ゲスト
関麻里子 さん

01. 最初にグリムという馬に出会って、私の人生が変わった

最初にグリムという馬に出会って、私の人生が変わった
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。今回のゲストは、ドバイ、香港など世界中のホースマンやマスコミ関係者が行き交う国際レースの舞台裏で活躍する関麻里子さんです。国内では乗馬クラブ・常総ホースパークも手掛けています。前編では、関さんが馬に魅了されるきっかけをお聞きしました。

ひそかに芽生えていた馬への思い

梅田今回のゲストは関麻里子さんです。香港など海外競馬の現場で活躍されている姿をお見かけすることが多いですが、麻里子さんの馬との最初の出会いはいつ頃だったんですか?

そうですね。実は通っていた幼稚園のはす向かいに慶応大学の馬術部の馬場があったんです。それで毎日、送迎のバスで行き来する時に必ずお馬さんを見て、「おうまさ~ん!」って、言っていたみたいです(笑い)。それが最初ですね。その時はもちろん、乗ったりとかはせずに見るだけでしたけど、それが最初になりますね。

梅田それじゃあ、3、4歳くらいの物心つくかつかないかという頃に「うま~!」って

そうですね。乗りたい、とは言っていたみたいなんですけど、私の家族も特に馬とは関係ない人間だったので、幼稚園を卒業してからはしばらく馬とは離れちゃいましたけど。

アメリカ留学中に西部劇の街で馬に目覚める

梅田それでは実際に馬に乗るとか、触れあうようになったのはいつのことだったのですか?

高校生の時です。高校時代にアメリカへ留学したことがあって、その時のホームステイ先が、とにかくとにかく田舎だったんです(笑い)。サウスダコタ州というところだったんすけど。

梅田けっこう西部劇なイメージのする…

はい。名前は聞いたことはあるかもしれないですけど、本当に西部劇の街というか、普通にテンガロンハットをかぶって暮らしているようなところだったので、本当にど田舎でしたね。あまり家なんかないようなところで。そのホームステイ先の家にお馬さんがいて、おうちのお仕事として馬に乗りながら牛を追いかける、という仕事があったんですよ。私もそのお手伝いをすることになって、自然と乗るようになりましたね。

梅田それは16、17歳の頃のことですか?その年代で馬に乗ったら、日本でも乗りたい、ってなっちゃいますよね。

はい、それが完全に目覚めたきっかけですね。

馬術部のある大学を目指して

梅田それでは留学から帰国されて、どこか乗馬クラブを探したりしたんですか?

ちょうど大学受験の時期だったので、もう馬術部のある大学だけを受験してました(笑い)。

梅田すごい!だいたい逆ですよね。普通は大学に入って、馬術部があるな、ふーん、入ろうかな…、と思う人が多いように思いますけど。

はい。もちろん英語を勉強したいというのはあったんですけど、必ず馬術部があるか探してから受験をしました。それで進んだ獨協大学で馬術部に入りました。ただ、今から考えるとスポーツ推薦とかがある大学じゃなかったので、逆にそれがよかったんじゃないかなと思いますね。スポーツ推薦の制度とかがあると、一般受験で入った人、セレクションで入っていない人たちとかは、なかなか馬に乗れなかったりとかすることが多いと思うんです。私の場合は1年生でみんな同じような立場だったので、ほとんど最初から馬に乗せてもらえて、逆にそこがよかったと思います。

梅田それでは大学での4年間は、けっこう充実した馬術部の仲間と部活動の日々を過ごしていらっしゃったんじゃないですか?

ほとんど馬に没頭していましたね。

梅田大学の馬術部だと皆さん、その部活動のためにアルバイトをしたりとか、けっこう大学生活をかけていますよね。私も馬術部がある大学だったので、馬術部の友達が何人かいましたけど、つきっきりですよね。

自分たちで馬のお世話をしないといけないというのは、もちろんあります。それに部費を稼ぐアルバイトも乗馬クラブでアルバイトをしたり、競馬場でアルバイトをしたりすることもあるので、けっこう馬のことばかりをやっていましたね。

梅田そうなると麻里子さんは馬術の大会にもたくさん出場されたりしていたのですか?

はい。学生の時は学生の試合にずっと出ていましたね。うちの大学の馬術部というのが、大学自体に馬術部の馬場がなく、いわゆる乗馬クラブのなかにあったので、乗馬クラブの敷地内で活動していました。そこの乗馬クラブのお客さんたちと、学生相手ではない一般の方との試合にも行きましたし、けっこういろんな経験をさせてもらいました。いい経験になったし、いろんなことをさせてもらって勉強になりました。

梅田すごい恵まれていますね、それは。今も麻里子さんの大学の馬術部は、乗馬クラブのなかにある感じなんですか?

実は今はもう、うちの大学の馬術部はなくなってしまったんですよ。やっぱりだんだん人数が減っていってしまって…。みんな馬術部のOB、OGも残そうと頑張っていたんですけど、やっぱりなかなか現実というか、「お馬さんかわいい!」って入った人たちが、実際にやってみて大変な現実を見てやめてしまうみたいな。

梅田かわいいというだけではお互いに共存できない生き物ですからね。それで大学で4年間を過ごされた後は、どんな道へ進まれたのですか?

