ゲスト
今井勝士 さん 胆振軽種馬農業協同組合

01. メジロ牧場で働いていた父の影響から競馬、馬産地をサポートする世界へ

メジロ牧場で働いていた父の影響から競馬、馬産地をサポートする世界へ
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。今回のゲストは、胆振軽種馬農業協同組合参事・今井勝士さんです。胆振軽種馬農業協同組合は1965年に設立され、「強い馬づくり」を目標に多くの組合員数が集い、北海道市場業務事業、防疫衛生業務等の指導事業、「胆振輸出検疫施設」の維持・管理業務などの受託業務を行い、今井さんは45年間業務に携わっています。前編では、組合の活動や今井さんが競馬に関わるようになったきっかけなどをお聞きしました。

競走馬の生産や育成する牧場が構成員となって成り立っている組合

梅田今回は胆振(いぶり)軽種馬農業協同組合の今井勝士さんにお話を聞かせていただきます。よろしくお願いいたします。グリーンチャンネルをご覧になっているようなコアなファンの方々は胆振軽種馬農業協同組合さんをご存じかもしれませんが、あまり一般的には「何をやっているところなんだろう?」とイメージするのが難しいかもしれませんので、そのあたりからうかがわせていただけますでしょうか。

今井こちらこそ、よろしくお願いいたします。胆振軽種馬農業協同組合と言うと、すごく字画が多くて固いイメージを持たれるかもしれませんね。まず、農業協同組合と言うとJAなどを連想しますよね。JAというのは金融とか、共済事業などをやっている大きな「総合農協」のことを言うんですけど、うちは「専門農協」と言って、畜産とかに特化したものをやっている農業協同組合なんですね。なので、うちは競走馬の生産とか育成とか、そういう牧場をしている方が構成員となって成り立っている組合なんですよ。

梅田地域柄、牧場の方々などが加盟されていて、メンバーの方々はすごく多そうです。

今井今のうちの組合員は55人なんですよ。僕が入ったのは昭和55年(1980年)でしたが、その入った当時はピークで組合員が145人くらいいたんですよ。今では3分の1くらいになってしまいましたが。

梅田どの業界もそうなのでしょうけど、それは人手不足や後継者不足によるものなのでしょうか。

今井一番は後継者不足ですね。競馬の世界って浮き沈みがあるじゃないですか。今はすごくいいですけど、その当時から山があったり、それこそリーマン・ショックのような谷があったり、競馬が衰退して地方競馬場が次々と廃止になった時期もあったじゃないですか。そういうこともいろいろあって、生産していく人がやめていってしまったりしましたので。

梅田バブルがはじけたり、リーマン・ショックであったり、それこそばんえいの北見競馬場がなくなったり、道営でも旭川競馬場など廃止になったところもありましたものね。

今井道営は何か所かでやっていたものを、今は門別に集約してナイター競馬をやっているんですけど、山形とか新潟などの地方競馬はなくなってしまいましたよね。そういうこともあって、やっぱり「生産馬が売れない、価格が安いなど、生産をやっていても採算が合わない」と言ってやめていく人もいるし、最近は後継者がいないということが多いですね。

梅田組合員55人というのは、55の牧場が加盟しているということなのでしょうか?

今井そうです、55の牧場が加盟しているということです。北海道のエリアで言うと、胆振と言っても範囲が広くて、札幌とか函館あたりも管轄しているんですよ。

梅田ずいぶん広いんですね。

今井広いんですよ。それだから牧場の数も多かったというのはあります。今は一番遠いところで森町です。

梅田あの駅弁のイカめしで有名なところですか?

今井そうです。そこで生産をやっていらっしゃるところが1軒あるんです。でも、結構名門のところとかもあったんですよ。昔ですけど伊達牧場とか分かりますか。あとはブゼンキャンドル(1999年エリザベス女王杯優勝)などを生産された上田牧場さんとか、あと鵡川にあったオペックホース(1980年日本ダービー優勝)を生産した鵡川牧場。あとは最近だと、よく知られているメジロ牧場がなくなって、今はレイクヴィラファームになったとか。これらはなくなってしまった牧場さんなんですよね。

梅田結構な数の名門牧場が、今ではなくなってしまったのですね。白老とか他のエリアもそうなのでしょうか?

今井白老では社台牧場というのは組合員として残っているんですけど、今は実際に生産などはされていません。ここは今のノーザンファーム、社台ファームの本家なんですよね。今では55名の組合ですが、おかげさまで大きい牧場さんが多くて、ノーザンファームとか社台コーポレーション白老ファーム、社台ファームの一部もうちに入っているんですよ。あとは追分ファームとか大きい牧場がありますね。

梅田胆振軽種馬農業協同組合さんのほかにも、北海道には同じような組合はいくつかあるのでしょうか?

