてはいけないこともあるけれど、人の心だったり温かみだったり、義理人情みたいなものは変わらずに、いつも“そこ”にあって欲しいなと私も心から思いました。今日はゆっくりお話する機会をいただきまして、ありがとうございました!また西川会長、競馬場で宜しくお願いします!!

(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年12月9日 に公開されました。

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