01. 彼氏への「乗馬日記」から始まった人気イラストレーターへの道
小学校の卒業アルバムには将来の夢に「馬を飼う」って書いてありました
梅田今回はイラストレーターとして競馬ファンにもおなじみのおがわじゅりさんにお話をうかがわせていただきます。じゅりさんは、22年にもキャプテン渡辺さんのインタビューを受けていただいていますよね。実は私もじゅりさんとお話をしてみたくて、こちらからリクエストさせていただいたんです。
おがわうれしいです!3年前くらいに1度、インタビューを受けさせていただきました。
梅田やっぱりじゅりさんの人気はすごいので、3年経ったらまた新しいお話が聞けると思いましたし、じゅりさんご自身も変化があったと思いますから、そのあたりも踏まえてうかがえたらと思います。じゅりさんのプロフィールを拝見すると、私と年齢が一緒で同級生なんですよね。
おがわそうなんですか!?私は11月です。
梅田私は7月生まれなのですが、47歳になったばかりです。じゅりさんみたいに才能がある方って、いいなあと思ってずっと拝見していました。うま年ですから、子供の頃から馬を意識していたこととかありましたか?
おがわやっぱり動物は全般好きで、そのなかでもなぜか馬が好きだったんですよね。動物園とかに行くと、いつも体験乗馬があると乗りたいと思っていました。引いてもらって1周とかできるじゃないですか。「こどもの国」(神奈川県横浜市)とかに行くと、「ポニー乗りたい!」ってしょっちゅう言っていましたし、なんか馬が好きだったんでしょうね。
梅田とすると、別に親御さんが、我が家のように競馬が好きだったみたいなわけではなかったんですね。
おがわ家族で競馬が好きだという人はいなかったですね。
梅田そうなると「馬が好き」というところから入っていったわけでしょうか。
おがわそうですね。私が馬のことを好きで、周りには馬が好きだとかいう友達もいなかったです。
梅田関東に住んでいて、「馬が好き」「馬で何かやりたい」となる機会はなかなかないですよね。
おがわ私は神奈川県の川崎の溝の口あたりに住んでいたんですけど、乗馬クラブとかも近くにはなかったです。
梅田それだと町田とか御殿場とか、もしくは千葉などに行くとかになりますよね。
おがわあとは馬事公苑(東京都世田谷区)に行くとかですよね。でも、そんなに近くはないので。やっぱり最初に競馬に触れたのは漫画からでしたね。当時、「週刊少年マガジン」で連載していた「風のシルフィード」という競馬漫画があって、それを読んで競馬というスポーツを知りました。
梅田じゅりさんの当時の夢って、どんな感じだったのですか?
おがわ馬を飼うとか、馬に関わる仕事がしたいというのは、その当時から思っていました。
梅田10歳とか、15歳くらいのことですか?
おがわ小学校の卒業アルバムには将来の夢に「馬を飼う」って書いてありました(笑)。
2人アハハハハハ!
おがわ馬主とかじゃなくて、馬を飼って世話をしたかったんだと思いますね。
梅田面白いお嬢さんだったんですね。周りの反応はどうでした?
おがわ「馬が好きなんだ」というくらいで周りも親も特に言わなかったかなと思います。
梅田その頃は美術の授業とか図画工作で今の片鱗みたいなものはあったのでしょうか?
おがわ全然、出てないですよ(苦笑)。成績は5段階評価の3とかでしたよ。別に得意だとか、上手だとかいう評価はなかったです。
梅田えっ?いつも美術展で「おがわじゅりちゃん、金賞」みたいな感じだと思っていました。
おがわ全然そんなことはなかったです。“かく”のは好きだったんですけど、それは絵に限らず、文章とか何かを突き詰めて“かく”ことは、すごい好きだったというのはあります。かといって、それがずば抜けて優秀だったとかいうのはなかったです。
梅田ではコンテストに応募するとかはされなかったのですか?
おがわないです。ないです。よく夏休みの自由研究とかで賞を取る子はいましたけど、全然私はそういうことはなかったです。
ロバとヤギの2頭を飼って、高校時代を過ごしていました
梅田そうなんですね。子供の頃から英才教育ではなくても、大人になってからこういう才能の開き方ってあるのだなって思いました。
おがわスポーツ選手だと昔から野球をやっていましたとか王道な人が、結構いるじゃないですか。卓球教室とかスイミングに通っていたとか。でも、私は特になく普通に過ごしていました。
梅田絵とかイラストの世界って、子供の頃からずば抜けたところがある方が多いように私の経験則から思います。じゅりさんの場合は、またちょっと違う感じで、周りが気がつかなかったのか、ご本人が気づいていなかったのではと思います。
おがわ(専門の)学校に行っていたわけでもないですし、本当に好きだっただけだと思います。あとは運が良かったというのもあると思うんですけど。
梅田「好き」と「運」。すごいなぁ!
