02. 「すごく楽しかったです」と言ってくださるのがこの上ない喜び
ちょうどその頃に流れていたJRAのCMがいい感じのもので
梅田山村場長がJRAに入ろうと思ったきっかけを伺いたいのですが、もともと馬に接していらっしゃったとか、どのような感じの学生時代を過ごされていたのでしょうか?経歴などについても、伺えたらと思います。
山村私は平成4年、1992年に入会しているんですけど、ちょうどその頃に流れていたJRAのCMの印象が良くて、楽しい競馬場に行こうというものだったんです。賀来千香子さんと柳葉敏郎さんが競馬場に行って楽しもうという感じのものでした。
梅田なるほど、そのCMなどをご覧になって素敵な印象を受けたんですね。
山村そうですね。楽しいところなのかも…と思って、今思えばPR戦略に乗ってしまった感じです(笑)。
梅田学生時代は部活動などやっていらっしゃったんですか?
山村今久しぶりに思い出したのですが(笑)、そう言えば大学時代、ESS (English Speaking Society) という英語劇のサークルをやっていた時期がありまして、演じるアクトレスではなく、(舞台の)背景を作ったりしていました。下支え側です(笑)。
梅田陸上をやっていらっしゃったともうかがったのですが、子供の頃から結構運動とか何でもするタイプだったのですか。
山村いえ、そういうわけではなかったんですけど、足だけは速かったんですよ。小学校の3、4年の頃に突然身長が伸びて、そうしたら足が速くなって、そこから中学、高校と陸上をやっていましたね。
梅田JRAに入会されてから、いろいろな部署を経験されていると思いますが、最初はどのようなお仕事だったのでしょうか?
山村東京競馬場の会計課です。とても不安でした。私で大丈夫かなと。
梅田それこそ大きなレース、重賞も多いでしょうから、お金の動きも大きいということになりますよね。
山村そこは大先輩方が教えてくださったのでなんとかクリアすることができました。最初の東京競馬場は2年間で、その後に本部の人事部の労務厚生課というところに行きました。職員の人事厚生に携わる手続きなどをしていまして、今から思うとそれも“下支え”の仕事だと思います。そして実はその次が、最初の中京競馬場勤務だったのです。だから今は2回目になります。
こちらの方々は地元愛が強いと思います
梅田そうなんですね。以前と変わったところ、変わらないところ、改めていかがでしたか?
山村まず変わらないところで言いますと、こちらの方々は地元愛が強いと思います。そこは本当に変わらないですね。
梅田中京競馬場のお客さんは馬券の買い方も上手なんですよね。私、グリーンチャンネルの仕事で行ったことがあって、「中京ナビ」みたいなことをやらせてもらったんです。そこで「お姉ちゃん、ヘッタだなあ。なんでこれを入れてないんだよ~」という感じで皆さんに話しかけてもらいまして、ビールをごちそうになって、楽しく酔っ払って帰ってきた思い出があります(笑)。確かに地元の方は競馬愛が強くて、馬券の買い方もひとひねりしていて、今おっしゃっていたような感じですね。
山村変わったところは、ペガサススタンドができて、コース自体も昔は小回り平坦、これぞローカル競馬場のようなコースのイメージだったんですけど、2012年に馬場改造を実施して急坂ができたり、ダートの直線が西日本で一番長くなりました。今は馬場改造から時間はたっていますけど、30年前と比べて大きく変わったところはそんなところかなと思います。
梅田最初の中京競馬場の後は、どちらへ行かれたのですか?
山村その後は京都競馬場です。私は競馬場10か所中5か所行っているんですよね。トレセンは両方とも行ったことはないのですが、あと付属機関だと競馬学校にいたりとか、グリーンチャンネルに出向していたこともあるんです。
梅田えっ!?私、山村さんにお世話になっていたんですね。
山村それが編成制作の方ではなく、総務の方だったので、あまり接点はなかったように思います。
梅田グリーンチャンネルには何年くらいいらっしゃったんですか?
山村2013年から3年間ですね。なので勝手に梅田さんには親近感があります(笑)。
梅田私も初めの仕事が中京競馬場に行くというものだったので、実は思い入れが強いです。
山村そうなんですね。その後は本部の総務の方に行きまして、最近は関西広報室にいました。この2020年からの関西広報室の2年間は全くのコロナ禍だったので、マスコミの方々と懇親も深まるどころではなかったです。そこからまた本部の総務部に戻って、そこに3年間いて、今があるという感じです。
競馬ファンを1人でも多く増やすということが命題
梅田いろんなところで、いろんな方々と一緒にお仕事されてきたのですね。
山村これは本当に自信を持って言えることですけど、私は一緒に働く方に恵まれていて、もう本当にお世話になりっぱなしという感じなんです。
梅田だからこそ今、場長というお立場でお人柄も含めて山村さんのことを好きな方が多いのだと思いますよ。改めて競馬のお仕事に関するやりがいについてはいかがですか?
