ゲスト
長浜卓也 さん 社台ファーム

01. セレクトセール“名物”鑑定人の素顔は熱い九州男児

セレクトセール“名物”鑑定人の素顔は熱い九州男児
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。今回のゲストは、社台ファームで長浜卓也さんです。長浜さんは競走馬の育成を担当するほか、セレクトセールでは鑑定人も務めています。前編では、競馬の世界に入るきっかけから伺いました。

幼稚園の時のあの1万円がこの業界への“第一歩”だったかもしれないです

梅田今回は社台ファームの長浜卓也さんにお話をうかがいたいと思います。よろしくお願いいたします。長浜さんと言ったらセリのイメージが強いので、お顔をご存じの競馬ファンの方は多いと思います。そして普段はどんなお仕事をされているのか気になっている方も多いと思います。最初に馬の世界に入られたきっかけを教えてください。

長浜私は北九州の出身で、そもそも私の親戚に長浜調教師がいました。私の父方の祖母と、アグネスタキオンやアグネスフライトを管理していた長浜博之調教師のお父さんの長浜彦三郎さんが、きょうだいだったんです。私が幼い頃、小倉開催時に長浜彦三郎さんが家に顔を出したりしていて、長浜彦三郎さんは幼稚園児に黙って1万円をくれるような人で、親戚の競馬のおじいさんが来ると聞いたら、私は一歩も外に出なかったそうです。それは私の親が言っていたんですけど、いつものように野球をしに行かずに、1万円欲しさに家にいたそうです。あの1万円が、この道に入る大きなきっかけだったかもしれないですね(笑)。それで、その当時の長浜厩舎の馬が小倉に来た時に応援していたというのが、競馬との最初の始まりじゃなかったかなと思います。だから40数年前のことですよね。長浜彦三郎さんの厩舎の主戦が、アグネスレディーでオークスを勝っている河内洋さんであり、私は河内さんのファンでもあり、ずっと応援をしていました。それで長浜彦三郎さんが亡くなって、長浜博之調教師が開業して、という流れですよね。

梅田そういったご親族の縁があったのですね。

長浜うちの父と長浜博之調教師はいとこにあたります。私はいとこの息子ということで、ちょっと遠いんですけど、その割には行き来が多かった親戚です。

梅田お父様も馬関係のお仕事をされているのですか?

長浜父は北九州で食堂をやっていました。だから馬関係は長浜彦三郎さんの方だけでした。だからこそ、あの幼稚園の時のあの1万円がこの業界への“第一歩”だったかもしれないですね。

梅田長浜彦三郎さんの思い出で他に覚えていらっしゃることはありますか?

長浜あのおじいさんのことは好きで、「ザ・昭和」のおじいさんで厳しい方だったそうですけど、私は厳しくされた記憶はゼロなんです。もともと北九州の生まれのジョッキーで、当時は近所に馬主さんがいらっしゃったそうなんですよ。それで「長浜のところのちっこいのがおるから、勉強もせんなら騎手にならんか」と誘われて、当時の中京競馬場に連れて行かれて、中京競馬場所属で騎手になったと聞いております。

梅田そうなんですね。結構昔のことになりますけど、先ほどお話に出てきたアグネスレディーは私が生まれた翌年にオークスを勝った馬ですね。

長浜アグネスレディーのオークスの日(1979年5月20日)が、私の幼稚園の運動会の日で、当然私の父はアグネスレディーの応援で運動会に来ていなくて、僕もオークスを見たかったということは覚えています。それで幼稚園の運動会が終わって走って帰って、父親に結果を聞いた覚えがあります。「おお!勝ったぞ!」と言われて、そんな幼稚園児でした。

梅田そういう意味では、なかなかの筋金入りですね(笑)。

長浜振り返ってみれば、そうかもしれませんね。自分では自覚はなかったですけど。アグネスレディーは雨の桜花賞で(6着に)負けたんですけど、勝ったのがホースメンテスコで佐々木晶三ジョッキーだったんですよ。そういう時の自分が見ていた競馬の記憶が、今のこちらの世界に入ってから、いわゆる牧場の営業として仕事をするなかで、すごく役に立っています。ミーハーなことが、すごく生きているようなところはあると思います。記憶にある一番古い日本ダービーは、伊藤正徳ジョッキーが勝ったラッキールーラとハードバージのダービー(1977年)なんですよ。ハードバージは福永洋一さんで皐月賞を勝ったんですけど、ダービーはケガで乗れなくて武邦彦さんが乗り替わりで乗ったのをラッキールーラが差したんですよ。だから牧場の営業として働くなかで、伊藤正徳さんが来ると聞いたら、自分のところの馬がどうのこうの話す前に、伊藤正徳先生にダービーの話を聞きたくて質問攻めにしてみたりとかしていました。そういうことが今となって役に立っている気がします。

