きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

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騎手としては菊花賞2勝、天皇賞・春制覇、また2年連続で関西リーディングジョッキーを獲得、調教師としては考案したアイデアを積極的に取り入れ競馬の新しい常識を作った元調教師の浅見国一さんが、28日に病気のため自宅で逝去されました。

浅見国一さんは1964年に調教師免許を取得すると、様々なアイデアで競馬の常識を変えていきます。当時、まだ栗東に坂路コースがなかった時代に森林の馬道にあった坂を調教コースとして目をつけ、坂を駆け上がる調教を取り入れたのも浅見国一さんでした。その後、戸山為夫氏と坂路の導入を推し進め、東高西低だった勢力の逆転へとつなげます。

競走馬の当日輸送を試みたのも浅見国一さんでした。道路事情が悪かった時代に関係者の協力を得ながら馬運車を改良し、厩舎を構えていた京都競馬場から中京競馬場への当日輸送に成功させると、他の調教師も当日輸送を取り入れるようになっていきます。

空気抵抗の少ない「エアロフォーム」の勝負服を日本に広く普及させ、いまでこそ常識になっている装鞍の際に鞍を留めるゴム製の腹帯も浅見国一さんの理になかったアイデアから始まったものでした。

浅見国一さんは90歳の年齢でした。お悔やみ申し上げます。

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