大学に卒業するタイミングで、今の合田直弘がやっている会社「リージェント」に本当にタイミングよく入ることができたんです。私は全然、馬術部のアルバイトで競馬場に行くことくらいしか競馬というモノとの接点はなかったんですけど、たまたまうちの母と合田ご夫妻の共通の友人がいまして、その方の紹介で「リージェント」を紹介していただいて、馬が好きで英語も勉強したいというのであれば、ということで入社いたしました。

運命の転機となった牝馬との出会い

梅田大学を卒業してすぐからだと、長くやっていらっしゃいますね。合田さんとお仕事を長年されてきたと思いますが、そのなかで印象に残っている馬などいろいろいらっしゃったんじゃないですか。

いっぱいいますけど、自分がずっと乗馬を続けるきっかけとなったのは、学生の時に乗っていたサラブレッドの牝馬です。その馬は大学を卒業してからもずっと自分の馬として育てて、競技会にも行って、長い付き合いだったので。もう今は亡くなっちゃいましたけど、20年近く一緒にいましたので、やっぱり思い出があります。全日本とかも連れて行ってもらえて、その時は彼女中心の生活をしていました。

梅田なんというお名前だったんですか?

乗馬名は「グリム」という名前なんですけど、お父さんはホリスキーかな。古い馬ですけどね(笑い)。自分が学生の時は大学の馬術部の馬として乗っていたんですけど、卒業してからもずっと一緒にいたかったので、私のお馬さんになってもらいました。

梅田やっぱり思い出の馬というのはいますよね。それがグリムさん。

思い出の馬というのは皆さんいらっしゃると思うんですけど、最初にグリムという馬に出会って、私の人生が変わりました。

梅田どう変化していったんですか?

本当に馬中心の生活になりましたからね。もちろんずっと馬は続けようと大学の時から思っていましたけど、今では乗馬クラブを経営しています。自分がここまでになる原点だったと思いますね。

梅田グリムさんは、どんな子だったんですか?

ちょっとツンデレちゃんで、自分から人に寄ってくるタイプじゃないですけど、人間の雰囲気をすごく感じ取る子でしたね。静かに横にいると、スーッと近寄ってきてくれて一緒に静かにしているんですけど、乗るととってもホットな子。めちゃくちゃ走るし、頭がいい子でしたね。障害もよく飛びましたし、気が強い子でした。オンとオフがしっかりしていて、その子は競走馬を引退してから繁殖牝馬になっていたので、子供も産んでいましたし、ハートも強かったと思います。体も強かったですしね。いろいろ学ばせていただきました。

梅田言葉はなくても伝わる、という感じですね。

はい、伝わっていたと思います。私がそう勝手に思い込んでいた部分もあると思いますけど、長いつきあいでしたので、言葉会話はなくても愛情は伝わっていたと思います。

梅田そうだったんですね。お仕事については、今やっていらっしゃる乗馬クラブについてうかがってもよろしいですか。

人生の伴侶と夢へ向かって

グリムを自分で引き取った時から、やっぱりこの子の余生というか最後までしっかり面倒みようという覚悟で引き取ったので、彼女にとってどういう環境が一番いいのかということを模索しながら、乗馬クラブとかも探したりしました。そのなかで今の主人と出会いました。主人はずっと小さい時から馬の牧場なり乗馬クラブで乗っていた人で、それで主人も「自分で乗馬クラブをやりたい」という夢が小さい時からありまして、そこで同じ方向性があって、乗馬クラブを2人でやりましょうということになったんです。

梅田それはやっぱりグリムさんがいたからこそ、きっかけができたということですか。

馬術部の監督の息子さんが自分の乗馬クラブを違うところにつくったんですよ。学生はそちらのクラブでもお手伝いをして私も卒業後も行っていました。そこに主人がスタッフとして働いていました。グリムは主人が調教する事になり、私もグリムでレッスンを受けられるようになって、そこでいろいろ2人で話しながら、グリムをはじめ引退競走馬が幸せになれる乗馬クラブをつくりたいねという話をしていました。グリムさんもそちらの乗馬クラブにいたので私も乗りに行く機会が増えるようになって、そこでうちの主人と出会うきっかけができました。いろいろ2人で話しながら、乗馬クラブをつくりたいねという話をしたり…。

梅田なるほど。グリムさんがいてこそ、そういう流れになったわけですね。

そうですね。グリムにとって、いい環境を探しながら過ごしていた時期でしたね。

梅田それでご主人にも出会えたって、すごいすてきな話ですよね!

それはそうですね(笑い)。

梅田乗馬の先生であるご主人とは、今はどんな感じなのですか? また乗馬クラブを立ち上げられてからどれくらいになりますか。

今でも先生なので、私が乗るとレッスンされてますし、普通に怒られますし。あと馬の管理とかに関しても、いろいろ勉強させてもらっています。もう今年で20年目になるんですけど、頑張ってきたと思います。できたのが2006年で、今年が20年目に入ったところですね。

梅田おめでとうございます!どれくらい馬はいらっしゃるんですか。

馬自体は25頭いるんですけれども、場所としては美浦のトレーニングセンターの近くなので回りは牧場だらけですね。環境としては申し分ないと思います。

(構成:スポーツ報知 坂本達洋)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年5月15日 に公開されました。

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