梅田競馬に出会って間もない頃の幼心に残っている馬って、忘れないですよね。

長浜西浦勝一さんは当時ジョッキーの時によく小倉で乗っていた印象がありまして、皆さんは(1984年のジャパンCなどを勝った)カツラギエースの方が有名だと思うんですけど、私個人的には小倉で走ってたショウリテンユウという馬の印象が強かったんです。それでショウリテンユウのこととかを西浦さんにバンバン質問をぶつけて、それをきっかけに西浦さんにはずいぶんかわいがっていただいたりとかしました。河内さんも、先ほど話したような縁があってかわいがっていただいて、騎手を辞めて調教師になってうちに出入りするようになってからも、ずいぶんかわいがってもらいました。あと、「九州出身です」と言うと目をかけてくれる“九州男児”の方々が多いんですよ。瀬戸口勉先生、北橋修二先生、橋口弘次郎先生、音無秀孝先生、あと石坂正先生。鮫島一歩先生もそうですね。関東では栗田博憲先生もそうでしたね。それがきっかけで声をかけていただいたりとか、そういう機会はすごく多かったですね。もともと東京の大学に行きたかったんですけど、受験に失敗して地元の大学に行きつつ、そのお陰で小倉競馬場通いは継続できました。結局は九州に残っていて、それがいい方に向いたのかもしれませんね。

いろいろな企業の就職試験を受けたこともいい経験に

梅田小倉競馬場に通っていて、今思えば地元で競馬を見ていたことが今につながっている気がしますね。長浜さんご謙遜されていますが、めちゃくちゃ面白いお話ですよ。素敵なことだと思います。それで大学を卒業されてから、すぐに社台ファームさんへ行かれたのですか?

長浜実は馬のことを職業にしたいと長浜博之調教師に相談したら「考えが甘い!」と大反対されました。それでも食い下がったら、「馬のこと、何も知らんのやから、牧場に行って1からではなくて0から勉強しなさい」と言われて社台ファームを紹介していただいたんです。もちろん就職面接を受けて社台ファームに入社したのですが、大学に通っている時に馬の業界に行くのはいいけれども、大学4年生の時はいろんな会社にOB訪問をしたり、就職面接を受けに行ったりして歓迎されたりするのは今しかないのだから、将来どの道に行くにしたって、とりあえずチャレンジしてみろとハッパをかけてくださった人生の先輩がいました。馬の仕事がしたい、社台ファームに就職したい、という意欲がありつつも、結構な数の企業に就職面接を受けに行って、ずいぶん自分の気持ちも乗ってきて、化粧品、お菓子の某メーカーは、このまま進んで行ったら就職しようかなと思えたくらい魅力的な会社でした。

梅田そうだったんですか。それらの大手の会社さんも含めて、いろいろな企業を受けられたのですね。

長浜OB訪問から始めましたが、自分は「絶対にどこかに就職しなくては」というのではなく、社会勉強の一環として企業訪問をしているから、面白かったですね。変に「ここへ就職するためにはどんな作戦でいこうか…」とか考えずに、採用側の方々とお話させていただいて、いろいろともまれて、ずいぶんといい経験をさせていただきましたね。面白かったですし、学生もいろいろな人がいて楽しかったです。

梅田長浜さんのような方ですと、最終面接まで行って内定をもらう流れだったところも数多くあったのではないかと思います。

長浜いくつか最終まで行きましたね。内定をもらえたかもしれませんが、その前の時点で断念することにしました。

セレクトセールが始まった1998年に社台ファームへ入社して馬の世界へ

梅田その間に馬の世界に入ろうと決意されたわけですね。

長浜そうです。それで社台ファームに1998年に入社して、その年からセレクトセールが始まりました。お客さんはもちろんのこと、セリの主催者側もほぼ手探りでした。人出も足りないので、さすがに1年目で鑑定人はやっていませんでしたが、セリの会場を行ったり来たりしていました。その時にノーザンホースパーク側にいて、いろいろと打ち合わせなどで顔を合わせていたのが、今の西村真幸調教師だったり、あと羽月友彦厩舎で助手をやっていらっしゃる長谷川さんという方もいました。このまま一緒にセリの仕事をやっていくのかなと思っていたら、長谷川さんはノーザンホースパークを退職されて、競馬学校に入られて、今は羽月厩舎で助手をやっているんですけど、入社して間もない頃にいろいろとやり取りしていた人と、いまだにつながりがあるのはセレクトセールのお陰です。

梅田なるほど。セレクトセール1年目のセリの雰囲気はどんな感じだったのでしょうか?

長浜会場自体は同じなんですけど、今と鑑定台の場所も違いますし、販売者はもちろんのこと、購買者も“セリ慣れ”していないという不思議なセリだった感じがします。あんまり競っているところを相手に見せないようにしようとするばかりに、サインが見えずに取りづらかったとか、難しかった覚えがあります。販売者側も購買者側も、お互いが慣れていなくて、手探りのまま始まっていったような気がします。

梅田先ほどおっしゃっていたように1年目は鑑定人をやっていらっしゃらなかったとのことですが、2年目からはどんな役割を任されていたのでしょうか。

長浜2年目からは、いわゆる「ビットスポッター」をやり始めました。お客さんのサインを知らせる係です。

梅田当初はどんなセリをお手本に、今の形に近づいていったのでしょうか?

