ゲスト
戸本一真 さん パリオリンピック銅メダリスト

02. 失敗しても「So what?」。最終目標に向かって、やっていくことが大事

失敗しても「So what?」。最終目標に向かって、やっていくことが大事
パリ2024オリンピック銅メダリスト戸本一真さんをお迎えしての『ホースと共に!』。今回は乗馬を始めたきっかけなどのお話を伺いました。

もう、怖くて怖くて

細江戸本さんご自身は、その後に総合馬術個人にも出場して、こちらでも5位と結果を出しました。乗馬クラブに、たくさんの問い合わせがきたりと、馬術の普及にもひと役買いました。戸本さんは、乗馬はいつ頃はじめたんですか?

戸本小学校2年生、8歳の時です。2歳年上の姉が始めたので、いっしょに乗馬クラブに通いはじめました。この頃は毎日、母が送り迎えをしてくれていました。

細江ポニーから乗り始めたんですか?

戸本いえいえ。僕はポニーではなく、いきなり大きな馬からだったんで、とにかく落馬しないようにガッチリ馬につかまっていました。もう、怖くて怖くて。

細江コントロールの利かない大きな馬に子供がいきなり乗れば、そうなりますよね。それが、「楽しい」と、かわったのは?

戸本試合に出たことですね。初めて出た試合は負けたんですが、勝ったり負けたりが、おもしろくて。

細江その頃の夢は馬術選手だったんですか? ジョッキーとかは?

戸本母の影響もあるとは思いますが、小さな子供の僕には競馬はギャンブルみたいな知識しかなかったんですよね。体が小さかったので、よく「ジョッキーになれよ!」って言われました。そのたびに、「なりたくない!」って。もっと、騎手がどんな仕事か分かっていればねぇ。将来の選択肢の、ひとつだったかもしれないです。

吉田高校は馬術部だったんですか?

戸本いえ、乗馬クラブに通っていました。中学3年間はサッカー部で、高校進学のときに両親からサッカーか乗馬か、どちらかに絞ってと言われました。

細江まってまって、中学はサッカー?

戸本Jリーグが大人気だったので。だから、中学の3年間は乗馬に行くのは週に1、2回ですね。なんなら、嫌々行くぐらい。みんなとサッカーがしたかったんです。でも、3年やって満足しました。高校からは、馬術に集中しようと。

オリンピックへの夢

細江その後は大学でも馬術部に入って、JRA職員となりました。職員としての仕事もあるし、そのあたりはどうでした?

戸本JRA職員は2、3年ごとに転勤があるので、トレセンや、競馬学校にも配属がありました。選手としてやりたい気持ちがあったので馬事公苑以外の配属は意外だったし、ショックでもありましたね。栗東トレセンにいた時、08年の北京オリンピックがありました。ソフトボールの日本チームが金メダルを獲ったのを寮で見て、「自分は、ここで何をやっているんだろう」と泣けてきました。

細江オリンピックへという夢はあったんですもんね。つらい時期ですよね。仕事だって大事だし、動くに動けないし…。それで、その間はどうしていたんですか?

戸本「乗っていない、ブランクがあるからしょうがない」と思われないようにしよう、機会がきたら、スタートダッシュが決められるように馬には乗り続けようと考えました。だから朝、馬に乗ってから出勤していました。職場のみなさんが、僕の乗り続けたいという気持ちを理解して、協力してくれたんです。

細江仕事仲間が理解してくれたのはうれしいですね。

戸本本当に、ありがたかったです。で、2008、9年は栗東、10年競馬学校。11年に馬事公苑に戻ってきました。

細江そこから、また本格的に馬術選手としての生活に入りましたが。

戸本馬事公苑に異動になった2年後の2013年に、東京オリンピックが決まったのが大きかったですね。JRAからオリンピック選手を出す! となりました。でも、当時上司から言われたのは「総合馬術を目指さないか」という話でした。最初は「嫌です」って断りました。

吉田えぇ、なんで? 大学でやったことあるでしょ?

戸本ありますけど…大学馬術のレベルとオリンピックを目指すのではレベルが違いますよね。とにかく、クロスカントリーが。だから、「僕に総合は向いていないです」って。それに、ずっと障害で出たいと思ってたので、すごく迷いました。

吉田でもチャンスなのに。

戸本そうなんですよね。総合なら入賞を狙える。その機会を棒に振るのは、もったいないと思いました。

細江その決断をして、イギリスへ行くことになったんですね。オリンピックを目指すために。

戸本2016年にイギリスへ行きました。まったく英語が話せない状態だったので、最初は現地にいる日本人にお世話になりました。日本語でのサポートを受けながら、海外で生活をスタートできたのは大きかったですね。

鳥肌が立った助言

細江イギリスでは、トレーナーとなるWilliam Fox-Pittさんと出会うんですね。

戸本そうです。これまでの人生で出会ったことのないタイプの人というか。William自身がイギリス乗馬界のレジェンドのような人なんですけど。

吉田オリンピックの団体で、04年、12年と銀メダル。08年に銅メダルの大選手ですね。

戸本はい。その考え方が独特でした。ある国際大会で僕はミスをしてしまったんです。第3障害で落馬してしまった。まともに行けば、優勝だったのに。ショックだったし、めちゃくちゃヘコみました。そうしたら、Williamが「So what?」って。

細江それが、どうしたって?

