きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

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今日は東京3400mでダイヤモンドSが行われます。このレースの歴史を紐解いていくと1979年の勝ち馬の欄にスリージャイアンツの名前が刻まれています。

スリージャイアンツ、“3人の巨人”という馬名は、《インター》《キョウエイ》の冠名で知られる松岡正雄さん、《コクサイ》の名で数々の活躍場を走らせた芦部照仁さん、《ウエスタン》の冠名で自家生産馬を送り出した西川幸男さん、文字どおり馬主界の“3巨人”の共同所有だったからです。(ちなみに西川さんは当協会長の西川賢さんの父上です)

西川さんがオーナーを務める北西牧場で生まれ、境勝太郎厩舎に所属したスリージャイアンツは、半兄に天皇賞馬フジノパーシアがおり期待されましたが、晩成タイプだったのか勝ち上がりに5戦を要し、ようやく2勝目を上げたのはダービー当日のレースでした。“賢兄愚弟”などと陰口を叩かれるありさまです。

秋に準オープンまで出世しますが勝ち切れないのは相変わらず、そして迎えたのが4歳4月のダイヤモンドSでした。この年は中山3200mで行われたのですが、初体験のステイヤー戦で彼は秘める素質を爆発させました。条件馬の身で重賞レースを勝ち切ってしまったのです。

秋は2000mの毎日王冠を東信二騎手で3着、2500mの目黒記念を小島太騎手で3着、もどかしい連続です。天皇賞では東騎手は目黒記念2着のブルーマックスに乗り、小島騎手にはダービー馬サクラショウリがいました。誰の意向だったのかジャイアンツは郷原洋行騎手が鞍上に。

やはり生粋のステイヤーだったのでしょうか。郷原騎手は早めスパートから東京の長い直線を追いまくりメジロファントムの追撃をハナ差しのいでします。3着のアサヒダイオーは7馬身も後方に置かれました。スリージャイアンツのバテずに伸びる粘り強い脚と郷原騎手の代名詞“剛腕”が生きたレースだったと思います。

スリージャイアンツはその後フレグモーネから蹄葉炎を発症、天皇賞が最後のレースになってしまいました。最初で最後のたった1回の代打、ワンチャンスを生かしたのは馬も騎手も同じです。“一期一会”、そんな言葉を思い浮かべる出会いでした。

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