01. ただの馬券オヤジがキャスターになった“第一号”なので
大学時代に競馬と出会い、“二足のわらじ”で競馬キャスターに
梅田よろしくお願いいたします。私がグリーンチャンネルを見始めた時、すでに浅野さんは競馬キャスターとして活躍していらっしゃいました。どういう経緯でグリーンチャンネルのキャスターのお仕事をされるようになったのか、どんなことがきっかけで競馬を知ることになったのか教えていただけますでしょうか。
浅野もう時効だから言ってしまうと、馬券から入りました。大学2年の時かな。法政大の友人にウインズ後楽園へ連れて行かれて、福島の何レースかは忘れたんですけど、単勝を勝ったら当たっちゃって、そこからがスタートですね。その当時は仙台に住んでいたので、それから週末は福島競馬場に通うという感じになりました。
梅田仙台の大学に通っていらっしゃったんですね。
浅野そうそうそう。それで梅ちゃんも一緒だったと思うんですけど、就職試験で放送局を受けるわけですよ。それで、放送局を受からなかったので、ナムコって会社に入ったんですよ。その当時の僕は残業代が基本給をはるかに上回るという厳しい状況なうえに、金曜日に徹夜で仕事をして、そのまま競馬場に行くとかいうことをやっていました。それで中途で受けたKBS京都にも落ちて、もんもんとしているところに、(アナウンサーとして活躍された)押坂忍会長のアカデミーで研修生を募集していて、それに応募してアナウンサーアカデミーに通って、そのなかにグリーンチャンネルのオーディションがあって、いざ受けてみたら、受かっちゃったっていう話です。なので、ナムコとグリーンチャンネルで仕事をしていた時期は2年間かぶっています。
梅田そうなんですね。ではナムコで働きながら、土、日はグリーンチャンネルに出演されていたということですか?
浅野うん、土曜日の番組だけですね。
梅田そのことは会社はご存じだったんですか?
浅野一部の人は知っていました。ただ、その時に1回だけ(中央競馬の厩務員春闘の)ストライキがあったんですよ。それがあったために自分の出演する競馬開催がなくなって、その代替開催がいつになるか分からないという時に困ってしまったんです。そのときはテーマパークが勤務先だったので、急に休暇が取れないんですよ。その時に「これはちょっと限界かもしれないな」と思って、ナムコは引退しようと決めて、こちらの世界でと思いました。だけど世の中、なかなか甘くなくて、仕事が増えなくてね…。まあ、それはそれでグリーンチャンネルの中継番組の仕事は8年しかやっていないんですけど、その8年目くらいの時に、書く原稿系の仕事の依頼がちょいちょいくるようになったんですよね。それで原稿を書く仕事が果てしなく増えて、現在に至るという感じですね。
そういうユルい空気感を出すのにはちょうどよかったのかもしれませんね
梅田グリーンチャンネルの中継キャスター時代に原稿を書いたりする機会があって、それを皆さんが見て仕事の幅が広がっていった感じだったのでしょうか?
浅野中継キャスター最後の頃に、「廃競馬場巡礼」という本を作ったんです。その本を見てなのかどうか分からないですけど、(競馬ライターの)斎藤修さんから地方競馬の予想の記事を書く仕事をやってもらえないか、というオーダーをいただいたんです。それで「やります!やります!」と言って、それは今も続いているんですけど、こつこつやっていきましたね。
梅田「『廃競馬場巡礼』という本を書きまして…」と、さらっとおっしゃいましたけど、本を書くことってすごいことですよね。それては8年間のうちにネタなどをためていたんでしょうか?
浅野いやまあ暇だったので、ちょいちょいあちこちに行っていましたからね。もともと僕は“鉄オタ”なので廃線跡が結構好きなんですよ。鉃道の廃線の跡。それで「廃競馬場」って全然クローズアップされていないなあと思っていたら、これが案外あるんですよ。梅ちゃんは川越(出身)でしょ?川越競馬場って知ってるでしょ?
梅田エッ!川越にあったんですか?
浅野川越競馬場は昭和5年くらいまでやっていたんですよ。あと大宮のアリオのある場所は、もともと大宮競馬場なんですよ。そういった廃競馬場があちこちにあるんだけど、これって全く記事とかになっていないよなと思って、ちょいちょい調べてみたら、意外と面白かったんです。それで、「これ本になりませんかね?」と東邦出版さん、今はない会社なんですけど、そこに企画書を持って行ったら、作りましょうということになったんです。そこは頑張りましたね。
梅田浅野さんはたくさんの廃競馬場を訪ねてきたと思うんですが、その本のなかでは何か所くらい取り上げられたのですか?