戸本Williamは、「きょうミスした第3障害は、お前の人生で何度目の障害だ。これまで100回は飛んだだろ? 今回は103番目の障害をミスしただけだ。落馬することもあるよ」って。言われて鳥肌が立ちました。そんなこと、考えたこともなかったので。

細江日本人選手って。真面目で自分を追い込んで、ミスにすごく落ち込んだりしがちですもんね。

戸本そうなんです。Williamは自分の中で、一番大きな目標を達成することが重要なんだと言うんです。この時点での、僕の大目標は東京オリンピックでした。それ以外の試合に、勝とうが負けようが関係ないんだと。

細江馬に対する考え方や向き合い方で、目から鱗みたいなことをたくさん教わったんですね。思考力の大切さという。

戸本はい。この「So what?」って言葉、かなり言われました。もちろん、すべての試合に全力という選手もいますが、Williamはこの考え方で結果を出して、レジェンドになったんですよね。スゴイです。誰にも似ていない人です。

細江その教えもあり、念願の東京オリンピックに出場を果たしました。

戸本その時点での集大成でしたが、おかげでリラックスして臨めました。団体のチームメイト(大岩義明、田中利幸、北島隆三の3選手)と違い、僕は初めてのオリンピック。足を引っ張らないようにしなくちゃと思っていたんですけどね。また、ヴィンシーもあまり緊張しないタイプなので。

細江ヴィンシーは戸本さんの愛馬ですね。結果は団体で11位。個人総合で4位と。さらに、今年のパリで銅メダルに輝きました。メダリストとなって、活動の幅や重み、影響力も増したと思いますが。

戸本馬事公苑でのイベントなど、これまでの注目度と違いますね。より、楽しんでいただけているように感じます。

友だちでもあり、恋人でもあり、相棒でもあり

細江JRA職員としては、どんなお仕事をしていくことになるんですか?

戸本メインは、若手を育てることです。自分は海外に行くチャンスをもらって、オリンピックに出られた。その経験を、若い職員にもしてもらいたいと思っています。

細江どんなことを、大事に指導していこうとお考えですか?

戸本いま指導しているのは、若い子は大学を卒業したばかりの23歳とかなんです。年長者でも30歳ぐらいでしょうか。いまの時代、インターネットで海外の試合が見られるので、技術面はスゴイんです。みんな上手。その中で、気になるのは、やはりマインドの部分なんですよね。

細江過去の自分を振り返ってみて、そこが重要だと。

戸本Williamから、マインドが重要だと学びましたからね。若い選手は失敗すると「すみません」って言うんです。それって、Williamなら「So what?」ですよ。最終目標に向かって、やっていくことが大事なんです。これって、何年って単位なんです。

細江その精神面を分かってもらいところからが、スタートですね。

戸本そうしないと、結果につながらないと思っています。また、日本人の、特に男性ですが、馬をペット的な要素をもってかわいがるのが苦手な人が多いように思います。もちろん、みんな愛馬をとても大切にしています。でも、海外ではパートナーの馬を「He」とか「She」って言いますよね。その分、馬との距離感が近いというか。、関係性を築くのは上手というか。そういう面が、もっとあっていいのではと思います。

細江そういう戸本さんにとって、馬はどんな存在ですか?

戸本う〜ん、なんでしょう? 時に先生であり、時に友だちであり、時に恋人であり。いろんな場面で助けてくれる相棒という感覚ですね。

選手として、これから

細江同じ馬でも、JRAは競馬を開催する団体ですよね。馬術競技の選手である戸本さんにとって、競走馬と乗馬の共通点はありますか?

戸本トレセンで競馬関係者向けの馬術講習に行くこともありますが、競走馬はスピードが求められる面が強いですからね。僕は競走馬を1頭も育てたことがない。だから、本当は吉田さんみたいに乗馬経験があって、競走馬の育成に携わっている人がいいと思うんですけど。

吉田いやいや。でも、以前と環境はだいぶ変わってきましたよ。競馬の世界にも馬術経験者が増えました。うちの牧場にも、たくさんいますよ。みんな、余暇に試合に出たりしています。

戸本同じ馬に乗っているので、共通する部分はありますよね。体の動かし方だけではなく、馬の健康面などは、競走馬、乗馬、どちらにとっても重要ですし。

吉田どちらにも、おもしろいところがあるって、理解してくれるといいですよね。そうそう、調教師の中内田さんや久保田さんも、試合に出ています。馬術への理解が高まっている中で、メダリストの言葉の重みはあると思いますね。

細江戸本さんの選手としても、これからはいかがですか?

戸本教えることがメインとはいえ、2028年のロサンゼルスオリンピックへのチャンスはありますからね。いつでもチャレンジできるようにしておきたい、と思っています。

細江メダリストを目指しつつ、メダリストを育てあげる仕事が始まっているんですね。

戸本若い選手には「So what?」と、Williamの言葉を借りて指導していきますよ。

吉田自分を追い込んだり、萎縮したり。そういうことから、開放されないと、いけないんでしょうね。

細江戸本さんたち、オリンピアンがそろう機会はあるんですか?

戸本今年のエリザベス女王杯と、有馬記念当日の誘導馬に4人で乗ることになっています。今から、楽しみにしています。

(構成:スポーツ報知 志賀浩子)

戸本 一真
1983年岐阜県出身。日本中央競馬会馬事公苑所属。パリ2024オリンピック銅メダリスト。馬術の総合馬術団体でのメダル獲得は92年ぶりの快挙。

吉田 俊介
1974年北海道出身。(有)サンデーレーシングの代表で、ノーザンファームの副代表。中山馬主協会理事(広報インタビュー担当)。

細江 純子
1975年愛知県出身。1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2000年日本人女性騎手として初の海外勝利(シンガポール)。2001年引退。引退後はホースコラボレーターとしてフジテレビ『みんなのKEIBA』関西テレビ『競馬BEAT』に出演。夕刊フジ・アサヒ芸能などにコラムを連載中。書籍は『ホソジュンのステッキなお話』文芸ポストでの短編小説『ストレイチャイルド』。

※この記事は 2024年10月19日 に公開されました。

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