ゲスト
原田喜市 さん

02. 生き方も人生も、僕の全てが馬だと思っています

生き方も人生も、僕の全てが馬だと思っています
原田喜市さんは、乗馬体験施設の蒜山ホースパーク、一般社団法人オールド・フレンズ・ジャパンで代表を務められ、引退した競走馬に活躍の舞台を提供したりケアを行っています。梅田陽子の「ホースと共に!」、後編では乗馬クラブを開業した経緯や今後の目標などをお聞きしました。

馬を育て、ホースマンを育てるアスリート以外の顔

梅田原田さんはアスリートでありながら、経営者としての顔もお持ちとのことですが、そのあたりも伺いたいです。

原田今は会社組織自体は3つやっているんですけど、この乗馬クラブ(蒜山ホースパーク)が開業したのが20年くらい前からです。そのなかに乗馬クラブと観光業としてやっていますが、岡山県の蒜山(ひるぜん)というところは年間200万人くらい来客のあるところなので、引き馬の観光乗馬をやっています。それが年間2万人くらいのお客様が乗ってくださっています。あと土地も広いので、地方競馬の馬が休養する牧場もやったりしています。年間通して馬が100頭前後くらいいるんですけど、そういう馬のいる環境なので、5、6年前から専門学校をミックスして、専門学校の動物のコースのなかに「馬」というコースを作ったんです。岡山理科大学専門学校というところなんですけど、そこに馬のコースを一から作りました。なかなか馬に関するお仕事って、どこが入り口が分からないところがあるじゃないですか。だからちゃんと学校法人さんに入ってもらって、授業をちゃんとやって、馬の世界への入り口を作ってもらって、最近では生徒をいろんなところに送り出せるようになってきました。

梅田そうなんですね。卒業後は皆さん、どういう道に進まれているんですか。

原田ノーザンファームさんみたいな競走馬を生産する牧場とかにもたくさん行っていますし、乗馬クラブに行く人もいます。岡山理科大学専門学校には獣医師の学部(愛玩動物看護学科)もありますし、そこで取得した資格を持った子がサラブレッドの生産の方に回ったりという形で、多方面に行っていますね。動物飼育トレーニング学科は、1年目は座学中心で、コース自体は動物専門なので、小動物の犬(ドッグトレーニングコース)と大動物の馬(ホーストレーニングコース)と動物飼育コースとあります。1年目は座学中心ですが、2年目は好きなコースに選んで進んでもらうようになっています。2年生になったら、馬のコースを選んだ子は、ここ蒜山(ひるぜん)に来てもらって、朝からどっぷりと馬の生活になじんでもらいます。

梅田たくさんの会社を手がけられて、そういったことにも携わられてすごいですね。どうしてそのように展開していこうと思われたのですか。

原田展開していかないといけない雰囲気というか、やっぱり最終的には人だと思うので。僕はノーザンファームの吉田勝己社長の「馬作りは人作りから」という言葉に惚れていて、本当に感銘を受けてその通りだと思っています。そこからそういう専門学校つくったり、地域の子たちを集めて乗馬の少年団を作ったりしました。今でも少年団だけでも、2、30人はいるんじゃないですかね。

梅田原田さんのお力で馬が相当、地域に根付いていますね。

原田その少年団で活動していた子が装蹄師になったり、馬の世界に入ったり、みんな大きくなってうちの会社で働いてくれる子が出てきたり、いい循環、サイクルができていますね。

梅田競馬学校に入っている生徒さんもいるのですか?

原田はい、いますよ。うちの近所の廃校寸前だった高校をいろいろとやって立て直したのですが、そこの高校から昨年騎手課程に1人合格しました。もともと全然、馬とかかわりのない子でしたけど。

梅田すごいですね。いっぱい人を育てて、うまく馬業界を盛り上げるべく、原田さんも奔走されている感じですね。

原田ここは(岡山県の)真庭市にある施設で、僕が指定管理者として運営していますが、真庭市にあるふるさと納税で馬という基金(真庭市馬と人との共生基金条例)を作ってもらったんですよ。馬って経済的に裕福な子がやったり、途中までやるんだけど、経済的な理由で途中でやめなくちゃいけなくなったりというのがあると思うのですが、それはあまりにもつまらないことだと思います。真庭市に来ればどうにかなる、というスタイルを作ってあげることで、その基金で試合や競技へのエントリーだったり、いろんなことを基金から使わせてもらって、そういう子たちが将来に向かっていくために使わせてもらっていく形になっています。

梅田スケールの大きいお話で、“町おこし”に近い感じですね。苦労などもありますでしょうか?