今井北海道だと、あとは日高と十勝ですね。日高はすごい馬産地なので、かなりの軒数はありますよね。

梅田3つの農業組合さんで馬の世界を盛り上げようと一緒に取り組まれていることはあるのでしょうか。

今井そうですね。日高の新ひだか町にセリを行う北海道市場がありますよね。あそこは胆振と日高と十勝の3軽種馬農協が業務提携して、日本軽種馬協会の後援で開催しているんですよ。

私が本当に馬が好きになったのはテンポイントがきっかけ

梅田そうなんですね。もちろんセリの話は後でお伺いしたいと思いますが、その前に今井さんの経歴や業務について教えていただけますでしょうか。

今井私の父親は、今はなくなってしまったメジロ牧場に勤めていて、ずっと牧場で育ちました。父親も昔から馬ばっかりやっていまして、その関係で僕もこの世界に入りました。中学、高校時代は牧場で手伝いやアルバイトをしたりしていて、高校2年の冬休みに、父親の知り合いの牧場で人がいないというので「手伝いに来てくれ」と言われて、冬休みに2週間くらい手伝いに行ったんですよ。それでその時、帰る前の日、忘れもしない13日金曜日の仏滅に馬を放牧する時に、明け1歳馬にあごを蹴られたんですよ。それで5針くらい縫いました。競走馬に関わる仕事がしたいと思っておもってましたが、現場で働くセンスがないと思い、違う形で馬に携わる仕事がしたいと、この組合に入りました。

梅田それこそ馬の世界に行きたいと思っていらっしゃっただけに、顔をケガされたのはショックでしたね…。

今井そうですね。蹴られた時は痛くなかったんですけど、後から痛かったですね(苦笑)。もう骨が見えていたんですよ。それでこれはもう、馬に直接触るのは自分には向いていないし、センスもないと思ったのです。

梅田そういった現場というよりは、何か違う角度から関われたらと思われたわけですね。

今井そうです。たまたまその時、ここの組合で人を募集していたので、じゃあ入ろうかというので入れてもらいました。

梅田今井さんが入られた頃って、競馬がすごく盛り上がっていた時代ではないですか?

今井それこそ僕が本当に馬が好きになったのはテンポイントがきっかけで、そこにテンポイントの生産者が組合員でいたんですよ。吉田重雄さんですね。

梅田当時は胆振の農業協同組合に入りたいという若い人は多かったんじゃないですか?

今井いやいや、いないですよ。僕が入った時は昔からいらっしゃる年配の方が1人いて、その人が参事でいたんですよ。それで僕と同じタイミングで、一回り年齢が上の人が中途採用で組合に入ったんですよ。それに僕と女性の方を加えて4人でした。

梅田それでは当時、スタッフの方は4人だったのでしょうか?

今井当時は仕事もそんなに種類がありませんでしたからね。セリは開催していたんですけど、その頃は各軽種馬農協で、ぞれぞれ独自のセリを開催していたんですよね。

それぞれの地区でやっていたセリが1985年に北海道市場として1つに

梅田今みたいなセリとは、またその当時は違った感じだったのでしょうか。

今井私が入社したとき、札幌で競馬が終わった後に当歳のせりをやっていたんですよ。

当時は、どこにもないナイターのせりで、競馬開催が終わった後にお客さんを連れてきてセリをやっていたことがありました。

梅田へぇー。それってある意味で効率がいいですよね。

今井そうですね。馬をセリに出す方は大変でしたけどね。そもそも、馬用のセリに作られた会場ではなくて、共進会場と言って牛の品評会などをやる会場だったんですよ。もう今はないんですけど、そういう所でやっていたんですよね。私が入った当時はそういうセリをやっていて、職員も札幌に泊まるんですけど、楽しみは終わった日にススキノでステーキをごちそうになるんです。それも楽しくて行っていた思い出がありますね(笑)。

梅田当時はセリでどういう役割の仕事をされていたんですか?

今井当時は何でもやらないといけなかったですからね。記録とか購買者の受け付けとか、自分たちで開催している時はあらゆることをやっていましたね。

梅田今みたいにスタッフの方も多くなかったでしょうから、何でもできなくちゃいけないマルチプレーヤーみたいな感じだったのでしょうか。

今井そうですね。みんな何でもやらなくてはいけないし、もちろん我々だけでは無理なところは組合員や青年部の若い方々に手伝っていただいたり、組合員と一緒になってセリを成功させようとそんなふうにやっていました。

梅田当時から「ハーイ!」とか「ありませんか!?」みたいなオークションのようにやっていらっしゃったのでしょうか?

