02. 子供の頃から、とにかく馬が好き
子供の頃から、とにかく馬が好き
細江老舗牧場に生まれ育った三嶋さんですが、子供のころから将来の夢は実家の牧場を継ぐことだったんですか?
三嶋身近なところに、ずっと馬がましたからね。子供のころは、よく馬に触っていました。
吉田よく、種付けの時に三嶋さんと、お父さんと一緒にきていたんですよね?
三嶋そうそう、種牡馬を見たくて。とにかく馬が好きで、馬のいるとろに行きたかったんです。よく、父によその牧場にも連れて行ってもらいましたね。
細江その頃の三嶋牧場って、どのぐらいの規模だったんですか?
三嶋繁殖牝馬が12、3頭ぐらいかな。スタッフも今ほどではないので、出産の手伝いもしていました。
細江子供の頃から乗馬をしたり?
三嶋当時の馬産地って、乗馬ができる環境があまりなかったんですよね。だから、たまにポニーに遊びで乗るぐらい。で、時間のある時は、牧場の手伝いをして。小学校の時に血統が好きになって、ずっと馬の本ばかり読んでいました。その頃から、将来は牧場で働きたいと思っていましたね。
細江じゃあ、大学時代は?
三嶋馬術部のない大学だったので、帰省したときに馬の世話をするぐらい。でも、競馬が好きで、府中によく行っていました。本格的に牧場の仕事をしたのは、大学を卒業してからです。
吉田大学の時に、三嶋さんはお父様を亡くされましたから、その時点で経営はおじ様がなさっていましたよね。
三嶋そうですね。大学4年生、22歳の時に父が亡くなりました。
吉田親子で牧場を経営する難しさってあるんです。これが、叔父と甥となると、違った難しさもあったと思いますね。
三嶋いやいや、普通ですよ。積極的経営方針の叔父についていっただけです。こうして拡大してこれたのもメイショウの松本オーナーを筆頭に多くの方々に支えられてのことで感謝しております。
アメリカ スリー・チムニーズ・ファームの想い出
細江お2人は長年のご友人なんですよね? 海外での研修先もご一緒だったとか。
吉田僕が24歳、三嶋さんが26歳の時、アメリカのスリー・チムニーズ・ファームで一緒でした。
細江シアトルスルーやシルバーチャームを繋養していた大牧場ですね。
三嶋もう、何もできない状態だったので、現地に着いた瞬間から頼りにしていました。俊介さんは英語が達者だし、ホントに助けてもらいました。
吉田いやいや、僕が3、4か月ほど先にアメリカに行っていたから。牧場での部署は違ったんですけど、休み時間とかに「ちょっと」って僕のいる厩舎にくるんです。で、三嶋さんの部屋に電話をつないでほしいって。それで、電話会社に連絡したりしましたね(笑)。
三嶋もう、アメリカにいる間は俊介さんにバックアップしてもらいながら(笑)。
細江なんだか、楽しそうですね。アメリカに行こうと、三嶋さんが思ったのはどうしてですか?
三嶋子供の頃から海外競馬への憧れがありました。その本場といえばアメリカだ! と。スゴい競走馬、スゴい種牡馬を自分の目で見たいという思いがありました。ネットで動画が見られる時代じゃ、なかったですからね。
細江実際に行ってみて、どうでした?
三嶋もう感動です。とにかく牧場の規模が違いますよね。
細江何百エーカーという広大な土地で、たくさんの馬を育てていますもんね。
三嶋そうですね。当時の家族経営のような環境でやっている、うちの牧場とは、日頃の馬への接し方も全然違う。日本では雨が降ったら馬は厩舎に戻さなくちゃと言っていた時代に、昼夜放牧をしていましたしね。
日本の馬産の良さ
細江逆に日本の馬産の良さを感じた部分はありましたか?