浅野15、6か所くらい書いたのかな。続編を作れと言われているんですけど、そこは本人がイマイチ気合が入っていないので(苦笑)。
梅田いろんな方から続編の希望が出ているんですね。
浅野鉃道の廃線跡の本は裾野が広いからいろんな本が出ているのですけど、廃競馬場の本って、これっぽっちなんですよね。だから需要はないんだとは思うんですけど…。
梅田そもそもこれまで廃止になった競馬場って、いくつくらいあるのでしょうか。
浅野その基準を考えるところから難しい話なんですけど、太平洋戦争が終わった後になくなった競馬場というのは、ざっと見て50~60くらいありますね。
梅田そうなると浅野さんが、まだまだ取材をしなくちゃいけない競馬場がたくさんあるということですよね。
浅野でもね、「競馬ワンダラー」という番組でなくなった競馬場をノスタルジーに浸ってたどりましょう、ワゴン車で走りましょう、という企画につながってやってはいますからね。
梅田なるほど。それで人気番組につながっていったわけですね。「廃競馬場と言えば、浅野さん」という流れになったわけですか。
浅野実際には矢野(吉彦=アナウンサー)さんの方が、すごくマメにやっているんですけどね。まあでも、梅ちゃんもそうだと思うんですけど、結局は運がよかったということに尽きるんですよね。
梅田いえいえ、浅野さんが本を出されて、それをつなげて仕事にしていったというのは、やってこられたことの点と点が線になったような素晴らしいお話です。
浅野ワゴン車に乗って廃競馬場跡を爆走するっていうね。そういうユルい空気感を出すのにはちょうどよかったのかもしれませんね(笑)。
梅田競馬ワンダラーのシリーズは、もう何回くらいになっていますか?
浅野8シリーズか9シリーズになりますか。このあいだ年末に放送してもらったシンガポールやマレーシアは、全2回の特別版だったり。
梅田すごいですね。それこそ浅野さんと言ったら競馬史、競馬史研究家ということに…。
浅野今は“ワンダラーの人”になっていますよね。(競馬史研究家には)もっとすごい人がいっぱいいるので、僕は大した者ではないです。
梅田ひとつの学問として、廃競馬場の研究は成立するのかなとも思ったりしますが。
浅野これねえ、学問としてやっている大学教授がいるんですよ。そう考えるとワンダラーは、割とすごいですね。我ながら。
梅田あの番組は浅野さんが現地に行って、何も台本とかない状況でやっていらっしゃるんですか?
浅野資料は多少あるんですけど、基本はほぼアドリブですね。仕込みも、ある時はあるんですけど、ゼロの時もあるので。だから偶然たまたま、すごい出会いがあったりします。秋田県の横手の近くにある大上(おおあげ)競馬場というところに朝7時ぐらいに行った時は、そうでしたね。そこは昭和13年くらいまでやっていて、河川敷が競馬場になっていたところなんです。それでその時の“第一村人”がすごく詳しい人で、「友達に元ジョッキーがいるから、連れてってやるよ」って言って、その家まで行って、元ジョッキーの方から深い話を聞けるとか完全に“ノー仕込み”でやっていて、こんなことがあるなんてすげえなということがありました。それもこれが一度や二度じゃないんですよ。
梅田運というかタイミングですね。
浅野本当にそうです。今ぐらいの時に、いや今でも遅いくらいなんですけど、こういうことをやっておかないと、当時を知っている人ってどんどんいなくなっちゃいますから、この企画のタイミングとしては最適だったのかなと思いますね。
梅田すごいことですよね。それは仕込んでいなかったからこその、幸せな出来事ですよね。これからもワンダラーはロケの予定があるんですよね。
浅野どうなんだろうなあ。分かんないけど。でも、行っていないところは、まあまああるんですよ。たとえば県で言うと、行っていないのは三重県くらいかな。あと滋賀県も行っていないかな。まだ行っていないところというのはそれくらいなんですけど、たとえば中標津とか北海道のあのへんは行っていないので。まだネタはあるんですけど、しばらくは(ロケの予定は)ないかな。
梅田浅野さんが面白いところをまわって、懐かしい気持ちにさせていただいているので、ぜひ続けてほしいです。競馬史の一つとして、こういうことがあるんだよと伝えるのは意味がありますよ。
浅野梅ちゃんが川越競馬場を知らないようじゃ、まだまだ浸透していないな(苦笑)。
あの時、牧場をぷらぷらしていてよかったなと思いますもん
梅田ちょっと話を戻しますけど、グリーンチャンネル時代のキャスターの8年間って、いかがでしたか?私も出演していましたので、うかがってみたいと思っていました。
浅野どうなんだろうなあ。今から振り返ると、少しメンタル的に弱いところが出た感じはするので、当時は若かったなという思いはありますね。それでもグリーンチャンネルで、ただの馬券オヤジがキャスターになった“第一号”なので、その部分では後ろにつなげることができたかなという気はしますけどね。でもまあ、レベルは低かったと思いますよ。技術面の。
梅田メンタルのことをおっしゃいましたけど、そんなつらい時もあったのですか。
浅野深く考えなければいいんですけど、考えちゃうんですね。アナウンサーでメンタル面をやられてしまう人って、まあまあいると思うんですよ。そうやってメンタル面からミスにはまってしまう“事故はまり”みたいな感じになったり。そんななかでもイベントにたくさん出させてもらったり、中央競馬中継WESTの午前中の放送なんて関東の人にはそんなになじみがあるわけではないのに、関東のイベントとかにも結構出させてもらっていたりしたので、本当にありがたかったですよね。
梅田浅野さんがWESTの午前の先輩で、私も最初はWESTの土曜午前からでしたので、関東の人ではなくて関西の人だと思われたりしていませんでしたか?
