ホースマン・サロン ホースマンが語る競馬への想い

【第1回】ロンシャンに咲くすみれの花(前編)

ゲスト 中山馬主協会最高顧問・和泉信一さん 【第1回】ロンシャンに咲くすみれの花(前編)

ナカヤマフェスタで凱旋門賞にチャレンジする和泉信一さん。 馬主になったのが戦後間もなく、もう60年近い馬主歴になります。
オーナーブリーダーとして日本競馬の発展に力を尽くされる一方、中山馬主協会の会長を長く勤められ、日本馬主協会連合会の要職も果たされました。
ホースマンサロン第1回は、日本競馬の生き字引にお話を伺います。

――いよいよですね。

『ちょうどダービーの頃かな、二ノ宮(敬宇調教師)から凱旋門賞に登録していいですかって。
60万円だったかな、第1回の登録料が。
彼はあの馬に対する思い入れとか、レースに対する情熱とか、かなり強かったんですね。
それでパーになっちゃってもかまわないから登録だけしておけって。

そうしたら宝塚記念を勝っちゃったもんだから、いよいよ本格的な話になって、宝塚の賞金が1億3000万円で馬主の取り分が1億円弱、凱旋門賞にいくとあれやこれやでそれくらいかかっちゃうんだけれど、税金とかいろいろ考えると、まぁいいやって決めたの。

行ったからってねぇ、世界を相手にするとなると、時計面ではフェスタが一番なんだけれども馬場が違うし、僕は3着までに入ってくれれば大成功だと思っているんですよ。
二ノ宮にはエルコンドルパサーで培った経験があるからね。

彼は彼なりにいろいろやって、こちらはそれを信頼しているわけです』

――今回は“チームすみれの花”と銘打って、とてもおしゃれなネーミングですね。

『娘(信子さん)が宝塚大好きでよく行っていた。フェスタはもともとが娘の馬で、ダービーで頑張ったり(4着)、セントライト記念を勝ったりして娘を喜ばせてくれたんですね。

ところが食道がんで去年亡くなりました。
歌手の桑田圭祐さんが食道がんだって、彼は手術すれば治るっていうけど、娘は位置がね、大動脈と心臓の真ん中にできちゃって手術できなかった。結局は放射線治療しかできなくて、去年の11月に亡くなりました。

それでフェスタは僕が引き継ぐことになったんです。でも名義は仕方なくても、気持ちはずっと娘の馬ですよ。だから“チームすみれの花”なんです。

僕はずいぶんと長く馬主をやっているけれどG1だけは勝ったことがなかったんです。
昔は同じレースで持ち馬を3頭走らせて、1着・2着・3着なんて信じられないようなこともあったけれど、G1だけは勝ったことがなかった。

それがフェスタがいきなり勝っちゃった。それも宝塚記念というから驚きですよ。娘が勝たせてくれたんでしょうね。
だからパリではインターコンチネンタルホテルに泊まる予定なんですよ。娘が行くたびに泊まっていたホテルで、ルイ14世時代の風雅なたたずまいがあって、オペラ座の真ん前にあって、コンコルド広場とかルーブル美術館とかにも近くて、どこか宝塚歌劇団の世界観を感じさせるようで、娘はここがすごく気に入っていた。

だから女房ともどもここに泊まってフェスタのレースぶりを見届けようと』

【ご存じのようにナカヤマフェスタはトライアル・フォア賞で2着、本番の凱旋門賞へ上々の滑り出しを見せてくれました。このつづきは第2回でお届けします】

※この記事は2010年10月1日に公開されました。


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