三嶋ひとつの牧場にいる頭数が違いますが、アメリカは良くも悪くも大雑把。日本は、きめの細かい、手間をかけた育てかたをしていると感じました。
細江では、帰国して「こんなことをしたい」と思ったことを実現していこうと? 現在は繁殖に加えて、育成も行っていますが。
三嶋BTCができたので、そこに12馬房を借りて育成を始めました。最初はまったく結果が出ませんでしたね。今思えば、色々な要素が不足していたんだと思います。そこで、まずは放牧地を広げたいと考えて、少しずつ用地を買い足していきました。
細江子馬の頃の運動量は重要ですもんね。そのために、牧場面積を広げようと。でも、当時は牧場用地を手に入れるのは大変だったのでは?
三嶋そうですね。それでも、2006年頃に富川に20町歩ほどの土地を、何とか入手できました。
細江この時、経営者である叔父さまから反対されたりは?
三嶋とくになくて逆に積極的でした。今思えば、浦河から離れたところに牧場を作れば、人も道具も分散されるデメリットもあったんですよ。さらに、09年に浦河の土地を広げました。
細江逆にその頃は、馬産の不況もあって、閉める牧場が増えた頃ですよね。
三嶋そうです。この時期に、土地を広げようと言ったのは叔父でした。でも、余裕のない時期での拡大だったので、本当に思い切りましたよね。でも、そのおかげで、やれることが増えましたし、徐々に結果が出るようになりました。
ダーレー・ジャパンの代表
細江その牧場の過渡期に、ダーレー・ジャパンの代表を務めることになりましたよね。
三嶋35歳の時なので2008年からですね。話があったときは、僕に務まるのかと思いました。でも、俊介さんや、周りの人たちに助けてもらいながらでも、日本の馬産界が、いい方向に進めばと考えました。
吉田当時のゴドルフィンのCEOだったジョン・ファーガソンとしては、脅威と思われている海外資本を日本で受け入れてもらうためにも、柔軟に対応できる若い人材が必要だったんだと思います。
細江責任重大なお仕事でしたよね。
三嶋皆さんに助けてもらったから、できたんですよ。ジョン・ファーガソンも日本の事情などを説明すると、理解をしてくれていましたし。数年という約束だったんですけど、実際には、9年半ほどダーレーの仕事をしました。
細江その間も、三嶋牧場の生産馬は、年々、勝ち星を増やしていき、三嶋さんが戻った翌年の2019年にはダノンキングリーが安田記念で初のGⅠ制覇を果たしました。そして、今年も2頭のGⅠ馬が。ここまで、さまざまな改革をしてきたと思いますが、手応えは感じていらっしゃいますか?
三嶋そうですね。以前に比べて、馬が丈夫になりました。また、生産から育成へとスムーズに段階を踏めるようになり、デビュー率が上がったのは大きいですね。それに伴って、勝ち鞍も増えていきましたから。
細江変化を恐れないって、馬を育てるうえで大切なことなんですね。そういえば、お子さんは馬にご興味は?
三嶋JRAの少年団で乗馬をしています。馬のことは好きみたいですよ(笑)。
細江それは、うれしいですね。そのまま馬好きでいてくれて、第2のテーオーロイヤル、ルガルを誕生させてくれるといいですね。
(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

三嶋 健一郎
三嶋牧場取締役。生産馬にはテーオーロイヤル(2024年天皇賞(春)優勝)、ルガル(2024年スプリンターズステークス優勝)、ダノンキングリー(2021年安田記念優勝)など。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

細江 純子
1975年愛知県出身。1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2000年日本人女性騎手として初の海外勝利(シンガポール)。2001年引退。引退後はホースコラボレーターとしてフジテレビ『みんなのKEIBA』関西テレビ『競馬BEAT』に出演。夕刊フジ・アサヒ芸能などにコラムを連載中。書籍は『ホソジュンのステッキなお話』文芸ポストでの短編小説『ストレイチャイルド』。