きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【12】メジロライアン
1992年3月22日 第40回日経賞

3月23日は、横山 和生 騎手の誕生日です。誕生日おめでとうございます!
創設当時は距離3200mのレースとして施行され、天皇賞(春)へのステップレースとして強者が揃う日経賞は、これまでキラ星のごとく名馬を輩出してきた。
日本馬としてはじめて海外の重賞を制したハクチカラ(第5回)。日本の競走馬として、はじめて凱旋門賞に挑んだスピードシンボリ(第15回)。連覇を達成した“白い逃亡者”ホワイトフォンテン。“TTG”の一角、グリーングラス(第25回)。2年連続で年度代表馬に輝いたホウヨウボーイ(第28回)。無敗の三冠馬“皇帝”シンボリルドルフ(第33回)……。
そんな中にあって、この日経賞が最後のレースとなった……いや、最後のレースになってしまった一頭の馬がいる。
父アンバーシャダイ 母メジロサンマン
不良馬場をものともせず、馬群をこじ開け、見事、栄冠を手にした弥生賞のレース後、横山典弘騎手に、「ゴールの瞬間、この先が全部見えましたね。皐月賞も、日本ダービーも」とまで言わしめたサラブレッド、メジロライアンだ。

しかし………………。
不利を受けた皐月賞は3着。アイネスフウジンがレコードで制した日本ダービーは2着。圧倒的な1番人気に推された菊花賞では、メジロマックイーン、ホワイトストーンを捉えきれずに3着。「今度こそ!」の思いで挑んだ有馬記念では、“怪物”オグリキャップ奇跡のラストランに阻まれ、またしても涙を飲む……。
結局、現役時代、ライアンが手にしたGIは、宝塚記念ひとつだけ。それでも、最後の直線、どの馬よりも疾く、一陣の風となって走る姿にファンは惜しみない拍手を贈り続けた。
最後のレースとなったこの日経賞も、道中は中団の後ろで待機。中山のコーナーを巧みに利用して前に進出すると、最後の直線、最内から鋭く伸びたライアンの脚が弾ける。
その力強い走りは、
どうだ、これが、ライアンの走りだ――。
とでも言っているかのようだった。

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