原田幸い長く続けてこられたので若い子たちが全国から集まってきてくれて、高校の方も新しいものを真庭市が建ててくださって、全国募集を始めています。勝山高校蒜山校地と言って、廃校になってしまいそうだったのですが、今では定員オーバーくらいになっています。北海道や関東など全国から馬に乗りたいからというので真庭市に来た子たちがいて、僕が競技でトレーニングした子が大きくなってうちで働いてくれたりもしています。お仕事って、みんなで回していくものなので、どんどん僕が前に進んで掘り起こしながら、いろんなところへ送り出せるようになっていければと思っている状況ですね。

胸に秘めていた思いを実現させた「オールド・フレンズ・ジャパン」

梅田そうなるまで20年かかったわけですね。

原田そこにある「オールド・フレンズ・ジャパン」というのも本体がアメリカにある団体「オールド・フレンズ」で、僕がサラブレッドの福祉団体があるというのを知って直接コンタクトを取って、マイケルさんという創設者の方とやり取りして作りました。もともとジャーナリストの方で、日本に行ったケンタッキーダービー優勝馬が行方不明になってしまったことを問題提起する記事を書いていて、どうしてケンタッキーダービーを勝ったような名誉のある馬がいなくなってしまうのだ、と。おそらく殺されてしまったのだろう、そんな悲劇を起こしてはいけないということで福祉団体をつくられた方です。直接お話しして、「サラブレッドのそういう取り組みを私もやりたいんだ」という話をしたら、「それは面白い、いいことだ」ということで、その話の流れから「オールド・フレンズ」という名前をいただけますかと聞いたら、「是非あげましょう」ということで、「オールド・フレンズ・ジャパン」ということでやらせてもらっています。

梅田「オールド・フレンズ・ジャパン」を始めたのは何年前でしょうか?

原田コロナ禍になった時で、2020年9月からです。まだ5年くらいです。ここは昔から観光地だったので、名馬厩舎みたいなことをやりたかったんですよ。GⅠで活躍した馬とかを集めてミュージアム的なことをやりたいなとずっと思っていて。まだその当時、引退馬というものがそんなに注目される時代じゃなくて、提案書を書いてみたりしましたが、以前はイマイチ反応が薄かった…。

梅田引退馬が脚光を浴びるようになったのは最近ですものね。原田さんはずっと昔からそういう思いをお持ちだったのですね。

原田そうなんです。2020年にコロナが大流行してしまい、観光は大打撃になるじゃないですか。実際に人の交流がなくなってしまうという時に、一瞬でちょっとひらめいたのが「日本のことだし、1回下がっても必ず上がっていく力がある」と思ったのです。きっとここからV字回復していくことを狙おうと思って、「そうだ! 昔そんな提案書を書いたな」と引っ張り出してきて、「オールド・フレンズ」とコンタクトを取ったような流れです。

梅田やっぱり原田さんはすごいですね。何でもいろいろとひらめいたことを、すぐアクションに起こして、ご自身で向かっていかれる。今は何頭くらいの引退馬がいらっしゃるんですか?

原田頭数自体はそんなに増やすことができないですが、ご縁のあった馬が今は17頭います。本当の養老の馬もいますし、まだ現役というかリトレーニングして競技会に使えそうな馬もいます。その競技会に使えそうな馬を僕らが生徒たちとリトレーニングして、彼らを乗せてリトレーニングの方法を教えたりしています。こういうことは本当に“もの作り”なので、良くなったという感覚を自分で得ないと生涯続けることができるよう“情熱”って沸かないじゃないですか。僕はそういう情熱で今日までこられたので、その情熱を生徒たちにも教えたいというので、一緒になってリトレーニングをやっています。彼らを乗せて、僕は下から調教したり、馬とその子たちがどんどん良くなっていくことを目指しています。

梅田一般的にリトレーニングって、元競走馬だったら競技会に出られるようになるまで、どれくらい時間がかかるものなのでしょうか?

原田使おうと思えば使えるんでしょうけど、どういうふうにしたらいいか将来を考えないといけませんからね。やっぱり馬術用の馬としての筋肉が必要なところもあるので、そこに関しては1年、2年とゆっくりと時間をかけていきます。コツコツと時間をかけてトレーニングをしていく楽しさがありますし、馬術用の馬って急にグッと良くなっていくので、その良くなっていく感動を子供たちに伝えてあげたいですね。

梅田その労力はもちろん、育てるまでのお金もなかなかかかりますよね。ご寄付や皆さんのお力もあってということでしょうか?

