きょうの蹄音競馬にまつわるちょっといい話

2016.12.2

偉大なるホースマン

ようこそ、いらっしゃいませ。

今日12月2日は――
秋山豊寛さんが日本人として初めて宇宙飛行に成功(1990年)したことを記念した「日本人宇宙飛行記念日」であり、あの沢村栄治投手がお亡くなりになった日(1944年)です。
そして、もうひとつ--日本競馬を作った偉大なるホースマン、故・浅見国一氏が、この世に生を受けた日(1921年)でもあります。

浅見国一氏は、騎手として菊花賞など重賞16勝を含む564勝。調教師としても、2度のオークスを含む785の勝ち星を積み重ね(内重賞は42勝)、数多くの名馬を育て上げた名伯楽として知られていますが、同時に、進取の気風に富んだアイディアマンでもありました。例えば、ゴム製腹帯の使用。当時は布製が主流で、ゴム製は馬への負担になるとして嫌われていましたが、効果を確信していた氏は、自厩舎のヤマピットに使用。その効果が実証されたことで、現在はゴム製が当たり前になっています。

まだあります。

馬運車による当日輸送を試みたのも、浅見先生がはじめてでした。昭和39年に高速道路ができたことに着目。昭和40年、関係者の協力得て、中京競馬に出走するクインヤマニンを京都から試験輸送。成績に結びついたことから、当日輸送が盛んとなり、今では当たり前のものとなっています。
栗東に販路がまだなかった時代、逍遥馬道でのトレーニングを試み、今の販路調教の礎を築いたのも、武豊騎手とともに空気抵抗の少ないエアロフォームを改良制作して普及させたのも、元調教師として初めて馬主になったのも浅見氏でした。

浅見先生が亡くなられたのは、2012年5月28日……亡くなる前日も日本ダービーをテレビで観戦されていたそうです。
人生を競馬に捧げ、ひたすら馬を愛し、馬とともに生きた氏の業績を振り返ると、その偉大さに、ただただ、感嘆するばかりですが、その魂は、ご子息の浅見秀一調教師をはじめとする門下生に引き継がれています。