長浜全部じゃないですかね。今は会場作りも含めてオリジナルでやって世界一のセリだと思ってやらせていただいていますけど、それは全部じゃないですかね。これは聞いた話ですけど、世界中のセリも全部見て回って、中尾さん、徳武さん、田辺さん、当時の最初にセリに携わった方々は南半球のセリにも行ったそうですし、ダメ押しで函館のイカのセリにも行ったそうです。

梅田イカのセリですか!?そういうところのいい点を参考にするほど研究熱心だったんですね。

長浜日本語でのセリの回し方というか、それを参考にできればと考えて行かれたそうです。

梅田それもまた興味深いですね。

長浜それで社台ファームで鑑定人をやっていらっしゃった田辺さんが退職をされて、私は8回目のセリかな。2005年から鑑定人デビューです。

鑑定台から見てきたセレクトセールで変わったこと、そして変わらないこと

梅田ということは“鑑定人デビュー”をしてから20年以上になったというわけで、ずっとやっていらっしゃるというのはすごいことですね。

長浜お客様あってのセリであって、セレクトセールの第1回から毎年買い続けてくださっているお客様って4人しかいらっしゃらないのですよ。金子真人さん、ノースヒルズさん、そして薗部博之さん、原禮子さんです。これはとんでもないことですよ。必ずあの会場にいらっしゃって、7月2週目の月、火曜日に四半世紀以上いらっしゃる。少なからず1頭以上の馬を買い続けるというのは、全てが足りていないと無理です。健康はもちろんのこと、とんでもないことです。それで私は2005年から鑑定人をやっていますが、第1回から買ってくださっている方々からしたら、ただしゃべっているだけです。

梅田セレクトセールは30年近く続いていますが、長浜さんからご覧になって変わらないこと、また変わってきたと感じることはありますか?

長浜自分が鑑定人を始めた頃からなんですけど、ノーザンファームの事務所で中尾さん、徳武さんと鑑定人会議をやっている合間に、吉田勝己社長がそこに顔を出してお話をする機会が結構ありました。馬主さんのみならず、馬主さんが連れていらっしゃる方にも気分良く帰っていただけるようにという話をされて、「お金を使わない人にも喜んでもらいたい」と。これはその当時から終始一貫していることなのではないかと思います。盛り上げてくれるのは、お金を使わない人だと。お金を払う方は思った通りに馬を買えなかったり、予算オーバーになったり、お金を払う方は面白くなかったりするのはしかたがない、と。同伴者の方が面白かったと言ってくれて、あちこち宣伝してくれるわけだから、気持ちよく過ごしてもらいましょうと。あのセリに行ってもつまらない、というようなセリだけは作っちゃダメだよ、と。そうするためにはどうしたらいいと思う?と耳を傾けてくださって、みんなで意見を出し合ったりしました。とにかく、お客様に快適に過ごしていただくという信念は終始一貫していると思います。

梅田変化してきたことはありますか?

長浜セリのスピード感も含めてお客様もセリに熟練してきていますし、馬のレベルはもちろんのこと、今や外国からどんどん種牡馬も繁殖牝馬も買ってきて、外国人が買えないって言って帰るくらいのセリですから、馬のレベルと質に関してはここ最近10年くらいでガラッと変わってきているのではないですかね。そもそも今の時代は海外でも日本の馬が強いですからね。昔は外国の血統の方が売れていた時代もありましたけど、4代血統まで自分たちの知っている種馬ばかりで固められているわけですから、日本の馬、血統がいかに強くなっているかというのは、ここ数年でどんどん加速していっているように思います。例えばエフフォーリアの子って、その血統もみんな知っている馬ばっかりなんですよ。エフフォーリアの子が出てくれば、知っている種馬の面影が何となく全部出てくるんですよ。

梅田確かに血統表を見ても、その通りだと思います。

長浜エフフォーリアの父である種馬がエピファネイアで、エピファネイアはシンボリクリスエスの子供で、そのお母さんはシーザリオ。シーザリオのお父さんはスペシャルウィークで、エフフォーリアのお母さんのケイティーズハートのお父さんはハーツクライで、エフフォーリアの子供が出てくると、うなじから尾の付け根まで長いシルエットラインはハーツクライが出ているのかなとか、骨量がしっかりした馬が出てくるとシンボリクリスエスなのかなとか。あとエピファネイア自身もそうだし、エピファネイア産駒の特徴として口が深い、奥の方でハミを噛むというのは、明らかにエピファネイアが出ていると思います。エフフォーリアの子が出てきただけで、知っている種馬の特徴が見えるんですよね。そういうのは20年前とかセレクトセール創成期には考えられませんでしたよね。最近では、だいたい全部知っている血統になっていますから。

梅田種牡馬からたどっていっても全部知っている馬がいることで、いろんなことが見えてきますよね。

長浜変わってきているところは、そういったところじゃないかなと思いますね。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年11月12日 に公開されました。

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