原田もちろんです。皆さんのお力だったり、ふるさと納税の基金を使わせていただいたり。それだけ時間のかかるスポーツだと思いますし、馬にも人にも時間をかけてあげたいので、それにはお金もかかるわけです。だから僕が今、積極的に海外に出ている取り組みも、将来的にその経験とかプロセスを子供たちに生で教えてあげたいじゃないですか。過去の選手ではなく、現役の選手としてやっていることを教えてあげたいし、僕の後に続く子が出てきているので、僕がいつ引退しても、僕より才能豊かな子たちがいますので、これから僕の代わりに世界で戦う子が出てきてほしいです。その見通しは悪くないなという感じはしますね。

梅田そういう意味では、これからの馬術界がますます楽しみですね。

原田そうなんです。ここから10年、20年したら、もっと良くなっていくんじゃないですか。世界から見ても日本はサラブレッドのNO1の大国じゃないですか。競走馬の生産国であるし、年間数千頭も産まれる環境にある国だったら、きちんとした道さえつくっていけば、いい選手は必然的に出てきますよね。

元競走馬が紡いでいくホースマンやファンたちとの縁

梅田先ほど引退競走馬のお話が出ましたが、現在はどんな馬がいらっしゃいますか?

原田障害で活躍しているのがダンビュライト。この前、競馬学校に入った子がコツコツコツコツ乗っていたんですよ。すんごい悪かったんですけど、その子が頑張って乗って、引退競走馬杯、RRC(Retired Racehorse Cup)のファイナルまで高校生で出たりしました。GⅠレースに出た馬に乗馬でまたがる経験をした子が、近い将来にジョッキーになるんじゃないですか。

梅田そういう方がいらっしゃるですね。

原田楠原颯馬(くすはら・そうま)です。彼は楽しみですね。しっかりと騎手になって稼いでもらって、ふるさと納税をしてくれたらうれしいですね(笑)。あと(21年の菊花賞で2着に好走した)オーソクレースもいます。

梅田なるほどですね。結構活躍した馬が多くいらっしゃるのですね。

原田見学できるチャリティーイベントはインターネットを通じて受け付けて販売していますが、“見せ物小屋”にはしたくないので、オールド・フレンズの馬たちへの触れ方やさわり方とかレクチャーして、厩舎で見学するツアーとしてやっていますね。厩舎に入ってもらう時にきちんと馬への接し方を説明して、時間に限りはあるんですが、参加してくださった皆さんのなかには号泣されたりする方もいらっしゃいます。

梅田本当ですか!皆さん、現役の頃に応援していた馬ですから、きっと思い入れが強いのでしょう。そのイベントはホームページに掲載されていますか?

原田オールド・フレンズ・ジャパン」のホームページに載っています。

馬とは自分の全てであり、かけがえのない存在

梅田ここまでお話をうかがってきて改めてお聞きしたいのは、競走馬でも短距離馬、長距離馬とか様々なタイプがいるなかで、やっぱり長距離の馬の方が馬術に向いていたりするのでしょうか。

原田僕の感じで言うと、ダートの中、長距離の馬はいいですね。適性はあると思いますよ。一方で芝の長いところを走る馬は、骨格、歩幅が大き過ぎてしまうので、パワフルな方がいいと思いますね。一概には言えませんが。馬術の競技馬として調教しやすい馬というのはいます。

梅田そうなのですね。あと原田さんのお子様がドイツで馬術の修業をされているとうかがいましたが、やっぱりお父さんのことは「先生」と「生徒」という関係なのですか?

原田いやいや、全然。友達じゃないけど、仲間ですよ。別に怒ったこともないですし。よくみんなにスパルタだとか言われたりしますが、そんなことないですよ。やっぱり馬に対してのことなので、解決していかなくてはいけない問題が必ず出てくるものです。その解決の仕方が、今できるものなのか、それとも時間をかける必要があるものなのか、そのへんを一緒に話し合って向き合っていく仲間ですね。

梅田ともにオリンピックを目指す、いいライバルと言ってもいい存在なのですね。

原田ライバルというか、一緒に出られたらいいなと思っています。リアルタイムで親子一緒に海外でインターナショナルに出ているのは、たぶんうちだけだと思いますよ。父親が昔に出ていたとかはあるみたいですけど。

梅田すごく楽しみですね。息子さんのお名前を教えていただけますか?

原田昂治(こうじ)と言います。

梅田同じ馬でも「馬術」と「競馬」は違うものかもしれませんけど、同じ目標に向かって融合というか、力を合わせていける面はあると思いますか。

原田いい馬というものは、ちゃんと人が手をかけないと育たないんですよね。基本的には人が調教しないと、真っすぐに走らないわけじゃないですか。馬をきちんと調教できるというか、ホースマンとして馬と携われていく人間を僕が育てていきたいというのがあります。本当に1人でも多くのホースマンを送り出していきたいなという思いはありますね。

梅田改めて最後に原田さんにとって馬とはどんな存在でしょうか。

原田僕にとってはかけがえのない存在で、僕の全てが馬ですよね。全てです。生き方もそうだし、人生もそうだし、全てが馬だと思います。とにかく馬もそうですけど、人を育てるということに関しては、僕だけではなくて、馬術界としても大きく取り組んでもらいたいなということもあります。あとは世界に誇るサラブレッドの生産国だという誇りもって、今後も馬に携わっていってほしいな、と皆さんにお伝えしたいです。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年6月17日 に公開されました。

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