浅野どうなんですかね。向こう(関西)に行くと(作家の)乗峯栄一さんの軍団とかと結構飲んだりしていましたが、確かにそっちに行くと反応はよかったですよね。
梅田そうですよね。関西の人とか栗東の厩舎の人とか皆さんの反応が良くて、仲良くさせてもらったなという印象が私にもありますよ。
浅野とは言いつつも、ナムコをやめて、自営業になって、正直収入は半分ですよ。かなり「どうすっかなあ…」的なところがあってからワンダラーが始まって、原稿の仕事もやり始めることになって、やっぱり斎藤修さんには感謝をしないといけないと思っています。ジョッキーへのインタビューの業務を年に4回やらせてもらったり、あとは重賞競走の現地のレポートを原稿にする仕事とか、自分で何でもOKな便利屋だと思っています。でも、それで競馬場に行っていたことが、かなりの財産になっていますね。中継のキャスターをやっていた頃も、用もないのに月に1回とか2か月に1回とか北海道の日高をうろうろしていたんですよ。その時の財産も、いまだにと言うか本当に残っていますね。あの時、牧場をぷらぷらしていてよかったなと思いますもん。
梅田そうですよね。コロナ禍があって、今のキャスターの方からは取材に行きにくい、どうやって関係性を築いたらいいか分からないみたいなことはよく言われるんですよね。でも浅野さんは自分のフットワークの軽さで昔からやってらっしゃったわけですか。
浅野それは元プロデューサーの美野真一さんのおかげでもあるんですよね。美野さんにラフィアンの会員に誘ってもらって、岡田繁幸社長と知り合って、いろいろとしゃべったりして、いろんな牧場にも行って、いろんな人と知り合ってということを、何の仕事でもなく、本当に何の用事もないのにぷらぷらしていたというのが後で財産になったという気はしますね。
梅田馬を通じて、たくさんの人にお会いしてきて、今の浅野さんがあるんですね。
浅野だからそのなかで牧場の日々の業務や日常を分かっているので、グリーンチャンネルの中継で勝ち馬プロフィールを紹介する時に、母系をたくさん紹介しようというふうには思いましたね。種牡馬については研究している人も多いですから、ひとまず種牡馬の方は置いておいて、母系をできるだけ紹介しようという意識でやっていました。
梅田それはいつ頃からそう思われたんですか?
浅野そうですね。3年目くらいからですよ。
梅田浅野さんが勝ち馬の母系を紹介することで視聴者の方から反応はありましたか?浅野さんって、そのあたりを大事にしていらっしゃるとか。
浅野それはあんまりないですね(苦笑)。でもマニア向けではあると思うんですよ。グリーンチャンネルって基本、マニアしか見ていないという感じでしたからね。今は以前よりも視聴者の裾野が広がっていると思うんですけど、当時はグリーンチャンネルに月額1600円を払って、午前中から見ている人ってよほどの好き者ですから。よほどの好き者に向けた情報なので、ぬるい情報ではなくて濃いというか、「そこかっ!」という重箱の隅をつつく系の情報の方が個人的にはいいと思っていました。それはプロデューサーさんも同意見で、ちょっと隅っこの方を攻めてみるというのは意識していましたよね。
(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。