ゲスト
田中勝春 調教師・小野次郎 調教師

01. 無我夢中に、そしてマイペースに駆け抜けた同期の2人

無我夢中に、そしてマイペースに駆け抜けた同期の2人
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。今回のゲストは、田中勝春調教師・小野次郎調教師お二方にお越しいただきました。お二人は競馬学校1989年卒の同期で、現在は調教師として活躍されています。今回は競馬学校時代のことをお二人に振り返っていただきました。

厳しい競馬学校で過ごした日々と楽しみ

梅田今回は本当に楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いいたします。まずはJRA競馬学校時代のお話からうかがいます。田中勝春先生と小野次郎先生は何期生で、同期は何人いらっしゃったんですか?

小野5期生ですね。

田中勝最初は10人いて、デビューしたのは9人だったのかな。

梅田そうなんですね。お互いの最初に出会った時の印象って覚えていらっしゃいますか?

2人全然…、覚えてないかなぁ…?

田中勝競馬学校の2次試験の時に会ってはいるはずなんだけどね。その時にいたのは20人くらいだったかな。

梅田入学されてからは厳しい毎日だったと思います。そのなかで楽しみとかはあったんですか?

小野毎週日曜日に外出できるだけだから、それこそ食べるぐらいだよね。

田中勝唯一の楽しみって、それくらいだからね。

小野食事制限もされるから休みの日に出かけて、がっちり食べてくるってくらいだった。

田中勝西船橋とか船橋とか、その界隈に出かけてね。

梅田そうなんですね。どんなものを楽しみに食べていたとか覚えていらっしゃいますか。

田中勝ファーストフードとか、あと甘い物(笑)。ダメだって言われると、余計に食べたくなっちゃうよね。

梅田なるほど。本当に競馬漬けの毎日だったと思いますけど、どんなことを考えながら騎手を目指していらっしゃったんでしょう。

田中勝あまり特には考えてなかったかなあ。どちらかと言うと、無我夢中だったのかな。

小野逃げたくても逃げられなかったもんね。騎手になりたい、って僕らは入っているからね。今の時代って結構、仕事をすぐ辞めてしまう人とか多いみたいだけど、当時の僕らはただの学生でやめるってものがなかった。どんなにつらくても我慢するしかなかったからね。

田中勝やめる選択肢がなかったよね。

小野競馬学校自体が塀に囲われていて、出入り口に門があるから、逃げようと思っても逃げられない。でも、夜に脱走してお菓子を買いに行きました。寮監が夜の見回りに来る時間が決まっているので、いなくなった後に脱走してコンビニにお菓子買いに行ったりして、屋根裏に隠しておくんです。でも、全部バレていて、そのうち近くのコンビニにも写真が配られていて、この子たちが来たら通報するようになっていたらしくて、バレてないと思っていたら、全部ばれていましたよ。

梅田それが唯一の気晴らしみたいなものだったのかもしれませんね。

田中勝そうかもしれない。

小野あの時代の学校生というより、どの年代でもみんなやっていたと思うからね。

個性豊かな5期生の同期たち

梅田他に思い出はありますか。他の仲間がどうだったとか。

田中勝◇◆は陰で悪かったしなあ(笑)。

小野僕らは矢面に立って「お前らは悪い!」って言われたんだけど…。◇◆は要領がよかったと思いますよ。

梅田お2人は素直でわかりやすい(笑)。

小野そんなイメージします? 悪いことしても、すぐにばれちゃう?

2人残念だな~(顔を見合わせて大笑)。

梅田あとは誰がいらっしゃったんですか? 佐藤哲三さんなども同期ですね。

田中勝哲ちゃんね。哲ちゃんは、オラオラなタイプだったからなあ。

梅田皆さん、凄く個性的ですね。それだと同期でケンカすることもあったりしたことも?

