きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【13】サクラバクシンオー
1994年4月3日 第26回ダービー卿チャレンジトロフィー

3月30日は、畑端 省吾 騎手、小崎 憲 調教師、田村 康仁 調教師の誕生日です。誕生日おめでとうございます!
デビューから5戦目となったGIIIクリスタルカップまで、舞台はすべて中山。その後も、全21戦の内、スプリンターズSの連覇をはじめ、中山では11戦して7勝。抜群の相性を誇ったのが、JRA史上最強のスプリンターと評されたサクラバクシンオーだ。
父は、天皇賞(秋)の優勝馬サクラユタカオー。母は、有馬記念、天皇賞(春)を制したアンバーシャダイの全妹サクラハゴロモ。同期には、ミホノブルボン、ライスシャワー、シンコウラブリイ、ニシノフラワーなど強豪がひしめいていた。

サクラバクシンオーの初出走は、1992年1月12日、中山開催のダート1200m。スタートから先頭を奪うと、そのまま2着に5馬身をつけて逃げきり。一時はクラシックへの出走も検討されたが、スプリングステークスの大敗(12着)を受けて、進むべき道は、短距離路線と決定した。
脚部不安により翌春は休養。10月2日のオープン、オータムスプリントSで華麗なる復活を遂げると、秋4戦目となったスプリンターズSを制し、一気にGIホースの仲間入りを果たす。そして、このサクラバクシンオーが、1994年シーズンの幕開けに選んだのが――春のマイル戦線を熱くするハンディキャップ重賞(当時は距離1200mの別定戦)、ダービー卿チャレンジトロフィーだった。
単勝1.2倍の圧倒的1番人気に推されたサクラバクシンオーと小島太のゴールデンコンビは、道中2番手を追走。最後の直線で抜けだすと、最後は小島太が手綱を抑えて、楽々とゴール板を駆け抜けた。

――No.1スプリンターはどの馬か!?
人によって想いも、見方も変わるが、少なくとも、3頭挙げろと言われたら、間違いなくその一角を占めるはずだ。
引退後は、国産種牡馬としてJRA通算1000勝を記録。ショウナンカンプ、ビッグアーサー、グランプリボスなどを輩出し、キタサンブラックにもその血が受け継がれている。
最後まで彼の手綱をとった小島太が、引退レースとなったスプリンターズS後に、「あのときのバクシンオーは、最強だった。世界中探しても、バクシンオー以上のスプリンターはいなかっただろうね」と語った言葉は、今も記憶の片隅にはっきりと残っている。

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