きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

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函館2歳Sが9月下旬から現在の時期に移設された97年から以降、唯一の例外を除いて勝ち馬はその後、半数が未勝利に終わり、残りの半数も伸び悩む傾向が顕著、そんなお話をしてきました。

さて、唯一の例外というのが97年の勝ち馬アグネスワールドです。彼は父が快速ダンチヒ、母父がこれまた快速シアトルスルー、半兄ヒシアケボノはスプリンターズS勝ちと、どこまで行ってもスピードの傑出した一族に生まれました。

栗東の森秀行厩舎に所属し、函館開幕週の新馬戦を楽勝して、函館2歳Sに挑み、ここもあっさりレコードタイムを叩き出します。前途は洋々に見えました。が、ここで1度目の骨折に見舞われます。4ヶ月後に復帰しますが、再び骨折し長い休養に入ります。あり余る天性のスピードに脚が悲鳴を上げたのでしょうか。

1年後にターフに姿を現した彼は叩かれながら徐々に上向き、北九州短距離特別を1分6秒5の驚異的な日本レコードで勝つと、続く小倉日経オープンを連覇と完全に本格化のときを迎えます。そして森調教師とオーナーの渡辺孝男さんは海外遠征へと舵を切り、アグネスワールドはとんでもない大偉業を成し遂げます。フランスのG1アベイドロンシャン賞をもぎ取ってしまったのです。

彼以降の函館2歳S馬でその後に重賞を勝った馬は皆無です。それが重賞どころかG1、それもヨーロッパG1ですから快挙です。しかも彼は翌年もヨーロッパに出かけロイヤルアスコットのキングズスタンドSを2着した後、ニューマーケットのジュライCで海外G1を再び制しています。

彼が走った海外でのレースはいずれも直線競馬でした。《スピードは桁違いだったが気性が悪くペース配分ができなかった》と森調教師が述懐するように、短距離でもきような立ち回りが要求される日本のコースは苦手で、中山1200mのスプリンターズSでは2度とも2着に敗れています。敗れたとはいえ2着なら十分に胸を張れるのですが。

さて、今年の函館2歳S、アグネスワールドのような大物が隠れていないものでしょうか。この続きは明日お届けします。

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