おがわちょっと変わっていたので、高校の時にロバを飼っていたりしたんです。私の実家が農家で土地は結構あったりしたんですよ。それで中二の頃から競馬にはまり込んでいって、そのころには「競走馬の仕事をしたい」、「生産牧場に勤めたい」とずっと思っていました。それで高校生の頃になると、みんな進路を考え始めると思うんですけど、親が「本当に好きなら」と知り合いのツテで北海道の牧場で実習できるところを紹介してもらって、いとこと一緒にばんえい競馬の生産牧場に行ったりしたんですよね。
梅田その牧場というと帯広だったのですか?
おがわそこは恵庭でした。そこでポニーを飼っていたりしていて、「すごくかわいいな」、「家に馬がいる生活がうらやましいな」と思って、「ポニーを飼いたいな!」となっちゃいました。自分の家に畑がありましたので、それでポニーくらいなら飼えるかな…と思ったんですが、それで牧場の人に聞いたら、「ポニーって、意外と高いんだよ」と言われたんです。当時はインターネットなどによる情報がなくて、そうなんだと理解したんですけど、それでロバだったら安いかなと思って、それで親に聞いたら「いいわけないだろ」と(苦笑)。そりゃあ犬や猫とは違いますけど、私も一度決めると突き通すタイプなので、「絶対に飼うんだ!」と言って、あまりにもしつこく毎日言うものだから両親が折れて、「そこまで欲しいんだったら、タダで関東圏内でくれるところがあったら飼ってもいいよ」と言ったんです。
梅田ご両親からしたら、まさか見つけてこないだろうな、と思っていらっしゃったでしょうね。
おがわもちろんです。そう言えば諦めるだろうって思っていたのでしょう。でも私からしたら、「それさえ見つければ、もう飼えるんだ!」と思っているので、毎日学校から帰ったら、電話帳を広げて1件ずつ電話していました。「家畜」とか「畜産」と名前についてところに、片っ端から電話するみたいな感じでした。
梅田もうテレアポの人になっていますね(笑)。
おがわそうしたら埼玉県の秩父市にある牧場さんが、「いいよ」って言ってくれて…。
梅田いきなり電話をかけてきて、「体験で面倒を見たことはあります。飼わせてください」と言われたら、先方の牧場も「エッ!?」という反応だったのではないですか?
おがわそれが、「どっちが欲しいの」みたいに言われたんですよ。「親と子供、どっちが欲しい?」と。飼える環境なのかなども特に聞かれず、「いいよ」と。私から「うちは農家です」くらいは言ったのかもしれませんけどね。それで子供のロバをもらってきたという話です。名前は「シナモン」って言いました。
梅田シナモン!かわいい名前ですね!
おがわ高校2年生の時でしたね。
梅田シナモンちゃんは、やっぱりシナモンカラーだったのですか?
おがわいえ、よくテレビとかで見るようなロバと一緒で灰色でしたよ。「ザ・ロバ」みたいな感じです。当時は家でヤギも飼っていたんですけど、それでロバとヤギの2頭を飼って、高校時代を過ごしていました。
梅田ロバとヤギに囲まれた青春時代なんて、すごいですね。
おがわ突拍子もないことを経験していたことが、今のイラストに生かされているんですかね。よく分かりませんけど(苦笑)。
梅田結局はそういった動物との縁なども、今への布石になっていますよね。いろんな動物のしぐさ、馬ではなくてもロバちゃんやヤギちゃんを観察されていたからこそ、今の愛くるしい表情を描かれる時の参考になっているのかもしれないですよね。
おがわ妙な行動力はあったんですよね。高校を卒業した時にロバも一緒に受け入れてくれる生産牧場へ行ったんです。めちゃくちゃ牧場の仕事が厳しかったですし、当時は馬と接したことがない状態で行ったものですから、馬とどう接していいか分からなかったです。妙に希望に満ちあふれて行ったものだから、「こんなはずじゃ…」と心が折れてしまいました。もうちょっと馬との接し方などを学んでから行けばよかったんでしょうけど。
梅田あらかじめ馬との接し方を調べるにしても、まだそこまでインターネットなどの情報もありませんでしたもんね。
おがわ乗馬クラブに通っていたわけでもないですし、仕事に楽しさを見いだせなくて、半年でやめちゃいました。ロバは欲しいという人がいたので置いていって、私だけ帰ってきました。
梅田そこでシナモンとはお別れしたんですね。そういう大変な思いもしていらっしゃったわけですけど、そこではまだ絵は出てこないんですもんね。
おがわまだ絵は出てきませんね。牧場では毎日の仕事をこなすことで精いっぱいでしたから。でも帰ってきて離れると、またやっぱり競馬を見始めるんですよね。あれだけ馬が嫌だと思っていたのに。そしてその頃からだんだんとパソコンが出始めてくる時代になってきて、いろいろと調べることができたりするようになって、横浜にある乗馬クラブへ馬と接したいからお手伝いにだけ行き始めるようになりました。会員とかになるにはお金がないからならなかったのですけど、お手伝いだけして馬との接点を持とうとしていたのが、19歳とかそれくらいの時でした。
描いているうちに馬を描くということが楽しくなっていったんです
梅田やっぱり馬が好きだなと思って、乗馬クラブに行きたいと思われたわけですよね。
おがわその乗馬クラブが閉鎖になっても、他の乗馬クラブで研修生みたいなことをして、そこで実際に馬に乗ってみたりして、初めて馬との接し方を知りました。だから子供が馬の脚の“裏堀り”をしているのを見て、なんて恐ろしいことをしているんだ、危ないぞ、とビックリしたんですけど、それくらい無知だったんです。別に馬の世話をするなかで普通のことなんですけどね。それで乗馬をし始めると、また新しい発見などがあって、それで初めて「絵日記」にしたんですよね。今日こんなことがあったみたいなことを描いて。
梅田あっ!そこでようやく絵が出てきたわけですね!それはおいくつくらいの時ですか?