田中勝ケンカはなかったね。あんまり人のことに干渉しなかった。

小野仲がいい、仲が悪い、とかはなくて、普通に同期ということで、そんなにお互いに干渉していなかったかな。そんなにベッタリもしていなかったし。ある意味、他から見ると「お前ら仲悪いの?」みたいな言い方をする人もいるしね。とにかくその当時は「ただ騎手になりたい」というだけの3年間でしたから。

梅田なるほど。お互いの競馬論というか、競馬に対する考え方をお互いにぶつけたりすることも。

田中勝あまりそういう話はしなかったな。

小野しなかったね。

田中勝でも、学校の時はいろんな馬がいて、たとえば次郎ちゃんが乗った馬を次に自分が乗ることになったりした時は情報交換とかをしたけどね。その程度くらいかな。

梅田仲が悪い感じではないけれど、皆さんがいい感じの距離感だったわけですね。大人な関係だったんですね。

小野大人だね(笑)。

今だから思うジョッキーだった自分にかけてあげたい言葉

梅田いま調教師になられて、あの時のジョッキーを目指していた自分に言ってあげたいことなどはありますか。

田中勝あるかなあ?

小野俺はあるな。自分は生意気だったからね。もっと素直に生きていれば、調教師にならないで、まだジョッキーを続けられていたのかなと思うね。

梅田それはどんなところで思われたのでしょうか。

小野自分を持ちすぎていて、分かったふりというか、「この馬はこうだ」みたいに決めつけたり。自分の我が強すぎた感じだったのかな。勝手に自信満々でやっていたので。

梅田でも自信がなかったら、馬って乗れないですよね。大変な仕事ですから。

小野だからカッちゃんが「調教師になる」って言った時に僕が思ったのは、カッちゃんもいよいよ干されだしたか、と。

2人アッハッハッハ。

梅田勝春さんはどうですか? 昔の自分に言ってあげたいことってありますか。

田中勝そうねえ。もっと真面目に取り組めばよかったかな。

小野ふざけすぎだもん(笑)。

田中勝アッハッハッハ。適当だったもんね。

梅田いえいえ、適当に乗っていたらGⅠとかを勝てないと思いますよ。

田中勝適当には乗っていなかったけどねえ。

小野適当には乗っていないけど、この“人間の感じ”がふざけているでしょう。

田中勝もうちょっと、みんなにビシッとしたところを見せておけばよかったなとは思っている。でも、常に素の自分が出ちゃう。ちゃらんぽらんの(笑)。

梅田勝春さんは、いつも楽しそうで人生を謳歌されているイメージですよ。それはファンにも伝わっていて、素敵だなと拝見していましたよ。

田中勝でも関係者には伝わらないんだ、これが。真面目じゃねえなあ、って。

笑いあり涙ありのジョッキー生活

梅田競馬学校を卒業して、いざジョッキーになられてからはどうでした。

田中勝とりあえず競馬学校の修業の毎日から解放されてホッとした。だけど、ジョッキーとしての試練がその先に待っていたのはあるんだけど、卒業したばっかりはホッとした気持ちだったね。

小野競馬学校の3年間は本当にきつかったからね。逃げたくても逃げられないし。でも、ホッとしたけど、本当に騎手として自分が成功していけるのかどうかという不安とか、いろんな感情が入り乱れていたね。

田中勝それはあるね。

小野騎手になってうれしいというより、騎手の免許に受かってホッとしたというのが正直なところだった。変な昔気質(かたぎ)の職人気質(かたぎ)な気持ちで、免許を取っただけで喜んでどうすんだって。乗り馬がいなかったらどうすんだって。これからが勝負だよな、みたいな感じでいたから。

梅田ようやくスタートラインに立てたということですからね。

小野カッちゃんだって、すぐに休むことになっちゃったもんな。朝に「起きられない、起きられない」って大騒ぎしていて、全然下半身が動かなくなっちゃったんだよね。それでカッちゃん、騎手デビューして1か月乗ってから病気になっちゃって、競馬に乗れない時期があったからね。

田中勝半年休んでから復帰したけど、あの時は不安というか、本当に直るのかなと思ったり。そんな感じだった。

梅田いろんな思いがあって騎手生活をスタートされたんですね。ちなみに毎週、先輩や後輩たちと顔を合わせる調整ルームの様子ってどんな感じなんですか?

