ホースマン・サロン ホースマンが語る競馬への想い

【第5回】パーソロン、その血脈と込められた想い

ゲスト シンボリ牧場・和田容子さん 【第5回】パーソロン、その血脈と込められた想い

活馬の輸入が規制緩和された1953年、和田共弘さんは、さっそくニューマーケットなどへ出かけ、繁殖牝馬を中心にサラブレッドを日本に連れてくるようになります。 しかし、共弘さんの構想はあくまで雄大そのものでした。

前回のホースマンサロンにご登場いただいた和泉信一さんは
『千葉で種牡馬をやりたいんだが、どうだろう』
と共弘さんから相談を持ちかけられたと証言してくれました。

戦後、下総御料牧場の馬産は火が消えたようになっていました。その伝統ある馬産を復活させるのが夢だったのでしょうか。

『フランスに家を買ったんですよ。向こうに住んで暮らしてヨーロッパ三昧というか、それは熱心でした。人のやらないことをやり遂げるんだって』

そうした中で巡り会ったのがパーソロンだったことは、前回でご紹介したとおりです。共弘さんの思いがギュと詰まったパーソロンは2年目の産駒にメジロアサマを得ます。後の天皇賞馬です。

パーソロンの血は彼からティターン、マックイーンとメジロ一族に受け継がれ天皇賞3代制覇の偉業をなし遂げます。

この血脈を引き継ぐのは現役ではホクトスルタンだけです。先日、長い休養から帰厩したようですから、春の天皇賞をめざしてひと頑張りしてくれるのでしょうか。

わずかながら残された可能性に祈るような気持ちがします。4代制覇となればヨーロッパにもないんじゃないでしょうか。それこそ“人のやらないことをやり遂げる”大偉業です。

パーソロン産駒はアサマ以後も次々と大レースを勝ちまくります。

カネヒムロ、タケフブキ、ナスノチグサ、トウコウエルザ、4年連続でオークス馬を輩出したことから(これも大偉業です)“牝馬御用達”などと冗談まじりの陰口を叩かれたこともありますが、遂にサクラショウリがダービーを勝って汚名(?)挽回します。

しかし数々の勲章もまだ誰も達したことのない高みへのプロローグにしかすぎない、と共弘さんは考えていたようです。

※この記事は2011年2月3日に公開されました。


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