きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【35】アイネスフウジン
1989年12月17日 第41回朝日杯3歳ステークス

世界レコードとなる19万6517人のファンで埋まった東京競馬場。勝者を讃えようと自然発生的に巻き起こった“ナカノ・コール”。第57回日本ダービー、東京優駿は、いまなお、伝説のひとつとして競馬ファンの間で語り継がれている。
しかし――――。
この日本ダービーが行われる5ヶ月前……平成元年、中山を舞台に行われた3歳(現2歳)王者決定戦、第41回朝日杯3歳ステークスで、すでにその胎動は始まっていた。

このレースで1番人気に推されたのは、ここまで4戦して2勝、ハギノカムイオーを父に持つ堀井雅広騎乗のカムイフジ。2番人気は、5戦3勝のサクラサエズリ。3番人気は、6戦3勝のクロスキャスト。4番人気は、柴田政人と“芦毛のヒーロー”ホワイトストーン。5番人気が、中野栄治とアイネスフウジンのゴールデンコンビだった。

父シーホーク 母テスコパール 母父テスコボーイ
デビュー戦となった89年9月10日、中山で行われた新馬戦が2着。続く、2戦目も2着に惜敗したアイネスフウジンは、3戦目となった東京未勝利で初勝利。再び、中山の舞台に其の姿を現した。
先手を取ったのは、サクラサエズリ。岡部幸雄騎乗のヘイセイトミオーとアラカイセイが続き、アイネスフウジンは控えた4番手を追走。1000mの通過タイムが56秒9というハイペースの中、徐々にポジションを上げると、最後の直線で鮮やかに抜け出し、サクラサエズリに2馬身半の差をつけてゴール板を駆け抜けた。
このとき、電光掲示板に点滅したタイムは、1分34秒4――。
1976年に、あのマルゼンスキーが記録したレコードと同じタイムでの勝利に、中山のスタンドからは、拍手と歓声に混じって、“ナカノ!”と叫ぶファンの声が、散発的に沸き上がった。
これが、5ヶ月後の大ナカノ・コールへの銃爪となったのは、言うまでもないだろう。稀代の快速馬、アイネスフウジン……彼の伝説は、中山から始まっていた。

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