きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

藤田伸二騎手、引退

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6日、藤田伸二騎手が騎手免許の取消申請を提出したとJRAより発表されました。電撃の引退発表に驚きを隠せませんでした。
藤田騎手は1991年にデビュー。同年39勝を挙げてJRA賞・最多勝利新人騎手を獲得し、翌年1992年にはブービー人気のタケノベルベットを優勝に導いて初のG1制覇。その4年後にはダービージョッキーになるなど、早くから才能を発揮します。藤田騎手がダービージョッキーとなった1996年。当日のダービーは1番人気がダンスインザダークで、藤田騎手は7番人気のフサイチコンコルドに騎乗しての出走でした。ダンスインザダークは前年のオークスを制覇したダンスパートナーを全姉に持つ血統で、しかも猛威をふるう父サンデーサイレンス。皐月賞を熱発回避後にダービーへ向けて再調整がなされ、まさに真打ち登場の状況でした。
一方藤田騎手鞍上のフサイチコンコルドはというと、同年1月にデビューしたばかり。3月にすみれステークスを勝ち、わずか3戦目でのダービー出走でした。しかしゴール前、藤田騎手はそのフサイチコンコルドから音速の末脚をひき出し、勝ちを確信したダンスインザダークを残り50mで捉えて優勝。前年にわずか2戦目で英国ダービーを制覇した奇跡の馬ラムタラに沸いた海外をオーバーラップするかのように、日本の競馬の常識を根底から覆す勝利をフサイチコンコルドに与えたのでした。

藤田騎手でG1というと、シルクジャスティスの有馬記念も想い出深いレースの1つです。
シルクジャスティスはダービーで2着し、秋に神戸新聞杯から始動。京都大賞典で古馬を一蹴し菊花賞でも1番人気に支持された馬でした。サニーブライアンを捉えられなかったもののシルクジャスティスがダービーで魅せた後方からの末脚が、クラシック最後の一冠への期待を後押していました。しかし後方からのレースで末脚届かず5着。次走で挑んだジャパンカップでも上がり最速の末脚ながらも同じく5着の結果でした。そのシルクジャスティスが同年の有馬記念に出走。最後はマーベラスサンデー、エアグルーヴとの叩き合いとなり見事優勝します。シルクジャスティスの強さを信じつづけた藤田騎手が同年最後の最後で大仕事をやってのけ、シルクジャスティスに最高のプレゼントを送ったのでした。また鍛え上げた肉体美が誌面を飾り話題になったこともありました。

藤田騎手はフェアプレー賞は史上最多となる19回を獲得。JRA通算1918勝は武豊、横山典、蛯名、柴田善臣騎手に次いで現役5位の勝利数を誇ります。函館に札幌開催のリーディングジョッキーを幾度も手にし、G1は17勝を数えます。
最後のレースとなった日曜札幌7R終了後、サイト上に直筆の引退メッセージを更新。先だってJRA公式サイトに「騎乗依頼仲介者一覧」が設けられ騎乗依頼仲介者(エージェント)が公表されましたが、そのエージェント制度についての藤田騎手の考えやファンへのメッセージをアップしました。名騎手が提出した騎手免許の取り消し申請は7日以降に受理され、その後JRAから正式に引退が発表される予定となっています。

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