今井当時はそういうのはなかったんですよ。当時は鑑定人がいて、セリを進行して、鑑定人が自分で拾っていくみたいな。今みたいにスポッターの人がいて、というのはなかったです。

梅田今の“ショー”みたいな形でやっているセリは、それ自体も楽しめる要素になっていますよね。

今井そうですね。当時は会場も広くなくて、鑑定人が見渡せる範囲しかなかったですからね。今は購買者というかお客様がいっぱいいらっしゃるので、鑑定人1人じゃできないため、何人もスポッターがいて補助する形でやっていますね。

梅田そもそも競走馬のセリって、いつから始まったのでしょうね。

今井いつなんでしょうね…。この組合ができたのは昭和40年(1965年)なんですよ。その何年後かにはセリをやっていたと思うんですよね。

梅田昭和40年代にはセリをやっていらっしゃったのですね。

今井当時はセリ会場も鵡川とかにあったので、そこでやったりしていましたね。当歳とか1歳とか、年に何回かやっていたと思いますね。

梅田そういったところから始まって、今では体系化されてトレーニングセールなどもありますね。

今井1985年に北海道市場ができましたが、それまではそれぞれの地区でセリをやっていたわけです。そこから胆振と日高と十勝が一緒になって新ひだか町でセリをやるようになりました。

梅田それはどのような経緯で北海道市場にまとめようとなったのですか?

今井そもそも日本軽種馬協会というのがあって、そこが最初は主催者としてやっていたんです。そこがとりまとめて1つの市場を作ろうという話になって静内にできたんですよね。要はそういう牧場の関係者が1つになって、こういう市場を作ってやろうという流れからできたのだと思います。

馬主さん、購買者がどうしてほしいかを考えていかなくてはいけないなと思っています

梅田1つのセールであれば、効率はいいですよね。購買者の方にとっても。

今井買う方もそこに行けばいいというのがあって、あっちこっち行かなくていいわけです。でも今でこそ売却率は70~80%になっていますけど、昔は逆だったんですよね。売却率が30%台の時代だったんですよ。

梅田それでは多くが売れ残って、主取りが多かったということですか?

今井そうなんです。そういうことが多かったんですよ。それが最近は売却率が上がっていって、80%を超えるまでになったというのは、すごいことだと思いますよ。

梅田今が当たり前じゃない、ということなんですね。

今井今はセリの方が高く売れるというのがありますよね。それまでは庭先取引と言って、庭先で買い手と売り手が相対してやっていたんですけど、今はセリに行くと皆さんが競ってくれて高くなるというので、結構セリに馬を出す人も増えていって、売却率も上がったということは本当にすごいと思いますね。

梅田当時は売却率が3割台だったということは、お近くで牧場の関係者のお姿を見ていて、「こんなはずじゃ…」という悲しいお姿をご覧になることも…。

今井それはありました。昔は家族経営とかでやっている方も多かったですからね。そこで売れなかったら、やっぱりショックですよね。あと、例えばそこで300万円で上場したとするじゃないですか。それで売れなかったら、今度は売る時に半値とか半値以下で売らないといけないんですよね。だから当時もみんな大変だったと思いますよ。

梅田そうなんですね。今はものすごく売れるようになって、昔と比べてセリの準備とか雰囲気など全体的なことで変わったことはありますか?

今井まず、お客さんの数がすごいですよね。今年のサマーセールとかでも、購買者登録が1700人くらいいらっしゃったので。うちだけで昔やっていた頃は何十人でしたからね。北海道市場になってからも、何百人台だったと思うんですよね。それがどんどん増えていったのだと思います。少し話はそれますが、北海道市場ができた当時とかその前は、各地方競馬で「団体購買」というのがあったんですよ。例えば各地方競馬の馬主会が、馬を買って、それを馬主に分けるような形で。

梅田へぇー、そういうやり方があったんですね!

今井そういう団体購買が結構あって、そのへんで支えられていたという側面はありますよね。今は地方競馬も売り上げがいいので「補助馬」という違う形で、馬を買った人に補助金をあげるといったやり方は残っていますけどね。そういうのでも支えられていると思いますよ。

梅田実際に今年のサマーセールを終えられて、今井さんはどんな印象や感想を持たれましたか?

今井サマーセールは、総額は去年より13億円くらい増えたんですよね。ただ売却率は去年よりは落ちてしまったんです。去年は82.31%までいったのが、今年は77.63%で悪かったんですよ。というのは上場頭数が去年より200頭くらい多かったんですよね。だからそのぶんで総額は上がったけど、売却率は落ちたというのがあったと思います。ただ、平均価格も50万円くらい高かったので、いいセリだったとは思います。ただ、頭数が多いぶん、月曜日から土曜日まで6日間セリ自体も1日が終わるのが遅くなったりして、朝の8時30分から展示をやって、セリが終わるのが午後6時過ぎで6日間ですから、買う方も売る方も大変だったと思います。もちろんやる方も大変ですが(笑)

梅田1日がかりのセリが6日間ということですものね。

今井ずっといる人もいれば、途中で抜けたりしてこの日にだけ来よう、という人もいたと思いますけど、それでも長いですからね。

梅田いろいろ課題などもあるわけですね。

今井毎年課題はありますよね。ただ、ずっとやっていて思うのは、みんながいいということは、なかなか難しいですよね。だから毎年、試行錯誤していろんな日程を考えて、またやり方を変えたりしているんですけど、やっぱり基本は商品を売る商売ですから、買う側の意向が一番だと思います。要は馬主さん、購買者がどうしてほしいかを考えていかなくてはいけないなと思っています。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年10月7日 に公開されました。

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