きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

ようこそいらっしゃいませ。

郷原洋行騎手と“アイドルホース・キラー”のお話しをしています。ダービーでハイセイコーを3着に沈めたイチフジイサミ、(この時は郷原さんではなく津田昭騎手が鞍上でした)天皇賞ではキタノカチドキを横綱相撲で倒しました。馬には何の罪もないのですが、堂々たるヒールぶりでした。

それ以上に日本中に衝撃を走らせた“事件”が起きます。1976年、当時はまだダート2000mで行われていた札幌記念です。断然の1番人気は“天馬”と呼ばれた快速トウショウボーイでした。彼はテスコボーイ産駒特有の腰の甘さがあり、大事をとってダート戦を使われた経験を持っており、ダートは芝以上に適性が高いのでは、と評価されていました。

その年のダービーで加賀武見騎手の“奇襲戦法”で天馬打倒に成功したクライムカイザーの顔も見えます。そして郷原騎手の騎乗馬はグレートセイカン、馬名どおり偉大な精悍さを漂わせ走法はパワフルそのものでした。でも、誰も天馬が負けるとは思わなかった!

ところが歴戦の古馬の底力は凄まじいものがありました。郷原騎手はマッチレースに持ち込み天馬をねじ伏せたのです。着差はクビでしたが完勝といっていい内容だったと思います。3着のダービー馬クライムカイザーははるか8馬身後方、上位2頭の力が図抜けていたことが分かります。

トウショウボーイの主戦は若い池上昌弘騎手が務めてきました。池上騎手の騎乗法にマスコミなどは批判的でしたが、かつての大騎手・保田隆芳調教師は庇い続けてきました。郷原騎手自身、『若い時からいい馬に乗せ続けてくれた先生がいたから今がある』と語ったことがあります。先生とは、通算1235勝の大調教師・大久保房松師のことです。グレートセイカンも大久保先生の管理馬でした。

ダービー、札幌記念とも2着に負けた池上騎手は結局、その後は天馬にまたがることはありませんでした。非情といえば非情ですが、感謝こそすれ恨みはない、というのが池上騎手の偽らざる本音だろうと思います。調教師と騎手の間に心の交情があった時代だったのでしょう。忙しいというか、世知辛いというか、ビジネスライクというか、それにはそれなりの背景や理由があるのでしょうが、ちょっと寂しくも感じたりもする昨今です。

×