田中勝当時は(レース前日の)昼の12時までに入室義務があって、それまでに雑誌とかを買い込んで入室してた。お菓子とかも買って。携帯電話があっても、使えないからね。あとはポータブルビデオが出たときは、DVDを借りて見ていたり。

小野あの時は何かテレビゲームってあったっけ? ゲームを持ち込んだかな。スーパーファミコンとか、そのへんかなあ。あの時代は駆け出しのアンチャン(若手)とかは相部屋だったんですよ。1人部屋じゃなくて。2人部屋で。

田中勝週末は調教に乗ってからレースに乗りに行ったので、夜も早く寝ちゃうしね。レース当日も朝に調教してから競馬場に行くんです。

小野東京や中山だったら、美浦に戻って調教してから競馬に行けたので。土曜日に競馬に乗った後、またトレセンに戻るんですよ。今も若い子はそうですよね。

梅田先輩ジョッキーの方々とお酒を飲んだりすることも…。

田中勝僕らがデビューしたての頃は、けっこう晩酌をしている人はいたね。さすがに深酒はしてなかったけど。

梅田なかには厳しい先輩もいらっしゃったのですか。

2人いましたよ。

小野昔だと上の方の大御所たちはね、調整ルームやジョッキールームの席が決まっていたんですよ。それで最初は、それを知らないで勝手に座っちゃうでしょ。それで怒られるんですよ。「お前、どこに座っとるんじゃ!」って。

田中勝だって知らないもんねえ(苦笑)。

小野あとは夕食の時に先輩たちはだいたい酒を飲んでたから、ちょっと遅れて食堂に行って、「おお、アンチャン」って捕まったら最後。その人の晩酌が終わるまで、お酒をついだりして帰れない。強制的に。

田中勝そう、強制的にね。

梅田最近では“飲みニケーション”というものも少なくなっているように思いますから、よくもあり、大変でもあり…。

小野いやでも、昔のは“飲みニケーション”じゃないよね。強制だもんね。今だったらパワハラって言われてもしようがないくらい。昔は「ノー」と言えない、「イエス」しかない時代だったので。

梅田先輩方はどんな感じだったのですか。

田中勝1人でご飯を食べている先輩もいたけど、あの時は関東も大先輩がたくさんいたし、関西から来る人も多かったね。黙々と飲む人もいれば、怖かった先輩もいたなあ(苦笑)。

小野こんなこともあったね。僕が小倉に行った時に調整ルームのお風呂が熱くて入れなくて、水で薄めて入っていたんですよ。それでお風呂から上がったら、怖い先輩ジョッキーが入ってきて、「誰じゃ、ぬるくしたの!」ってめっちゃ怒られました。でもこっちからしたら、あんなに熱いお風呂には入れないよって(苦笑)。

田中勝漫画みたいだよね。今考えたらね。

梅田競馬界で長年過ごされてきて、変化を感じるところなどはありますか。

田中勝それは今までまかり通ってきたことが通らなくなってきたじゃん。コンプライアンスの問題とか。

小野体罰っていうほどじゃないけど、競馬で失敗してあがってきて調教師にげんこつを張られたりとか平気であったからね。昔はそれが当たり前の話だったし。それも今だったら当然アウトじゃないですか。

田中勝そのへんがめまぐるしく変わってきたよね。馬に関して言えば、今では日本の馬が世界でナンバーワンになるような時代だもんね。当時、俺らがデビューした頃じゃ、まだまだ世界の一流と比べたら、箸にも棒にもかからない時代だった。この30年間で馬は強くなっているよね。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年6月2日 に公開されました。

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