山村競馬ファンを1人でも多く増やすということが命題としてあって、今までのお仕事のなかでご縁のあった方を競馬場にお誘いして、本当に来てくださって、「すごく楽しかったです」と言ってくださるのがこの上ない喜びです。そこは軸として一本ありますね。
梅田競馬はエンターテイメントですし、楽しんでもらってナンボじゃないですけど、馬がきれいですし、何か感じてもらえることが一番ですよね。
山村やっぱり実際にお越しいただかないと分からない部分ってありますので。実際に競馬場に来てみたら、その広さとかは全然イメージとは違うと思います。
印象深かったナリタブライアンが出走した高松宮杯
梅田山村さんがJRAに入られてから、びっくりしたことなどありましたか?
山村びっくりしたことは、それこそ“きらきらした印象”で入ってきてしまったものですから(笑)、入会した1992年は馬券がすごく売れている時期だったので、それこそ窓口で締め切りでお客様が馬券を買えなかったとか、大混雑している時期だったんですね。それでお客様にはどなられるわ、最初は「こんなつもりじゃなかったのに…」というのは正直ありました。
梅田世の中の競馬熱がかなり高かったということでしょうか(笑)。もっとキラキラとみんなが楽しんでいるものだと思っていたところ、お客様の熱量が高すぎてびっくりされたということですか。
山村だいぶびっくりしました。馬券の自動発売機も今とは性能が全然違いますし、よくお金やマークカードが詰まったりしていました。それで買えなかったお客様にまたどなられるという…(苦笑)
梅田先ほどうかがったお話で金鯱賞が印象に残っているレースとおっしゃっていましたが、お好きなレースや、こんなことがあったなという思い出に残るレースがあれば、教えていただけませんか。
山村私にとって印象深いということと中京に絡めてということになると、最初に中京にいた1996年のGⅠ昇格後の初めての高松宮杯―今は高松宮記念ですけど―ナリタブライアンが出走した高松宮杯ですね。それはとんでもない人出で、7万4000人を超える入場記録で、この時に三笠宮寛仁親王殿下が表彰式に御台臨されて、あとで記録写真を見ると私も一緒に写っていました。今年の高松宮記念の入場者数が3万人弱だったので、2.5倍くらい入ったことになります。
梅田名馬ナリタブライアンを間近でご覧になって、7万人以上も入ったなんて想像がつかないですよね。中京と言ったら、そうでしたか。これからまた楽しいレースがいっぱい続いていくと思いますので、これからの中京競馬場に期待していきたいですね。
山村1人でも多くのお客様にお越しいただけるために何をしようかな、というところだと思うんですけど、これから競馬場の職員と一緒に少しずつ考えていけたらなと思います。
より魅力のある競馬場をつくっていきたい
梅田これまでを改めて振り返ってみて、お仕事の楽しいところを教えていただけますか?
山村いろんな方とのご縁をいただいていて、今ですと馬主さんたちとのご縁を場長になって、初めていただいたりしています。今までは全くそういう部署にいなかったので、それが中京馬主協会の会員の方々を中心に、いろんな方をご紹介いただけて、より魅力のある競馬場をつくっていきたいという感覚に今はなっていますね。
梅田プライベートの話になりますが日頃の気分転換はどうやってされているんですか?
山村おいしいものを食べて、飲んで(笑)、それが気分転換ですね。
梅田山村場長が入会した当時は、今と比べて“男社会”というか、大きく違いましたか?
山村JRAで初めて女性総合職が採用されたのは平成元年なんです。だから平成4年採用の私は、4代目になります。当時は男性職員も女性総合職をどう扱ったらいいのか、どこまで厳しく、または逆に優しくしなくちゃいけないのか、いろいろ考えあぐねていたようなところがあって、なかなかお互いに「う~ん…?」という手探りな感じはありましたね。
梅田女性が働きやすくなるための先駆者というか、意見をたくさん出してくださったからこそ、今の女性スタッフさんたちの道が開けているところはありますよね。
山村どうでしょう?ちょっとした道筋をつけられていたらいいんですけど。そこまでのことはできていない気がしていて、先輩方である初代、2代目、3代目の方たちはもっと大変だったのだろうなとは思いますね。最近は女性職員が増えてきて、とっても心強いです(笑)。
梅田そういう方々のご意見があるからこそ、競馬場の女性トイレが増えたりとか、女性が過ごしやすいというところにつながってきていますよね。「UMAJOスポット」とか授乳室や子供のスペースとか、今ではいろんなものがありますものね。そのような点は女性の方ならではの発想ですよね。
山村それはあるかもしれないですね。
梅田では最後に改めて競馬のファンの方々にメッセージをお願いいたします。
山村はい。中京競馬場は最寄り駅から少し距離があるのですが、「フローラルウォーク」という愛称の、屋根付きの専用道で花壇やハンギングフラワーなどにより季節を感じながら雨にぬれずに競馬場にたどり着くことができます。ぜひ皆様お越しいただければと思います。また、この夏の開催中は、中京競馬場前駅から競馬場を結ぶ無料バスも運行していますので、併せてご利用ください。
梅田いろいろな目的で、家族みんなでお越しいただけたら嬉しいですよね。
山村競馬場を目指して歩くだけよりも、いろいろなものを見ながら歩くと心も穏やかになります。暑熱の3回中京開催は全日フリーパスなので、競馬場への出入りも自由ですし、いろいろな楽しみ方をしていただけたらと思います。
(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。