おがわこれがその乗馬日記なんですけど、2000年だから20歳くらいの時ですね。何かあったことを細かくはがきサイズで描いていました。本当に我流で、記録として誰かに見せるわけでもなかったです。
梅田どうして描こうと思ったんですか?
おがわこの当時付き合っていた彼が今の夫なんですけど、彼も馬が好きだったので、彼に見せたいためだけに描いていました。ほら!これ、実際のはがきに描いてあるんですよ。描いて彼に送っていたんです。
梅田それは今のご主人、当時の彼氏に送ったものを旦那さんが大事に取っておいてくださったということですね。いや~すごく素敵なお話です!
おがわただ、夫に見せたかったために描いていたということから、描いているうちに馬を描くということが楽しくなっていったんです。
梅田今のじゅりさんがあるのは旦那さんのお陰なんですね。私たちにとっても、こんなにじゅりさんの絵で楽しませていただいているので、それにはすごく感謝です。愛から絵を描き始めたわけですもんね!
おがわそうかもしれませんね。たぶん、そうです(笑)。
梅田ほっこりしますよね。伝わってくるものがありますもん。だって好きな人のために描いているわけでしょ?動機が好きな人のためで、ましてや好きな馬を描いていて、「好きプラス好き」だったら「大好き」になるしかないじゃないですか。
2人アハハハハハハ!
梅田動機が本当に素敵だなと思います。感動しちゃいました。
おがわ感動しちゃったんですか!?(笑)
梅田だって、これでお金もうけをしようとかイヤらしい思いとかがないじゃないですか。本当に純粋な気持ちで好きな人に見せたいという気持ちからで。「好き好き」で、これでうまくいかないはずがないですよね。
おがわ梅田さんに言われるまで、そんなこと気がつかなかったです。彼氏のためにきれいになろうみたいなことが、たまたまこういう方向だったということですね(笑)。
梅田ましてやそれが、じゅりさんの大好きなことだったという掛け合わせですもん。すごいことが起きるなという予感しかしなくて、お話を聞いていてワクワクしちゃいます。
おがわそれは言われて初めて自分で気がつきました!
梅田好きを仕事にできても、そこに旦那さんという動機があるのがすごいです。旦那さんも馬関連のお仕事をされているのですか?
おがわこの時にはもう、乗馬クラブのインストラクターをやっていたんですよ。そこで陰でこっそりと付き合っていたみたいな感じでした。それで馬を描くのがだんだん楽しくなってきて、パソコンで描けるソフトとかが出てきたりして、それでプリントした絵を乗馬クラブのファイルとかに入れて適当にポイッと置いておいたら、それをたまたま来たビジターの会員さんが「あなたの絵って、すごくいいわね」みたいに言ってくださったんです。それで「私が売り込んであげるから、あなた描きためておきなさい」と言われたんですよ。それで何か月後に作品のファイルを持って、「乗馬ライフ」っていう、今は「UMA LIFE(ウマライフ)」って名前になっていますけど、その雑誌を出している出版社に連れて行ってくれて、「この子の作品、すごくいいから見て上げてちょうだいよ」と売り込んでくださって、それがきっかけで挿絵の仕事を初めていただいたのがイラストレーターとして初めて得たお金かもしれないですね。
作品を見てもらいたいっていう気持ちの方が強い
梅田そんなふうにしてお仕事につながっていったんですね。それが21、22歳くらいの頃ですか?
