01. どんな立場でいても、見る人は見ているはず
教官の道を選んだのは、どうしてですか?
細江武士沢友治さんは今年3月に騎手を引退し、4月からJRAの競馬学校で教官をなさっています(千葉県白井市)。どうしよう、武士沢くんでいいのかな、それとも教官?
武士沢武士沢くんでいいですよ。先輩なんですから(細江氏は競馬学校12期卒、武士沢氏は13期卒)。
細江では、お言葉に甘えて武士沢くんで。4月からの教官としてのお仕事はどうですか?
武士沢いま、主に見ているのは厩務員課程ですね。10月に入学してきた生徒たちに、主任教官や専門の方たちと一緒に乗馬を中心に教えてます。その合間に騎手課程で騎乗に関するアドバイスや先輩教官の指導の仕方を勉強させてもらっています。
細江研修も兼ねた期間ということですね。
武士沢そうですね。こぶしの使い方や、騎乗フォームなどにアドバイスしたり。騎手課程も、厩務員課程も見られるし勉強になります。
細江それに競馬学校の説明会などの仕事も加わると。
武士沢はい。阪神、京都、中京の各競馬場とか、宮崎育成牧場とか。競馬場でもジョッキーとして入ったことのないところに行くので、場所が分からない…なんてこともありますね。
細江これまで調整ルームや検量室とかの行き来ですもんね。説明会にくるのは騎手を目指す10代の子供たちと、その親御さんたち?
武士沢そうですね。今後は乗馬センターなどにも行く予定があります。馬の仕事は騎手だけではないので、トレセンの厩務員さんや牧場スタッフ、乗馬のインストラクターという道もあります。先輩方と一緒に、いろいろな仕事があると説明することになってます。
細江そもそも教官の道を選んだのはどうしてですか? 引退後には、たくさんの選択肢があったと思いますが。
武士沢正直競馬学校の教官は頭になかったです。でも、調教師になるなら馬だけじゃなく、人を育てなくてはいけないなと考えていました。それで騎手のあいだに小手川準厩舎に所属して、勉強をさせてもらってたんです。そうしたら競馬学校から連絡がきた。「なにか悪いことしたっけ?」って。
細江わかる〜。ひっくるめて競馬会=怒られるみたいな。ドキっとしますよね。
武士沢まあでも若手騎手のことで聞きたいことでもあるのかなと思って行ったら、「競馬学校で教官をやらないか」という話でした。ビックリしましたね。難しい仕事ですが魅力的でもあります。大分悩みましたが、「やってみたいです」とお願いしました。
僕や細江さんが学校生だった時と違いますよ
細江騎手から競馬学校の教官になった先輩たち、横山賀一さんや小林淳一さんがいらっしゃいますが。
武士沢はい、お二人とも的を得た教え方をなさっていて、伝え方など勉強になります。
細江私も年に1回ぐらい競馬学校に行くんですが、だいぶ雰囲気が変わりましたね。わたしたちの頃ってスポコンの世界っていうか。
武士沢あっ、僕や細江さんが学校生だった時と違いますよ。システムの違いもありますけど、いまは教官が一丸となっての寄り添う指導をしています。すごく教え方が上手ですよ。だから生徒の距離間も以前より近い感じです。まあ、命の危険もあるのでそこは厳しくしないといけませんけど、教える方も進歩していると感じますね。
細江理論的な感じが強くなってるのかな? もう教官は怖いって存在じゃないんですね。
武士沢若い教官は生徒と一緒にトレーニングしたりしています。その中で、僕自身の色も出していきたいですね。
細江28年騎手をしてきた武士沢くんだから、生徒たちに「こんなことを教えたい」ということがたくさんありそう。いまはレースでの騎乗機会を得ることすら難しい、デビューしてからが大変な時代ですし。
武士沢そうそう。実戦で乗るのは簡単なことではないですよね。みんな、デビューの時は華やかに活躍してトップジョッキーになることを夢見て入ってくる。でも、半分以上の人が厳しい現実を知るんです。
細江そんな時どうすればいいかですよね。いまはとくに男性の新人騎手には厳しい状況に映ります。
武士沢海外からもたくさんの騎手がくるし、乗り替わりも当たり前です。僕は義理人情の時代から今の競馬界になるまで、その両方を知っている世代です。その中で、生徒たちに伝えられることもあるかなと思っています。
細江新旧の競馬社会の考え方の、上手な融合の仕方を伝えたいと。
武士沢はい。基本は昔からの自分の足で稼ぐこと。レース前に厩舎に顔を出して「よろしくお願いします」、レース後に「ありがとうござました。馬は大丈夫でしたか?」ってあいさつをして、自分自身を覚えてもらう。それが、騎手の営業のスタンダードなパターンだと思うんです。これに、エージェントを使うってことなら鉄壁です。古いことが全部悪い訳じゃないし、新しいことが全部正しいんじゃないですから。
どんな立場でいても、見る人は見ているはず
細江それから、わたしや武士沢くんのように、競馬と関係のない家庭から入るってことも教えられますね。特殊な世界で大変な場面って多いでしょ。中学校を出て、競馬学校を卒業したらいきなりトレセンでの生活が始まるし。
武士沢最初は環境の変化が大きくてビックリしますよね。僕自身がデビューの頃は、トレセンの雰囲気に馴染むのに時間がかかりました。師匠である調教師、厩舎スタッフ、先輩たちのおかげでここまでこれたんです。
細江トレセンで2代、3代って続いてきた家の子とは違いますもんね。しかも、デビューしたら代々続く家の子にアドバンテージがある場面もたくさん出てくるし。もちろん、その子たちにはプレッシャーもかかりますが。
武士沢どんな立場でいても、見る人は見ているはずです。ちゃんと調教しているとか、分かってくれている調教師さんや、助手さん、厩務員さんはいますから。そういう人たちと話をしてみることです。気後れしたり、乗れないと面倒になるかもしれないけど、それでも続ける。減量の時なんてみんな重宝するんですから特に、ですよ。
細江続けることでチャンスをつかむんですね。
武士沢そうです。とにかく、一生懸命やることです。騎手なんて我慢しかないような仕事なんだから。
細江武士沢くん自身がコツコツと忍耐強いタイプですもんね。
武士沢そうですか? そう言っていただけるとありがたいですね。でも、本当に堪え忍ぶことが多かったですよ。僕自身、依頼をいただいた馬は基本は断らなかった。もし他の馬とレースが重なったときはどうすれば乗れるか、自分が厩舎に行って相談しました。そこをLINEやエージェントさん任せにして面倒がっちゃダメですよね。自分で営業して、一生懸命ゲート練習して調教して。そういう馬が勝った時は本当にうれしくて、思い出に残るものなんです。
細江若い子たちのこれからに一番大事な言葉だと思います。こういう時代に、武士沢くんに白羽の矢が立った意味が分かりますね。
(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

武士沢 友治
1978年青森県出身。1997年騎手デビュー。JRA通算成績は340勝。重賞5勝。2024年3月騎手を引退。現在、JRA競馬学校教官。

細江 純子
1975年愛知県出身。1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2000年日本人女性騎手として初の海外勝利(シンガポール)。2001年引退。引退後はホースコラボレーターとしてフジテレビ『みんなのKEIBA』関西テレビ『競馬BEAT』に出演。夕刊フジ・アサヒ芸能などにコラムを連載中。書籍は『ホソジュンのステッキなお話』文芸ポストでの短編小説『ストレイチャイルド』。