ゲスト
花子ヴェリアン さん

01. キャプテンクックがいなかったら、今の自分はいないと思います。

キャプテンクックがいなかったら、今の自分はいないと思います。
アナウンサー梅田陽子さんがインタビューアーとなりお届けする「ホースと共に!」。第1回目のゲストは、花子ヴェリアンさんです。花子ヴェリアンさんは、イギリスの調教師ロジャー・ヴェリアン氏の夫人で、中内田充正調教師の奥様の姉になり、日本と欧州競馬の架け橋になっています。前編では馬との出会いについて伺いました。

馬との出会い

梅田今回のゲストはヴェリアン・花子さんです。そういえば、花子さんは埼玉県のご出身なんですよね。私もなんですよ。それに共通のお友だちもいるし、親近感があったんです。きょうは、ニューマーケットにいらっしゃるんですよね?

花子そうです。きょうは、いいお天気ですよ。うちの厩舎は桜の木が植えてあるんですが、まだ咲いてないですね。

梅田日本は満開ですよ~。花子さんはご主人がイギリスで調教師をなさっているロジャー・ヴェリアン氏。花子さんご自身もダーレーのお仕事をなさっていたこともあります。まずは、馬との出会いについて、うかがいたいんですが?

花子小さいころはクラシックバレエをやっていたんですが、成長して体型が変わってきたので諦めようとなったんです。そんな時、母が実家の近くで乗馬を、父が40歳にしてパラグライダーを始めました。で、「どちらか、やってみない?」と両親に誘われました。

梅田アクティブなご両親ですね。

花子父は77歳になりますが、まだ続けているみたいですよ。まあ、パラグライダーをするのは山の中ですよね。中学生じゃ車も運転できないし、通うにはハードルが高い。近くの乗馬クラブなら、自分で自転車でも行けるので、乗馬をはじめました。

キャプテンクック

梅田乗馬は楽しかったですか?

花子もう、楽しくて、ほぼ毎日通いました。運動なんて全然やったことがないのに、バレエでのバランス感覚があったので、そう苦労することなく乗れたのも良かったと思います。学校に行って、帰ってきて馬に乗って夜の9時ぐらいに帰宅する。競技会に出られるようになると、さらに「おもしろい」となりました。女性でも大きな馬に乗って、男性と同じ競技に出られるんですから。

梅田どんどん、ハマっていったんですね。

花子そうですね。で、高校3年生の時、福島で行われた大きな大会に、キャプテンクックという馬で出場することになりました。試合の当日、クックが出番前の馬房でうずくまっていたんです。その姿がかわいいと思って写真を撮りました。でも、実はお腹が痛かったんですよね。それに気づかなかったことがショックでした。いつも、自分が乗って、かわいがっているのにって。これは、自分が疝痛の手術をできるようにならなくちゃ!と考えて、獣医さんになりたいと思ったんです。

梅田自分で馬の診察と治療ができるようになりたいって?

花子そうそう。でも、日本の獣医大学では、背の小さなわたしのような女性では、大動物は難しいと面接で言われて。それで、もともと興味があったイギリスに行くことにしました。

梅田思い切りましたね。ところで、キャプテンクックのその後は?

花子年をとって乗馬としても引退する時点で、引き取って実家の庭で飼っていました。最後まで面倒みなくちゃと思って。

梅田馬の余生の問題にも、花子さんは取り組んでいらっしゃいますが、キャプテンクックが原点なんですね。

花子そうですね。キャプテンクックがいなかったら、今の自分はいないと思います。

イギリス留学

梅田それで、イギリスでは何を勉強なさったんですか?

花子イギリスに行って最初の年は、英語の勉強だけをするファンデーションコースに入りたくなかったので、馬の専門学校のようなところに入って、英語力と馬用語力、文化を学びました。

梅田大忙しですね。その後は、どうしたんですか?

花子ファンデーションコースを終えた後、3年間、大学で馬学を専攻しました。日本の総合馬術のオリンピックチームが(シドニーぐらいの時期です)が近くにベースを置いていました。その方々に仲良くしてもらいました。語学の面などでお手伝いをしていたので、あの銅メダルは本当にうれしかったですね。大学を卒業後は、ビザの問題もあって日本に帰りました。

梅田日本では、やはり馬の仕事をしようと?

花子はい。それで、JRAにもアプローチしたんですが、日本の大学を卒業していないということで、願書が出せなくて。JRAの外郭団体の競馬国際交流協会(現:公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル)に入りました。そこで、JRAの国際部の方たちとお仕事をしたり、海外からくる調教師さんや騎手の通訳などをしていました。

梅田在籍していたのは、どのぐらいの期間ですか?

花子2年半ぐらいですね。乗馬はしていましたが、競馬のことは知らなかったので、ちゃんと通訳するために日本競馬のことを勉強しました。その頃に、ダーレーフライングスタートのお知らせが届いたんです。「これ、私のためにある制度なんじゃない?」と思って応募しました。

梅田ドバイのシェイク・モハメドが馬の事を学びたい世界中の若者を支援する制度ですよね。かなりの、狭き門だと聞いていますが。

花子私は第1期生なんですが、この時は世界中から360人ほどの応募があったと聞いています。

日本とはかなり違う環境

梅田それで、合格したのは?

花子12人です。出身国も違うし、法律をやっていたなど学んできたことも違う。いろいろなバックグラウンドの子たちがいましたね。みんなで朝は馬房掃除をして馬に乗って、午後からは法律やIT、サイエンスなどいろいろな勉強をしました。

梅田このときの同期の方たちは、今、何をしているんでしょう?

花子エージェントや調教師、大きな牧場の経営者になった子もいます。みんな世界中で活躍していますよ。2年間、一緒にイギリス、アイルランド、オーストラリア、アメリカ、ドバイなど世界中を回りました。獣医学などの得意分野だけでなく、生産や血統、競馬ビジネスのことなどが学べたのは良かったですね。それに、たくさんの人たちに出会えました。あれだけの人脈を自分で作ろうと思ったら、たぶん20年はかかるだろうなと。

梅田それは、得がたい財産ですね。その後はゴドルフィンの仕事を?

花子いえ。できれば、もう少しシビアな環境で仕事をしたいなと思って、アメリカに行って1、2歳馬のコンサイナーをしてました。でも、このときお世話になっていたアメリカの調教師さんが亡くなってしまったんです。その時に、日本とイギリスのダーレーで仕事をしないかと声をかけていただきました。

梅田もう、波瀾万丈ですね。日本ではなく、海外を拠点にずっとお仕事をなさっていますが、日本とは環境はかなり違いますか?

花子全然、違いますよ。どちらが、いいということではないですけど。でも、日本で女性が認めてもらおうと思ったら、男性以上に働いて結果を出さないとって感じしますよね?さらに、働きながら家庭を持って子供を育てるとなったら…女性は難しい環境だと思います。イギリスは子育て世代はナニーやベビーシッターをお願いするのは普通です。そんなことも含めて20代の頃に、いろいろ考えて、やっぱり自分にはイギリスの方が合っているなと。

梅田自分らしく生活できる環境を選んだんですね。

(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

梅田 陽子
セントフォース所属。学習院女子大在学中より、日本テレビ「きょうの出来事」お天気キャスターとしてデビュー。2006年よりグリーンチャンネルキャスターとして、中央、地方競馬に携わっている。情報、スポーツ番組MC・リポーター、イベントMCとして活動中。馬とお酒と音楽(ピアノとチェンバロとパイプオルガンの演奏をします)が好き。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

※この記事は 2025年4月15日 に公開されました。

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