きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【42】シンザン
1965年12月26日 第10回有馬記念

世界中のアスリートが集結する「東京2020」まで2年――。
その熱は、徐々に広がりつつあるが、前回、東京でオリンピックが開かれた1964年に、セントライト以来、史上2頭目の三冠を達成したのが、このシンザンだ。

生涯成績は、19戦して15勝。敗れた4つも、すべて2着。連対率100%の名馬は、管理していた武田文吾調教師をして、「眼にはいつも真っ直ぐな光があり、向き合う時、いつも姿勢を正さなきゃあかんと思わせるようなそんな気品のある馬だった」と言わしめるほど、気高く、ある種のオーラに包まれたサラブレッドだった。
最後の直線、切れ味鋭い末脚を長く使い、負けた相手を徹底的にやり込めることなく、次に希望を抱かせる小差の勝ち方をしたことから、付いた通り名は――ナタの切れ味。競馬サークルでは、その後、シンボリルドルフが出現するまで、“シンザンを超えろ”が、合言葉のようになっていた。

このシンザンが、中山のコースを走ったのは、「これが最後!」と決めた有馬記念と、その前哨戦に選んだオープン(2着)の2つのみ。
――えっ!? 三冠馬ということは皐月賞も勝っているはずなのに……。
そんな声が聞こえてきそうだが、皐月賞が中山に舞台を移したのは、シンザンが勝った翌年の1965年から。シンザンにとっては、ラスト2走が、中山で走ったただ2つのレースだった。
そして――固唾を呑んで見守るファンの前で、“これぞ、シンザン!”という圧巻の走りを披露してくれたのが、最後となった有馬記念。馬場の良いアウトコースを走るミハルカスのさらに外、馬場の外ラチ沿いに進路をとったシンザンは、中山の坂を力強く駆け上がると、ファンの大歓声が待つ栄光のゴールへと飛び込んだ。

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