01. 「親父のところで馬に乗りたい」と思い、この世界に飛び込むことにしました。
「親父のところで馬に乗りたい」と思いこの世界に
梅田4月16日から、今年の門別競馬が開幕しました。ということで、今回は数々の名馬を育て上げてきた、田中淳司調教師にお話を伺います。先生は、お父様が元ジョッキーで、調教師の田中正二先生ですよね。
田中そうですね。だから、馬小屋の横で育ちました。馬がいるのが、当たり前の環境でしたね。小中学校と、学校に行く前に調教を見ていました。その頃から、馬を育てる仕事がしたいと思っていましたから、53歳になったので馬と生活して53年ですね。
梅田お父様に「厩舎を継ぐんだぞ!」と言われたわけでもなく?
田中父から、何か言われたことはないですね。本当はジョッキーになりたかったんですよね。だから、父は僕がジョッキーになると思っていたんじゃないでしょうか。でも、高校に入る前ぐらいから、体が大きくなってしまって。それで、ジョッキーの道は諦めることになりました。
梅田そこからは、調教師を目指すことに?
田中まずは、「親父のところで馬に乗りたい」と思い、この世界に飛び込むことにしました。将来は調教師になんて、あまり考えていませんでしたね。ただ、漠然といつかは…ぐらい。とにかく、その頃は馬に乗ることが、楽しかったんですよね。
梅田では、まずはお父様の厩舎で、厩務員さんからキャリアがスタートしたんですね。どんな馬を担当なさっていたんですか?
田中それが、父の厩舎では重賞馬の担当になることはありませんでした。だから、厩務員として重賞を勝ったことはないんです。
梅田それは意外です。お父様からの愛の鞭かしら?
田中どうでしょう?何か意図はあったんでしょうけど、いい馬は先輩厩務員さんに任せる感じでしたね。でも、オープン馬の調教には乗っていたので、特に違和感は感じませんでした。
満身創痍な状態での調教師試験
梅田そこから、調教師さんを目指す、きっかけはあったんですか?
田中父がいずれなるなら「そろそろ、試験でも受けたほうが」と言いまして。30代前半でしたし、すでに結婚して子供もいましたからね。将来のことを考えないとなと思いました。一発で受かるものではないし、早めに受けたほうがいいかなと思っていたんですが、1次試験は最初に受験した年に通ったんです。
梅田かなりの難関試験だとうかがっていますが、凄いですね。そこから2次試験に?
田中地方競馬の調教師試験の2次は、那須にある教養センターで受験します。その直前に怪我をしてしまいました。
梅田えぇ!何があったんですか?
田中試験の1週間ほど前に、父と牧場に馬を見に行きました。そのとき、走ってきた馬に蹴られてしまったんです。目の前でバッと尻っぱねして、アッという間でしたね。横腹を蹴られまして病院へ行きました。腎臓を損傷しちゃったみたいで、血尿が出て、貧血を起こして。もう即入院ですよ。
梅田大怪我じゃないですか!では、その年の試験はパスすることに?
田中いえ、前日まで入院して受けに行きました。お医者さんには「責任もてませんよ」と言われましたけどね。面接と乗馬の試験なんですが、もうフラフラですよ。乗馬では飛び乗りなど、いつもは当たり前にできていることが、全然できませんでした。
梅田満身創痍な状態での試験ですね。
田中でも、受けるしかないですよ。だって、1次試験だって、いつまた受かるか分からないですから。さすがに、その年はダメでしたが、翌年には調教師試験に合格しました。
合格から開業までの道のり
梅田開業までは、どう過ごされたんですか?
田中その頃は、12月に合否発表があって、1年の研修期間がありました。その間は、アメリカに行ったり、牧場さんや、地方のリーディング厩舎で研修をさせてもらったりしました。ノーザンファームさんは、各厩舎が会社組織のように運営されていて印象深かったですね。
梅田それを、ご自身が開業した時に取り入れようと?
田中そうですね。昔の厩務員さんって、自分の担当馬だけを見ていましたよね。でも、ノーザンでは、みんなで仕事内容を確認して、スタッフそれぞれで役割を分担していました。
梅田みんなで、厩舎全体をチェックして、相談しながら馬作りをする形ですね。
田中はい。その当時、地方競馬で取り入れている厩舎は、あまりなかったと思います。この制度を取り入れたところも、開業から田中厩舎がうまくいった理由のひとつだと思っています。
梅田厩舎は2007年4月18日がデビュー戦で、翌19日の新馬戦・フレッシュチャレンジをアイファーダイオーで初勝利を挙げました。
田中嬉しかったですね。門別は2歳戦が中心なので、新馬勝ちをみんな狙っています。だから、新人が勝つのは、なかなか難しいんです。ずっとお世話になっている中島稔オーナーの馬だったから、余計に嬉しかった。でも、この時も勝って具合が悪くなっちゃって(笑)。
梅田あらら、せっかく1勝を挙げたのに?
田中開業に向けて忙しくしていたので、気が抜けたんでしょうね。勝って、そのまま病院です。だから、この勝利はいろいろな意味で、すごく印象に残っています。新聞も取り上げてくれました。それも、厩舎が軌道にのったひとつの要因だったように思います。おかげで、馬も集まりやすくなりましたから。
開業5年目でダートグレード戦制覇
梅田開業して5年目には、ハッピースプリントでダートグレード戦を制覇しました。
田中ハッピースプリントでの北海道2歳優駿の勝利は、うちの厩舎初のダートグレード戦制覇でした。さらに全日本2歳優駿でJpn1も勝ってくれました。
梅田若馬の頃から、素質の高さを見せていましたか?
田中入厩前から生産者であり、馬主の辻牧場さんから「凄い馬が行くからね」と言われていました。たしかに、入ってきた時から、馬体は立派でしたね。僕自身も調教で乗っていましたが、背中がいいし気性もどっしりして、1歳の時点で古馬のようでした。
梅田ハッピースプリントは、新馬から2連勝で、函館2歳S、コスモス賞で5着と能力を発揮してのダートグレード参戦でした。こういう、能力馬を育てるときって、心配がつきないですよね。いかがですか?
田中まだ、若かったので怖いもの知らずの調整をしていました。ダートグレード戦も、宮崎光行騎手が自信を持って乗ってくれましたし、常に楽しみしかなかったですね。負ける気がしないというか、生意気ですね(笑)。
梅田それだけの、能力を感じていたということですね。
(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。