おがわそれくらいだと思いますね。それで当時の「乗馬ライフ」の編集長って女性の方だったんですよ。牧浦さんという方だったんですけど…。
梅田あの調教師の牧浦(充徳)先生の妹さんですよね?
おがわそうです、そうです! それで私も気を良くしたのか、自分でグッズを作って、「愛馬の日」とかに馬事公苑でフリーマーケットの枠に応募して出店して、それで作品を売っていたら、グッズ屋さんの社長さんに声をかけてもらって、そこをきっかけにグッズ化していきました。
梅田すごい!やっぱり素敵な物ですから、まわりの方の推薦をきっかけにみんなが認めてくれて、全てはそこからだったのですね。それを見ていた今のご主人様は、どのようにご覧になっていたのでしょうか?
おがわ私が趣味でやっている程度で、実際にそれだけで食べていけたりはしていないですし、応援というよりは見守っている感じでしたね。
梅田他にアルバイトとかをしながら、時間がある時に「乗馬ライフ」の絵を描いたり、イラストを描いて出店したりされていたんですね。その当時、これでやっていけるなという手応えってあったのでしょうか?
おがわいや、なかったですね。一度、馬事公苑の近くのお店に作品を置いてもらったことがあったんですけど、その当時は私が全然そういう卸しの方とかのことが分かっていなくて、とりあえず置いてもらえたらうれしい、見てもらえたらうれしい、みたいな気持ちで置いてもらったんですけど、その時に店長さんに言われた言葉は今でもよく覚えています。私が「みんなに見てもらえたらうれしいです」って言ったんですよね。それは向こうからしたら、「そんな気持ちで置かれるなら迷惑です。買ってもらったら、その包装代はどうするんですか、送ってとお客様から言われたら送料はどうするんですか、お店に商品を置くということは、そういうことまで考えて私たちはやっているのに、ただ見てもらいたいだけだったら、どこかで自分の作品を発表すればいいんじゃないですか」って言われたんです。当時はすごく厳しいこと言う人だなと思ったんですけど、確かにその通りですよね。そこで初めて自分は売りたいというよりも、作品を見てもらいたいっていう気持ちの方が強いんだな、というのを再確認させられました。グッズを売るよりも、作品を見てもらう方がいいんだな、ということに気がつかされました。
梅田プロの洗礼を受けるじゃないですけど、そこで気持ちの入れ方だったり、変化があったのですね。
おがわそうですね。でも、商売をしている方だったら当然の意見ですよね。売れなきゃ困るものですからね。物を売るということは大変なことなんだなって、そこで思いました。
梅田そういったことが今のグッズ販売にも生かされているんでしょうね。そうやって「乗馬ライフ」のお仕事からグッズ販売にチャレンジしていったなかで、その後はどのようにして今に至ったのでしょうか。
おがわグッズを扱っている会社さんが「ホースシュー」さんという会社で、競馬場に商品を卸している会社さんだったので、それで私のいろいろなグッズを卸してもらっている時に、たぶん競馬場の企画の人の目についたのか、最初は中山競馬場の地下通路の壁にイラストを描いてもらえませんかというお話をいただき、それが最初の大きな仕事だったように思います。それがきっかけで、いろんなところからちょこちょことご依頼をいただくようになって、実在馬のグッズなどをやらせていただくようになりました。
梅田そこから「イラストレーター・おがわじゅり誕生!」みたいな感じですか!
おがわそれでも、何年かはバイトもしていましたからね。今の仕事一本ってなったのは、宮城に引っ越して来てからで17年くらいになりますかね、27、8くらいの時に引っ越して来ているので、もう15、6年は宮城に住んでいます。
梅田じゅりさんの流れって、すごいですよね。私は子供の頃から絵が好きな少女というイメージを勝手に持っていたので。
おがわちょっと話が前後してしまうんですけど、ブログとかをやり始めた時に出版社さんから目をかけていただいて、「元競走馬のオレっち」という漫画を出させていただいたんです。漫画を描くにあたって出版社の人が編集チェックをしてくださるんですけど、「じゅりさんは馬に関しては100点。もう言うことないです。たぶん、しぐさとかすごく細かく見ているけど、人とか背景とか奥行きが、ちょっと絶望的…」と(苦笑)。たぶん馬はよく見ているし、本当に骨格とかを見て描いているんですけど、反対に人とか背景とかには興味がないんだねって。確かに遠近法とかが、すごいことになっているみたいな(苦笑)。それでいろいろと教えてくださって、その時に背景とか奥行きの見せ方とか人の動きとか、勉強させていただきましたね。
梅田じゅりさんも描きながら、奥行きだったりいろいろなことを学びながらの今なんですね。
おがわすごく勉強になったと思います。そういったところは苦労しましたよね。そこについては学んでいなかったぶん。
(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。