きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

もうひとりの天才

ようこそいらっしゃいませ。

人は誰しも、心に「忘れ得ぬ馬」「忘れ得ぬ人」の面影を抱いています。
その輝きが華やかであればあるほど、その陰は濃くなります。

岡 潤一郎――。
彼もまた、一瞬の煌きとともに人生を駆け抜けたひとりの天才でした。
1968年12月7日、北海道様似郡様似町出身。競馬学校4期生で、同期には、内田浩一、菊澤隆徳、岸滋彦、千田輝彦、藤原英幸、町田義一、横田雅博(敬称略)がいます。
1988年に栗東・安藤正敏厩舎所属の騎手としてデビュー。この年、いきなり44勝を挙げJRA最優秀新人賞を獲得。さわやかで、気持ちがよく、それでいて、ものすごい才能を持った、将来を嘱望されたジョッキーでした。

突然の不幸が彼を襲ったのは、1993年1月30日。京都競馬第7競走4歳新馬戦でした。騎乗したオギジーニアスが4コーナーで故障を発生。バランスを崩して芝に投げ出された岡騎手は、頭部を強打。しかも運の悪いことに、頭を守るために被っていたヘルメットがずれ、後ろから迫ってきた馬の脚が頭部を直撃。外傷性クモ膜下出血。頭蓋骨骨折。脳挫傷。脳内出血により意識不明の重体に陥りました。
位置取り。ペース。相手の動向……ありとあらゆることを想定してレースに臨む騎手が、唯一、想定できないのがこの落馬だそうです。しかし、事故を怖がっていたら騎手は務まりません。この二律背反の中で、騎手たちはいつも戦っているのです。

肺炎を併発した岡潤一郎騎手は、それでも生きようと、もう一度、ターフに戻ろうと、17日間もの間、懸命に闘い抜いたそうです。

・通算成績 2177勝
・GI エリザベス女王杯(リンデンリリー)
・GII NHK杯(ユートジョージ)、デイリー杯3歳ステークス(ノーザンドライバー)、ローズステークス(リンデンリリー)
・GIII ペガサスステークス(ノーザンドライバー)

煌めきとともに駆け抜けた岡潤一郎騎手が静かに息を引き取ったのは、1993年2月16日……24年前の昨日でした。競馬には、“もしも“も、“たられば”もありません。でも、それでも、もしも、岡潤一郎騎手が生きていたら……そう思わずにはいられません。

冬枯れの 淀のターフに 散りし夢 永遠に忘れじ 君の面影

生家の前にある石碑にはその早すぎる死を悼んだ句が刻まれ、いまも仲間が、友が、ファンの方が、訪れているそうです。

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