きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【41】メジロファラオ
1999年4月11日 第1回中山グランドジャンプ

障害競走改革の一環としてグレード制が導入された1999年に創設されたのがこの中山グランドジャンプ。第1回は、前身である中山大障害と同じ芝4100m(現在は芝4250m)で行われた。
出走馬は全部で10頭とやや寂しい感もあるが、集ったメンバーは、当時の障害競走を支えていた名ジャンパーばかり。1番人気に推されたゴッドスピードは、平地の重賞(小倉3歳ステークス)の優勝馬で、皐月賞、日本ダービーに出走した経験を持つ実力馬。アサティスを父に持つビクトリーアップが2番人気。3番人気は初代阪神スプリングジャンプの覇者、ファイブポインター。4番人気のケイティタイガーはこの時すでに11歳。優勝したメジロファラオは、中山大障害(秋)2着という実績を持ちながら、単勝14.9倍の6番人気という低い評価だった。

勝敗を分けたのは――馬場状態。
降りしきる雨粒が、コースのあちこちに水溜りをつくり、一完歩ごとに泥水が跳ね上がる。ぬかるみに脚をとられ、飛越した際にバランスを崩す……落馬によって競走を中止する馬が一頭も出なかったのが不思議なほどのコンディションで、人気馬が軒並み苦労する中、スタートから敢然と先頭に立ったのが、優勝したメジロファラオだった。
みんなが、泥んこ馬場に苦労する中、一瞬、ひやりとしたのは、最後から2つ目の生涯で躓いた時のみ。しかしこの時も、大江原隆騎手の手綱さばきですぐに態勢を立て直すと、そのまま、後続に6馬身差をつけ、“見たか! オレがメジロファラオだ!!”と言わんばかりの顔で、栄光のゴール板を駆け抜けた。

引退後は、日本大学馬術部の競技馬となり、東京都八王子市の八王子乗馬倶楽部恩方スティブルで乗馬として活躍したメジロファラオ……サラブレッドとしては、この中山グランドジャンプが、ただ一度の輝きだったが、その名は、中山の歴史に刻まれている。

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